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京大など、常温・常圧で二酸化炭素を多孔性材料へと変換する手法を開発  202110

2021-10-11 22:11:00 | 気になる モノ・コト

京大など、常温・常圧で二酸化炭素を多孔性材料へと変換する手法を開発
 マイナビニュース より 211011  波留久泉

 京都大学(京大)、JEOL RESONANCE、理化学研究所(理研)の3者は10月8日、常温・常圧下において二酸化炭素(CO2)を有用な多孔性材料へと変換する新しい手法の開発に成功したと共同で発表した。

 同成果は、京大 高等研究院 物質-細胞統合システム拠点(iCeMS)の堀毛悟史准教授、京大 工学研究科の門田健太郎大学院生(研究当時)、JEOL RESONANCEの西山裕介研究員(理研 科技ハブ産連本部 バトンゾーン研究推進プログラム 理研-JEOL連携センター ナノ結晶解析連携ユニット ユニットリーダー兼任)、京大 iCeMSのDaniel Packwood講師らの共同研究チームによるもの。詳細は、米化学会が刊行する学術誌「Journal of the American Chemical Society」に掲載された。

 人間の社会活動で増加した大気中のCO2は、多くの環境問題の原因の1つとして考えられている。
 もし、それを有用な材料や燃料として活用できれば、環境問題の解決や持続的な社会の実現が可能になると期待されている。
 しかし、これまでの研究の多くは、CO2を有用な材料に変換する際に、高温・高圧下での反応や、高価な貴金属触媒の使用を必要とし、実用という点では課題があった。

 そこで今回の研究においては、近年、大きな進展を見せ、エネルギー貯蔵からガス分離まで幅広い分野で活用されるようになってきた多孔性材料に着目。
 特に、金属イオンと有機分子からなるジャングルジムのような構造を持ち、90年代後半に発見されて以来、これまでに9万種類以上が開発され、一部は半導体ガス貯蔵用途などに用いられてきた多孔性金属錯体「PCP/MOF」に注目することにしたという。

 これまでのPCP/MOFではCO2を原料として作られたことはなかったというが、今回の研究では、「ピペラジン」と呼ばれる有機分子アミンと、応用性を考慮して安価かつ無毒な亜鉛イオン(Zn2+)を含む溶液中に、CO2を吹き込むという1ステップで、80%以上の高い収率で合成できる手法を開発することに成功。反応は数分で完了し、得られるPCP/MOFは高い純度を持つという。
 また、アミンと金属イオンの組み合わせを工夫すれば、常温・常圧のCO2をさまざまなPCP/MOFへ変換することが可能だともしている。

(左)常温・常圧のCO2から作られるPCP/MOFの結晶構造。(右)ピペラジン(アミン)とCO2より架橋性配位子が形成され、同時に亜鉛イオン(Zn2+)と反応し、PCP/MOFが形成される (出所:共同プレスリリースPDF)

 こうしてできたPCP/MOFの詳細を調査したところ、CO2がアミンと反応し、架橋性配位子として存在していることが確認されたほか、CO2由来の架橋性配位子が金属イオンを連結することで高い周期性を有した均一な細孔が観察されたという。この細孔のサイズは、1nmで、その構造から重さあたり30%以上がCO2からできていることが判明。
 また、理論計算にて得られたCO2の状態は、常温での反応から得られたにもかかわらず、金属イオンとの強い相互作用により、安定的に構造中に取り込まれていることが示されたという。

 この合成手法はさまざまな条件でも働くとのことで、例えば、一度の反応で9リットル(16g)分のCO2を50gのPCP/MOF粉末へと変換し、固体として閉じ込めることが可能だとするほか、空気を用いてこの反応を試すと、空気中に存在する低濃度(0.04%)のCO2とアミン・金属イオンが反応することも確認されたという。

 さらに、合成したPCP/MOFの細孔中に多量のCO2を貯蔵することも可能であることも確認。今回の研究では、常温において26気圧をかけた結果、材料1gにおいてCO2が0.7g含有された高濃縮状態を実現したという。

 研究チームによると、金属イオンとアミンの組み合わせを工夫することで、さまざまな構造・機能を持った多孔性材料の合成や、不純物を多く含む工場の排ガス中のCO2など、資源化の対象の拡大も期待されるとしている。
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半導体をさらに進化させるEUV(極端紫外線)って何?需要拡大で注目される企業をピックアップ 202110

2021-10-11 21:57:00 | なるほど  ふぅ〜ん

半導体をさらに進化させるEUV(極端紫外線)って何?需要拡大で注目される企業をピックアップ
  MoneyPlus  岩井コスモ証券 執筆班  より 211011

 デジタルトランスフォーメーションや5G など最新のテクノロジーを支えているのは半導体の高性能化です。特にDRAMや演算処理を行うプロセッサは微細化が進み、高性能化が著しくなっています。

 1962年にシリコンウエハーという金属の円盤の上にトランジスタを形成する技術が確立されてから約60年が経ちましたが、この間半導体の微細化を可能にし高性能化を牽引してきたのが、微細な回路パターンをシリコンウエハー上に転写する先端露光技術です。

⚫︎EUVの波長はエックス線並み
 露光とはフォトマスクに書かれた半導体回路パターンをレーザー光線とレンズを使って4分の1程度に縮小してシリコンウエハーに転写することです。微細な半導体回路パターンを転写するには短い波長の光線を使う必要があり、半導体の高性能化は使用するレーザー光線の短波長化によって成し遂げられてきたといっても過言ではありません。

 当初、先端露光プロセスに使われた光線は、水銀ライトを光源にするg線やi線でしたが、1990年代に入るとプラズマでレーザー光を発生させるKrFエキシマレーザーに取って代わり、2000年に入ってからは、同じエキシマレーザーでも波長の短いArFエキシマレーザーが使われました。

 その後は新たな光線の開発が停滞し、ArFエキシマレーザーが20年近く最先端露光プロセスで使われました。レーザーの波長が変わらなくとも工夫することで微細化をして、半導体は高性能化しましたが、線幅が10ナノメートル(1ナノメートルは10億分の1メートル)以下になるとArFエキシマレーザーではうまく加工できなくなり、もっと短い波長のレーザーが必要となりました。
 そうしたタイミングで使われるようになったのがEUV(極端紫外線)です。
 EUVの波長は13.5ナノメートルでほぼエックス線と同じです。ArFエキシマレーザーの14分の1です。したがって、EUVを使えば今までの限界を打ち破れます。

⚫︎EUVが半導体産業成長のドライバーに
 iphone13のプロセッサは線幅5ナノメートルの技術で作られています。
 これが2024年には2ナノメートルの生産が始まります。そして、2030年までには1ナノメートル台まで微細化が進むというのが半導体業界としての技術ロードマップです。
 1ナノメートルというと、髪の毛の5万分の1、コロナウィルスの百分の1、そして、ほぼ原子10個分です。こうした極限的な微細加工を可能にするのがEUVです。

 残念ながら、EUV露光装置そのものは、オランダのASMLが独占しています。しかし、露光装置とセットで使われる製造装置や検査装置、そして、部材については日本メーカーが高いシェアを持っています。

 東京エレクトロンはEUV用の感光性樹脂、フォトレジストをシリコンウエハー上に塗布し現像するコーターデベロッパーで市場を独占しているほか、レーザーテックは、世界で唯一、EUVを使ってフォトマスクの欠陥を検査する装置を販売しています。このフォトマスク欠陥検査装置は高い評価を獲得しており、受注が急増しています。
 フォトマスクの基材となる金属膜付きガラス、マスクブランクスについては、HOYAがシェア8割を握り、主要な半導体メーカーを顧客としており、残りの2割のシェアを持つAGCも好調です。
 EUVプロセスで使われる感光性樹脂、フォトレジストについても、日本の3社、JSR、東京応化工業、信越化学の寡占となっています。

 このほかにも、世界で唯一、EUV用防塵カバー(ペリクルと呼ばれます)を量産している三井化学、EUVプロセスでフォトレジストとセットで使われるメタルマスクが好調なアルバックが関連銘柄として挙げられます。

 EUVは半導体産業の成長ドライバーであり、今後、EUVで作られた半導体が世界に劇的な変化をもたらします。スマホやパソコンがさらに高性能化するほか、自動運転から宇宙開発までEUVを使って作られた半導体が重要な役割を果たすことは間違いありません。EUV関連銘柄への期待は大きく、金利上昇などで一時的に株価が調整しても、中長期的に上昇トレンドが続くと考えます。

<文:投資調査部 斎藤和嘉>
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初の特別御朱印も、奈良・興福寺の「五重塔」が特別公開

2021-10-11 21:32:00 | 〽️ 行事・新案内等 控え

初の特別御朱印も、奈良・興福寺の「五重塔」が特別公開
 デイリースポーツ より 211011

 古都奈良のシンボル的な存在である興福寺の五重塔。5度の焼失と再建を繰り返し、現在の姿は室町時代に再建されたもの
 約120年ぶりに大規模修理を予定している世界遺産・興福寺の「国宝・五重塔」(奈良県奈良市)が、10月9日から特別公開をスタート。

 同寺の五重塔としては初となる「特別御朱印」の授与もおこなわれている。

 今回の特別公開について、「猿沢の池に映る五重塔は日本を代表する景観。大修理前に少しでも多くの方に現在のお姿を観ていただけたら。そしてコロナ禍でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするためです。5度の火災に遭ってもその都度、不死鳥のごとく復活してきた歴史と力強さを皆さんに感じていただきたい」と、興福寺の森谷英俊貫首は説明する。

 通常非公開の初層内陣を約5年ぶりに特別開扉し、心柱を中心に塔本四仏(東方の薬師如来像、南方の釈迦如来像、西方の阿弥陀如来像、北方の弥勒如来像)と脇侍をあわせて計12躯を参拝、心礎の上に建つ心柱の状態を特別に観ることができる。

 今回はあわせて五重塔柵内で、初の「特別御朱印」(300円)の授与がおこなわれるのも注目だ。五重塔の印が押され、「釈迦如来」と墨書きが入っている。
 これは舎利(お釈迦様の遺骨)を納める五重塔がストゥーパ(仏塔)だからこそとなっている。

 初日の朝9時から多くの参拝客が訪れ、大阪府の北摂エリアから訪れた近藤さん、宮野さん(50代女性)は、「塔内を観たのは初めて。仏様をそのまま残してきたことが伝わってきます。期間中に友人とまた訪れます」と感動した様子だった。

 同塔は、天平2年(730)に興福寺を創建した藤原不比等の娘・光明皇后(夫は聖武天皇)の発願により建立。5度の焼失と再建を経て、現在の姿は1426年の室町時代に建てられたものだ。今後大修理に入ると、素屋根で塔が覆われるため、最低でも5年以上は外観を眺めることができなくなる。

 ⚫︎特別公開は、
 前期が10月9日~11月23日、後期が2022年3月1日~3月31日。
  拝観料金は大人・大学生1000円ほか。
 期間中は、新潟の八海醸造とコラボしたオリジナル日本酒(樹閨jの2000本限定販売や、10月下旬から11月の金・土(除外日あり)に初となる五重塔の「夜間特別開扉」などがおこなわれる。詳しくは公式サイトにて。

取材・文/いずみゆか
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「日本で最も独創的な経営者」阪急電鉄創業者・小林一三が日本で最初に配った"あるもの" 202110

2021-10-11 21:13:00 | 気になる モノ・コト

「日本で最も独創的な経営者」阪急電鉄創業者・小林一三が日本で最初に配った"あるもの"
  プレジデントonlain より 202110 福田 和也

 阪急電鉄をはじめとする阪急阪神東宝グループの創始者、小林一三は独創的な経営者として知られる。作家の福田和也さんは「阪急電鉄の前身である鉄道会社の経営を委ねられた際、事業展開を記したパンフレットを作成し、大阪で配って宣伝した。これぞ彼の面目躍如というべき企画だ」という――。
※本稿は、福田和也『世界大富豪列伝 19-20世紀篇』(草思社)の一部を再編集したものです。

⚫︎阪急電鉄をはじめとする阪急阪神東宝グループの創始者、小林一三 
 ⚫︎世界的にも類例のない、独創的な経営者
 近代日本の経営者、財界人のなかで、最も独創的なのは誰だろうか――。
明治以来、あまたの財界人が澎湃(ほうはい)と登場した。松下幸之助、渋沢栄一をはじめとして、岩崎弥太郎、益田孝、中上川彦次郎、原三渓、松永安左衛門……。

 それぞれが強力な個性をもち、価値ある事業を作り上げた人物だが、こと独創的ということになると、評価は難しい。

 彼らは欧米の経営者たちが作り上げたビジネス・モデルを真似て、わが国の文化、風土に馴染むように手を加え、適合させた。
 資源も金もないわが国を、一流の工業国、貿易国にした、先人たちの偉業は尊敬に値する。とはいえ、その「偉業」が輸入品であり、コピーであり、模倣品だったということもまた、否定できない。

 そんな中で、只一人、世界的にも類例のない、独創的な経営者と、正面から呼ぶことができるのが小林一三である。

 現在、鉄道のターミナルと百貨店を結合するのは、ごく当たり前のことだ。今日では一般化したこのモデルを世界で初めて創始したのが、一三である。
 一三はさらに沿線にサラリーマン向け住宅を建てて分譲し、阪急電鉄の終点に宝塚歌劇劇場など娯楽、観光施設を建てている。
 百貨店、鉄道、不動産、娯楽という事業は、たしかに個別には存在していたが、その要素を緊密に結びつけた一三は、やはり「天才」の名に値する企業家といえるだろう。

 一三は電力事業や製罐(せいかん)、製鋼、化学産業にも関わっている。
 映画、演劇といったソフトから、重工業にいたる、事業のレパートリーの広さは、やはり絶後と、言うべきだ。
 第二次近衛内閣の商工大臣、幣原内閣の国務大臣兼復興院総裁として、二度、閣僚を務めている。

⚫︎数え年三歳で家督を継ぐ
 小林一三は、明治六年、山梨県北巨摩郡韮崎町に生まれた。その名前は、誕生日が一月三日だったことに因(ちな)んだという。小林家は富農で、農業だけでなく、酒造や生糸などを手広く商っていた。母のいくは家つき娘であった。甲州でも一、二と言われた豪農の丹沢家から婿として甚八を迎えて、一三を産んだが、産後、半年にして病死し、父甚八は、実家に戻った。
 その後、甚八は、甲州の酒造家、田辺家に婿入りし、七兵衛と改名している。甚八改め七兵衛は、田辺家に四人の男子をもたらした。長男の七六は、衆議院議員となり、中央電力、日本軽金属の社長を務め、次男宗英は、後楽園スタヂアムの社長、三男の多加丸は、日本勧業銀行の理事になっている。
 つまるところ、七兵衛の息子たちは、いずれも一廉の人物となったわけだ。一三は数え年三歳で家督を相続した。跡取りであったため、周囲からの羈絆(きはん)を受けることなく、野放図に振る舞っていたという。
 韮崎の小学校を卒業した後、当時、地元では最も先鋭的で英語、数学を教授する、八代の加賀美嘉兵衛の成器舎の寄宿生となったが、翌年、腸チフスに罹り、休学を余儀なくされている。

⚫︎文学に夢中になった慶応義塾大学時代
 明治二十一年二月、一三は、上京し慶應義塾に入学し、当時、塾監の任にあった益田英次(鈍翁益田孝の弟)の家に下宿した。慶應在学中、一三は演劇と文学に耽溺した。坪内逍遙が『小説神髄』を発表し、尾崎紅葉、山田美妙、二葉亭四迷、幸田露伴ら、明治文壇を担う豪傑たちが澎湃として登場していた頃である。

 一三が昂奮するのも無理はない。しかも一三の慶應における保証人であった高橋義雄(箒庵)は、書肆金港堂と懇意で、みずからO・ヘンリーの翻訳を手がけていた。保証人が先を切って文学の道を歩んでいるのだから、一三が勇みたつのは当然のことだろう。

 高橋は、時事新報の記者になった後、三井銀行に入った。一三は文学への志を捨てがたく、当時、文芸新聞として名を馳せていた都新聞の記者を目指したが――当時、新聞の連載小説の執筆は記者の領分だった――、同社の内紛により果たせず、結局、高橋の斡旋(あっせん)で三井銀行に勤めることになった。

⚫︎三井銀行時代に財界の巨頭たちと出会う
 明治二十六年、一三は、十等手代月給十三円という身分で、日本橋室町の三井銀行本店に勤務することになった。初めに配属されたのは、秘書課だった。

 毎週一回、三井財閥の最高決定会議である仮評議会が、本店三階で開かれる。総本家の三井八郎右衛門、三井高保、中上川彦次郎、益田孝、三野村利助、渋沢栄一ら、お歴々が集まった。
 一三の仕事は、その席で茶や弁当を配るくらいのものだったが、財界の巨頭たちの議論に、直接触れることができたのは、貴重な体験であった。

 同年九月、一三は大阪支店に転属となった。兄貴格の高橋が呼んでくれたのである。転勤に際して秘書課長から「大阪に行くと必ず悪いことを覚える」と注意されたが、その通り、すぐに遊里に通い始めた。
「人力車の勇ましい音に驚いて、私は振返って見た。車上の人は艶色矯態、満艦飾の舞妓姿である。芝居の舞台と絵画とによって知っている活きた舞妓を初めて見たのである。(中略)もし、大阪から色街を取除けるものとせば、すなわち大阪マイナス花街、イクオール零である、と言い得るほど、花街の勢力は傍若無人であったのである」(『逸翁自叙伝』)

 一三が二十一歳の八月、日清戦争が始まると、広島に大本営が置かれ、一三は大阪から広島への現金輸送に従事した。二十三歳の時、岩下清周が、大阪支店長として赴任してきた。岩下との出会いは、あらゆる意味で、一三にとっては巨きなものだった。

 信州松代に生まれ、東京商法講習所に学んだ岩下は、母校で教鞭を執った後、明治十一年、三井物産に入社、アメリカ、フランスに在勤し、品川電灯会社を創立した功績で財界の信認を得て、三井銀行の支配人となった。

 岩下の融資方針は大胆きわまるものであった。鉄商として名を馳せた、津田勝五郎に対して、たびたび巨額の当座貸し越しを見逃していた。また、これまで銀行が融資をしなかった、北浜の株式市場や堂島の米相場にも、資金を提供した。貸付係の一三は、いつもはらはらさせられた。

 明治三十年、岩下は横浜支店に左遷された。藤田組への金融援助を三井銀行理事、中上川彦次郎に批判されたためである。岩下は、三井銀行を辞め、藤田伝三郎と北浜銀行を設立した。一三は、岩下の配下と目されており、当然、北浜銀行に行くものと見られていた。実際、同僚だった堂島出張所主任の小塚正一郎は、岩下の膝下についた。一三は、懊悩(おうのう)した。岩下は小塚を支配人に、一三を貸付課長にするつもりでいたらしい。

 新しく大阪支店長として赴任した上柳清助からは、岩下の元に行くのか、三井に残るのか、態度をはっきりさせてほしいと要求されたが、一三は決められないでいた。結局、一三は貸付係から預金受付係に左遷されながらも、三井銀行に残った。

⚫︎北浜銀行の設立者の最後
 岩下は、北浜銀行の頭取に就任すると、財界に限らず、軍部の巨頭――山縣有朋、桂太郎、寺内正毅――とも深い関係を結び、衆議院議員となり、大阪を代表する政商となった。
 北浜銀行は、大胆な融資で規模を拡大したが、大正三年、二回にわたって取り付けにあった末、岩下は背任横領に問われて有罪判決を受けた。
 大阪一の料亭とうたわれた大和屋主人、阪口祐三郎は、大阪のために尽くしてくれた、岩下の名誉回復を企てた。
 岩下の事業の中でも、生駒トンネルの開通は大事業で、当初、七十五万円の予算が三百万に膨らんだが、結局、為し遂おおせた。
「岩下さんという方は実に気の毒や。あんな人をほっとくのは、大阪人の恥や、自分のことは放っておいて、大阪に尽くした人やから、ぜひ、銅像を立ててあげたい。ひとつ協力してほしい」と、阪口は一三に持ちかけた。

 一三は、趣旨には賛成したが、御遺族の意向が気がかりだった。
阪口が遺族にもちかけると、御厚意は嬉しいが……という返事だった。
債権者の問題などがあったのだろう。

 阪口は、少女歌劇を最初に企画したのは、自分だと言っている。六十人くらい、芸者を抱えていたので、彼女たちを使って舞台をやったら、と考えていたら、一三に先手を打たれてしまったのだという。

⚫︎阪急電鉄の前身となる鉄道会社を経営することに
 明治四十年、小林一三は、阪鶴鉄道の監査役になった。阪鶴鉄道は、現在のJR舞鶴線と福知山線を経営する私鉄会社だったが、明治三十九年に公布された鉄道国有法によって政府に買収されることになっていた。

 一三が阪鶴の監査役を務めた期間は短いものだったが、新しく大阪を起点とし、池田、宝塚、有馬を結ぶ電気軌道を設立しようとする計画が建てられた。一三は、土居通夫、野田卯太郎ら関西財界のお歴々を相手に、失権株すべてを自分ひとりで引き受けるという、大胆な提案をした。土居らは、一三が自分たちに一切迷惑をかけないこと、会社を解散する場合は株主に証拠金すべてを返し、証拠金五万円は一三が支払うという厳しい条件の下、新しい鉄道――箕面有馬電軌――の経営を一三に委ねた。

 明治四十一年十月、一三は『最も有望なる電車』というパンフレットを一万冊、大阪市内で配布した。パンフレットは、問答形式で編まれている。

「箕面有馬電気軌道会社の開業はいつごろですか」 「明治四十三年四月一日の予定です、先づ第一期線として大阪梅田から宝塚まで十五哩マイル三十七鎖チエーン及び箕面支線二哩四十四鎖、合計十八哩一鎖だけ開業するつもりです、そして全線複線で阪神電気鉄道と凡(すべ)て同一式であります」
「それだけの大仕事が現在の払込金、即ち第一回払込金百三十七万五千円で出来ますか、それとも払込金を取るお考へですか」
「株主が喜んで払込金をする時まで払込を取らなくて屹度と開業して御覧に入れます」

 まさしく、小林一三の面目躍如というべき企画である。当時、広く社会に会社の事業を公表し、賑やかに宣伝するといった経営者は、ほとんどいなかった。一三自身、このパンフレットこそ日本最初のパンフレットだと、自負していたという。
 パンフレットの第二弾は、『如何なる土地を選ぶべきか、如何なる家屋に住むべきか(住宅地御案内)』と題されたもので、当初から一三が鉄道事業と不動産事業の結びつきを目指していることが解る。

⚫︎通勤車両では必ず立っていた一三
 多岐にわたる分野で活躍した小林一三は、多くのエピソードを残している。たとえば、毎日新聞社の名物記者だった阿部真之助はこんな話をしている。
 阿部は宝塚沿線の池田駅近くに長く住んでいた。池田は、一三が分譲した住宅地で、一三も自宅を構えていた。当時、新聞記者は、優待パスを箕面有馬電気軌道から支給されていた。まだ、そんなに乗客が多くない時代で、阿部たちは毎日、座って梅田まで通っていた。

 一三は、毎日、車内では立っていた。
 ある日、たまたま、電車が混んでいた時があった。阿部が座席に座っていると、一三がやってきて、「君、立ってくれんか」と言う。とっさに何を言われているのか分からなかった阿部が、なんでですか、と問うと、一三は、「君は只じゃないか」と返してきた。御本人が立っているのだから仕方がない、阿部はやむなく座席を立った。(『小林一三翁の追想』)

⚫︎部下である岸信介との対立
 昭和十五年七月、一三は第二次近衛内閣の商工大臣となった。一三の部下になった商工次官岸信介は、挨拶に赴いた。一三は、初めから、喧嘩腰だった。

「岸君、世間では小林と岸とは似たような性格だから、必ず喧嘩をやると言っている。しかし僕は若い時から喧嘩の名人で、喧嘩をやって負けたことはない。また負けるような喧嘩はやらないんだ。第一、君と僕が喧嘩して勝ってみたところで、あんな小僧と大臣が喧嘩したといわれるだけで、ちっとも歩がない。負けることはないけれど、勝ってみたところで得がない喧嘩はやらないよ」(『岸信介の回想』)

 一三にも、初の入閣という事態に対して、かなりの気負いがあったのかもしれない。岸が商工省きっての切れ者、実力者であるという認識も、その口吻に影響を与えたかもしれない。岸の、一三に対する評価はかなり厳しい。

「小林さんはなかなか鋭いけれど、たとえば電気の問題でも、この電信柱は背が高すぎるから切ってしまえとか、電気の本質そのものを問題にするのではなくて、それに関連のある問題について、すぐ処置するという傾向があった」(同前)と、指摘している。

 大戦下、商工大臣だった岸は、東條内閣を倒閣するために辞表の提出を拒んだ。戦前の内閣制度では、閣内不一致の場合、当の大臣が自主的に辞表を出さないかぎり、内閣は倒閣してしまう。憲兵隊による執拗な脅迫に対して岸は屈することをせず、東條内閣を総辞職に追い込み、終戦への道筋を作った。この功績は、岸信介にとって安保改定と並ぶ、あるいはより巨きな功績といえるだろう。

 岸は一三にとって敵視するのではなく、懐に入れて働かせるべき人物だった。その岸を、一三が認めなかったのは、残念至極である。

 昭和二十六年、民間放送が認可されて、ラジオ東京(現在のTBS)が発足した時、その運営にかかわることになっていた毎日新聞社専務の鹿倉吉次は、一三に相談した。一三の反応は、思いがけないものだった。
「アメリカでは、商業放送がたいへん発展したのは事実だ。だが、日本では、すでにNHKがあるから、聴取者は、広告放送をきかない。だから成功するはずがないから、止めた方がいい。NHKを分割するならともかく、他に作るのは賛成できない」

鹿倉は、すでに約束したことなので、と謝意を述べ、一三邸を去った。数年後、一三は、鹿倉の家を訪れ、頭を下げたという。
「今日は君に謝りに来た。ラジオに対する見通しを完全に間違えていた、今日はその取り消しにやってきたのだ」(『小林一三翁の追想』)

⚫︎驚くほど扱いが小さかった訃報記事
 小林一三は、昭和三十二年、一月二十五日午後十一時四十五分、急性心臓性喘息により逝去した。八十四歳であった。前年夏から心臓が弱り、一進一退を繰り返していた。調子のよい時期もあって、何度か上京もした。


⚫︎福田和也『世界大富豪列伝 19-20世紀篇』(草思社)
 新聞の扱いは驚くほど小さかった。せいぜい五、六百字程度の記事である。鉄道経営や、住宅、百貨店、舞台興行などへの貢献の大きさには釣り合わない。告別式は一月三十一日、宝塚音楽学校葬として行われた。
 弔辞は石橋湛山総理の代理の平井太郎郵政大臣と天津(あまつ)乙女が読んだ。この日、病気療養中の石橋は岸信介外務大臣を総理大臣に指名し、小林の仇敵に宰相への道を開いた。

 小林の墓は池田の大広寺にある。応永年間に創設されたこの古刹は、代々池田城主の菩提寺であった。閑静な境内の奥、多竹林に囲まれた一角に、小林と妻コウの墓が建っている。地にほどよく苔がついていて、丹精が絶えていないことが窺える。独創と熱心と緻密により、文化と理念と希望を生み続けた人にふさわしい。
「この世の中に私ぐらゐ幸運な人はあるまいと信じてゐる」(「私から見た私」)と書いた男が、そこに眠っている。
ー兵庫県宝塚市、宝塚大劇場前にある小林の銅像

⚫︎福田 和也  作家
1960(昭和35)年東京生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒。同大学院修士課程修了。慶應義塾大学環境情報学部教授。『 日本の家郷』『 教養としての歴史 日本の近代(上・ 下)』『 人間の器量』『 死ぬことを学ぶ』『 昭和天皇』『 〈新版〉総理の値打ち』等、著書多数。



👄学生期に…経営学と伝記で尊敬の創業経営者
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⌘ 量子コンピュータとは? 仕組みや実用化についてわかりやすく解説 202110

2021-10-11 20:44:00 | 📚 豆知識・雑学

量子コンピュータとは? 仕組みや実用化についてわかりやすく解説
  さくマガ より211011


 量子コンピュータとは、量子物理学にもとづく新しいタイプのコンピュータです。

 2021年3月、住友商事がデジタルトランスフォーメーション(DX)の一環に量子コンピュータを活用することがニュースになりました。(参考:日本経済新聞 住商、倉庫作業をDX 量子コンピューター活用)

 量子技術の活用により、社会の変革が期待されています。しかし量子コンピュータについての詳細は知らない方も多いと思います。

 量子コンピュータについて、オックスフォード大学物理学科量子コンピュータ専攻博士課程のジェシカ・ポインティング氏が、わかりやすく解説。Sansan株式会社が開催した「Sansan Innovation Project 2021」に登壇した内容をまとめました。

(Potential Quantum computing~誰もが知るべき、量子コンピュータがもたらす驚きの未来~ Sansan Innovation Project 2021 )
⚫︎量子コンピュータとは
 量子コンピュータとは、量子物理学にもとづく新しいタイプのコンピュータです。すべてのものは、原子で構成されています。

 量子物理学は、その原子の挙動を説明する分野です。超伝導体の原子の挙動を解明できれば、室温や室圧で機能する超伝導体の開発に必要な知見を得られるかもしれません。量子コンピュータによって超伝導体の素晴らしい可能性が開かれるかもしれません。

 超伝導体の実験をはじめて目にしたのは2009年でした。私が13歳のときです。課外授業で英国レディングにあるMicrosoftのオフィスを訪れたときのことでした。会場のディスプレイには、爆発、液体窒素、超伝導体などの目をみはる実験の数々が映し出されていました。

 現実とは思えないものの、世界の仕組みについて納得させられました。このときと現在を比べると、量子コンピューティングの進化は凄まじいです。量子コンピューティングが世界を変える、と私は信じています。

 量子コンピューティングの可能性を認め、量子コンピューティングの力を解明し、大きな進歩を遂げてきました。量子コンピューティングによって世界がどう変わるのか説明します。

⚫︎量子コンピュータで可能になること
 量子コンピュータで何が可能になるのでしょうか。3つの可能性を紹介します。

1つめは、検索と因数分解です。 
 **量子コンピュータで可能になること「検索」
袋に4個のボールを入れます。そのうち3個は白色で、1個は紫色です。袋を混ぜて、この中から紫のボールを探すとします。中は見えません。その場合、紫が出るまで1個ずつボールを取り出していきます。この従来のやり方をするコンピュータを「古典コンピュータ」と呼びましょう。

 量子コンピュータの場合、1個ずつボールを取り出さなくても1回めで紫のボールを探せます。量子コンピュータはこのような処理を高速化します。
 これは実現可能です。量子アルゴリズムがすでに発明されています。グローバーという研究者がこのアルゴリズムを発明しました。グローバーは非構造化検索の高速化が可能であることを証明しました。

 データベース内にn個のエントリーがあるとしましょう。古典コンピュータで特定のエントリーを見つけるには、n回の試行が必要です。量子コンピュータなら、最大ルートn回で見つけられます。
 このように量子コンピューティングは、非構造化検索を高速化します。

 **量子コンピュータで可能になること「因数分解」
 続いて、因数分解の話です。複雑な617桁の数字があるとします。その積を求める2つの数字を見つける処理は、古典コンピュータだと最大10億年かかるといわれています。しかし、量子コンピュータでは100秒で計算できる予想です。ありえないスピードです。

 MITのピーター・ショア教授がアルゴリズムを発明し、これが可能であると証明されていますが、重大な問題もあります。それは、この計算が暗号化に使われているからです。
 暗号化によってクレジットカードや銀行口座の機密情報が守られています。古典コンピュータでは、このような2つの数字を特定できなければ、データを復号できません。つまり、安全です。

 ところが、量子コンピュータの計算能力なら、この2つの数字を見つけられます。データを復号できるのです。これは重大な問題であり、対策が必要です。これほどの処理が可能な量子コンピュータは、2021年のいまはまだ存在しませんが、いつかは実現します。量子コンピュータに対抗できる新たな暗号化方式を考えることが必要です。この分野をポスト量子暗号といいます。新たな方式が模索されていて、すでにいくつか発明されています。問題になる前に課題解決すべきです。

⚫︎量子コンピュータで広がる可能性「自然の解明」
 2つめの可能性は、「自然の解明」です。この世界のあらゆるものは原子で構成され、量子物理学の法則に従っています。そのため、量子系である量子コンピュータを使用し、シミュレーションがおこなわれるでしょう。

 これが実現すれば、さまざまな応用が可能です。医薬品で考えてみましょう。体内の分子に作用し、なんらかの問題を治癒する新薬を開発する場合、量子コンピュータを使えば分子のシミュレーションが効率化されます。創薬プロセスが高速化し、新薬の発見にもつながるかもしれません。

 ワクチンはどうでしょうか。ワクチン開発には時間がかかります。しかし、量子コンピュータで分子のシミュレーションが加速されれば、ワクチン開発を加速できるかもしれません。

 材料科学はどうでしょうか。この分野も、分子と原子の世界です。シミュレーションが可能になれば、携帯電話やノートPCに使える軽量で高強度の材料を見つけられるかもしれません。

 このようにさまざまな応用が利きます。

⚫︎量子コンピュータで広がる可能性「機械学習とAI」
 3つめの可能性は機械学習とAIです。コンピュータの目覚ましい発展と共にAIも進歩してきました。量子コンピュータもAIの進歩に貢献するかもしれません。量子機械学習という分野があります。バズワードのようですが、基礎となる数学に注目するとピタッとはまります。

 量子コンピューティングの基本は、大量のベクトルと行列です。機械学習も非常に似ており、ベクトルと行列の世界です。この2つをマッピングできます。

 以上、3つの可能性を紹介しました。量子コンピュータによって、いまは解決できない問題が解決できるかもしれません。これはとても重要なことです。世界が変わる可能性があります。

⚫︎量子コンピュータの仕組み
 友人にメッセージを送るとき、古典コンピュータでは裏側で何が起こっているでしょうか。わかりやすいように、ドーナツを使って見ていきましょう。

 私たちが英語や日本語を使うように、コンピュータもバイナリという言語を使っています。メッセージは0と1の羅列からなるバイナリに変換されます。この0や1がビットと呼ばれるものです。これが古典コンピュータにおけるビットの概念です。

⚫︎量子ビットとは
 では、量子コンピュータではどうでしょうか。
量子コンピュータが使う量子ビットも0と1です。ただし、量子物理学にもとづいているため、アクセスできる量子ビットの数が増えます。主な量子効果の1つに「重ね合わせ」という概念があります。0と1が組み合わさった状態です。

 回転しているドーナツを想像してください。0も1も見える状態です。この重ね合わせが非常に強力です。たとえばドーナツの箱を2つ開け、2つのドーナツを見るとします。両方ともプレーンな面が上であれば「00」です。プレーン面とコーティング面なら「01」、コーティング面とプレーン面なら「10」、両方コーティング面なら「11」となります。

古典コンピュータでは、一度にいずれかの組み合わせしか確認できません。
量子コンピュータでは、一度に4通りすべての組み合わせを確認できます。

なんとなく量子コンピューティングの力の概念が伝わったでしょうか。

⚫︎量子ゲートとは
 古典コンピュータのゲートは、論理ゲートを使います。0のビットを「NOTゲート」という論理ゲートに通すと、1に反転して出力されます。これがコンピュータの基本です。論理ゲートから基本的なモジュールを構成し、それを回路チップ、回路、コンピュータへと組み立てます。簡単に示すとこのようになっています。

 量子コンピュータも同様です。量子ゲートを使います。量子ゲートは、量子ビットの挙動を変えます。量子コンピュータにもNOTゲートがあり、0のビットをNOTゲートに通すと1に反転されるのです。逆に1のビットをNOTゲートに通すと0に反転されます。ここまでは、古典コンピュータでも可能であり、量子効果はありません。

 特別なのは「アダマールゲート」という量子ゲートです。アダマールゲートは量子ビットを重ね合わせの状態に変換します。
つまり、回転するのです。量子効果のある量子ゲートは他にもあります。
 量子コンピュータにおいて、量子ゲートはどのような位置づけでしょうか。ケーキ作りを例に考えます。

 ケーキを作るとき、レシピには泡立て器などの調理器具で卵などの材料を変化させ、ケーキを仕上げるまでの手順が書かれています。量子コンピュータもこのような構造です。

 レシピは量子アルゴリズムに相当します。調理器具は量子ゲート。材料は量子ビットです。量子ゲートは量子ビットを変化させて解を導きます。

⚫︎量子コンピュータのプログラミング方法
 昔は古典コンピュータも科学者しか使えませんでした。ところが1970年代になると、コンピュータは誰でも自宅で使えるものに変化し、テクノロジーの可能性が模索されました。量子コンピュータも同じです。科学者しか使えないと思うかもしれませんが、そんなことはありません。2016年、IBMはクラウドから誰でも使える量子コンピュータをリリースしました。

 量子コンピュータのプログラミングには、量子ゲートを使います。IBM Quantum Experienceで、誰でもインターネットから利用できます。
 IBM Quantum Experienceを見ると2つのラインがあり、上のラインが量子ビットに相当します。量子ビットを重ね合わせの状態に変換する場合は、アダマールゲートを該当の量子ビットにドラッグし、右上のRunをクリックしてください。すると、量子コンピュータ上で実行されます。

 現状は量子コンピュータに限界があるため小規模なユースケースです。しかし、さまざまな応用ができます。たとえば実際の量子デバイス上に量子ニューラルネットワークを構築することや、バス路線の最適化なども可能です。

 量子アルゴリズムや量子アプリケーションの量子効果を利用した新しい方法で問題を解決し、より素早く良い結果を導くことを目指しています。

 以上が、量子ビット、量子ゲート、量子コンピュータのプログラミング方法です。

⚫︎量子コンピュータの進歩
 続いて量子コンピュータの進歩について説明します。ここではハードウェア面に注目します。

 古典コンピュータの場合、おもなビルディングブロックは0と1のビットです。ここにトランジスタを適用します。電子の流れを制御して、ビットを機能させるものです。トランジスタ以外に真空管なども使われていたことがあります。

 しかし、トランジスタのほうが安価で拡張性や利便性、信頼性も高いため、現在はトランジスタが使われています。このように古典コンピュータの構築方法が1つではないように、量子コンピュータもさまざまな方法で構築可能です。

⚫︎構築可能な方法
 超伝導体を使って量子ビットを構築できます。正味電荷を空間内に閉じ込めた原子である補足イオンや、光子やダイヤモンドも使用可能です。

 それぞれの方法に強みと弱みがあります。現在は古典コンピュータにおけるトランジスタに匹敵するものを探している段階です。

 量子コンピュータを構築するだけではなく、拡張して信頼性を上げ、コストを下げる方法を探っています。

 続いて2019年に起きた重大な進歩を紹介します。2019年以前にも量子コンピュータはありましたが、量子コンピュータでできることは古典コンピュータでもできました。量子である必要がなかったのです。そこでGoogleが、量子コンピュータで世界最高の古典コンピュータ「スーパーコンピュータ」を超えるための実験をしました。

 問題を構成して量子コンピュータ上で実行したところ、200秒かかりました。世界最高のスパコンの所要時間を計算したところ1万年でした。驚愕の数字です。

 厳密な数字については異論もありますが、原則は同じです。量子コンピュータが古典コンピュータを超える可能性があると実証されました。ただし、このケースでは用意した数学の問題が使われました。実世界ではあまり応用が利きません。次に目指す大きな目標は、「量子アドバンテージ」と呼ばれるものです。

⚫︎量子アドバンテージとは
 量子アドバンテージとは、量子超越性の実験にもとづく実用化を意味します。ビジネスや人々に影響を与えることを目指します。これが量子コンピューティング分野における次の大きな目標です。

 この目標に向けてさまざまな研究がおこなわれており、とくにハードウェアの向上とアルゴリズム開発が進められています。ソフトウェア理論や応用アルゴリズムのみを研究している組織もあれば、ハードウェア構築や応用の研究をしている組織もあります。上場企業では、Google、Microsoft、IBM、Alibaba、NECなどです。大学では上海大学、東北大学、MIT、ハーバード大学などが研究に取り組んでいます。今後が楽しみです。

⚫︎量子コンピュータ まとめ
 量子コンピューティングの可能性について紹介しました。

 新たな可能性が開かれれば、量子コンピュータへの参入が増えてエコシステムが構築されます。世界が変わるのも時間の問題です。



⚫︎ジェシカ・ポインティング 氏 プロフィール
オックスフォード大学物理学科量子コンピュータ専攻博士課程。スタンフォード大学コンピュータ科学学科博士課程をナイトヘネシー奨学生として卒業。マサチューセッツ工科大学にて学士号取得後、ハーバード大学物理学科、コンピュータ科学学科にて学士号を取得。Forbes 30 UNDER 30にてサイエンス部門で受賞。世界経済フォーラムグローバル・フューチャー・カウンシルでQuantum Applications委員会メンバーに選ばれた。量子研究者としてKBR, NASAエイムズ研究センター、ソフトウェアエンジニアとしてGoogle、経営コンサルタントとしてマッキンゼー&カンパニー、投資銀行家としてゴールドマン・サックス、戦略家としてモルガン・スタンレーにてインターンを経験。TEDx、IBMThink、Oracle Code Oneにて登壇。McKinsey Women's Impact Awardを受賞。
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執筆・編集  さくマガ編集部
さくらインターネット株式会社が運営するオウンドメディア「さくマガ」の編集部。
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