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深刻化する“友達のいないおじさん”問題。なぜ中高年男性は遊びに誘えないのか 202212

2022-12-27 22:19:00 | なるほど  ふぅ〜ん

深刻化する“友達のいないおじさん”問題。なぜ中高年男性は遊びに誘えないのか――2022年トップ10
  日刊SPA!  より 221227


 2022年、日刊SPA!で反響の大きかった記事からジャンル別にトップ10を発表。
今年、色々な分野で話題になった人物に注目。特定の個人ではないものの「話題の人」部門に選ばれた第4位は、こちら!(集計期間は2022年1月~11月まで。初公開日2022年8月12日 記事は取材時の状況)
 *  *  *

◆なぜ友達のいない中高年男性は遊びに誘えないのか 
 友達が少ない・いない中高年男性が問題視されている。孤独の健康リスクは飲酒や喫煙を凌ぐとも言われており、早急に対応しなければいけない。
 中高年男性に友達がいない理由として様々な要因が想定されるが、そもそも“人を誘えないこと”にあるのではないか。誘える中高年男性を増加すれば孤独化することはなく、健康を害す心配もない。とは言え、自発的に誘える中高年男性はそうそういない。

 そこで中高年男性が人を誘えない理由、どうすれば誘えるようになるのかなど、『世界一孤独な日本のオジサン』(角川新書)の著者・岡本純子氏に話を聞いた。

◆誘ったら負け
 そもそも、友達が少ない・いない中高年男性は世界的な問題らしい。その理由として岡本氏は「“男らしさ”に支配されがちだから」と解説する。
「男性は年を重ねるごとに『一人で強く生きるべきだ』といった“男らしさ”に支配されて他者との交流に抵抗感を覚える、という研究結果は世界的に見られています。加えて、今の中高年世代の中では、男性同士が仲良くすることが『ホモセクシュアル的だ』ととらえられてきたことも大きいです」

 次に誘えないことの影響について、「もちろん、女性でも誘えない人は多いため中高年男性に限った話ではありません」としつつも、「やはり自発的に行動しなければ関係性は生まれないため、誘えないことは中高年男性の孤独化に関係しているでしょう」と話す。そして、人を誘えない中高年男性の特徴を説明した。

「迷惑やプライド、恥といった意識が人を誘うことのハードルになっています。まず、『仕事で疲れているかもしれないから』『休日は子供と過ごすだろうから』など、その人を気遣って誘いたいけど誘えない、という心理は結構あります。とはいえ、他者に配慮したものばかりではありません。
 そもそも「忙しい」「めんどくさい」ので、自分から誘うことに抵抗を覚える人もいます。

◆断られることを怖がる
『世界一孤独な日本のオジサン』(角川新書)の著者・岡本純子氏
 続けて、「これは日本人に顕著ですが、誘うこと自体に恥ずかしさを覚えてしまい、誰も誘えないこともあります」という。
「本来は幼少期からトライ&エラーを繰り返して、恥に対する耐性を育むのですが、『失敗してもいいから挑戦しよう』という空気があまり日本にはありません。何をするにも羞恥心が生じてしまい、誘いたいけど誘えない、という心理が働いてしまいます。
 また、恥と通じている部分もありますが、『断られたらどうしよう』『友達として認識されているのかな……』といった恐怖心から人を誘えない人も少なくないです。これも恥と同様、人とコミュニケーションをする機会が多ければ、そうした恐怖も感じなくなるわけですが、そういった経験が乏しいためにどうしても受動的になってしまい、どんどん孤独になってしまうケースもあります」

◆口実づくりが重要
 恥やプライドなどと折り合いをつけても、いざ誘うとなるとやはり抵抗感が生まれる。中高年男性はどのように誘えば良いのだろうか。
「まずは“口実づくり”が大切です。女性は話すことを目的にして集まることが多いため、口実を用意する必要はありません。しかし、『話したいから誘う』ということは男性では稀です。お酒もなく、『今度会って話そうよ』という誘いには戸惑う人もいるかもしれません。
 口実づくりの重要性を示し、岡本氏は「そこでイギリスの“男の小屋(メンズ・ジェッド)”という取り組みが参考になります」と提案する。

「この取り組みは、“男性は面と向かって話すのではなく、肩を並べて、スポーツや仕事のような共通の目的に向かって作業をするほうがコミュニケーションが円滑に行く”という前提のもと、国内のいたるところにDIYができる場所を設ける、というもの。
 会話をせずとも一緒に作業することで、仲間意識が芽生え、“誰かの役に立っている”という充実感を覚えます。ですので、コミュニケーションの目的を作るのが得策。テニスでもゴルフでもスポーツ観戦でも、何か口実があれば、誘いやすくなります」

◆副業という選択肢
 ただ、岡本氏は無理に誰かを誘う必要はないと口にする。
「他人にも趣味にも興味関心を持てない人もいます。なにより、中高年男性は対等な関係を築くことが難しく、どうしても肩書きや年齢に囚われてお互いマウントしてしまいがちな人も少なくありません。
 そこで、副業のように仕事を新たに始めるのもの手です。『退職後はボランティア活動といった活動を積極的にやったけど、どれも性に合わずに結局は仕事に戻ってきた』という男性もいます。先述した通り、“仕事”という共通の目的があれば、コミュニケーションのハードルが一気に下がるのでオススメです」

◆「孤独=悪」ではない
 これまで友達の誘い方、居場所の見つけ方に関する提案を聞いたが、岡本氏は「別にムリをして友達を作る必要はありません」と「孤独=悪」ではないと語る。
「これからはおひとりさまの時代を迎えるため、別に友達がいなくても生きやすい時代になります。そもそも、万が一病気になった時、友達が面倒を見てくれるわけではありません。

 仮に病気になった時は看護師さんやケースワーカーさんなど、いろいろな方が力を貸してくれるはずです。また、日常生活を送る上でも、スーパーの店員さんや飲食店の料理人さんなど、いろいろな人に支えられながら私達は生活しています。そういう人達に対して礼節を持って接し、社会とのつながりを維持していくことが、大切なのではないでしょうか」
 “友達のいない中高年男性”と聞くとネガティブなイメージが根強いが、「独りのほうが気楽」という人も一定数いる。「誘いたいけど誘えない」と悩む必要はなく、自分が心地いいと思う人間関係を作る方法を自分なりに探し出してみるといいのではないだろうか。


取材・文/望月悠木
【望月悠木】 フリーライター。主に政治経済、社会問題に関する記事の執筆を手がける。
今、知るべき情報を多くの人に届けるため、日々活動を続けている。
Twitter:@mochizukiyuuki


💋夫婦円満、家族円満、縁者円満の大切さ。
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🔢 男が選ぶ「嫌いな男」トップ10。 202212

2022-12-27 22:07:00 | 🔟 番付色々🆚

男が選ぶ「嫌いな男」トップ10。10位は香川照之、2位は坂上忍
  日刊SPA!  より 221227


 32回目を迎えた週刊SPA!恒例企画。30歳から49歳までの男性500人にアンケートを実施し、ʼ22年を象徴する男たちを選出した。

◆「嫌いな男」1位に返り咲いたのは…
’17~’21年まで5年連続嫌いな男部門1位だった坂上忍が殿堂入りを果たすかと思いきや、’22年は2位に陥落。今回1位に輝いたのは、元祖嫌われ芸人・出川哲朗だ。
「上司にしたくない男」1位、「部下にしたくない男」1位、「結婚したくない男」1位、「この顔になりたくない男」1位と、「嫌いな男」を含め5冠を達成した。

 読者からは「テレビに出すぎ、暑苦しい」(36歳・ITストラテジスト)、「顔がうるさすぎる」(45歳・小売業)と辛辣なコメントが並ぶ。近年は好感度ランキングでも名前が挙がっていたが、露出が増えると煙たがられるという人気者の宿命か。

◆YouTubeで活躍した面々や政治家もランクイン

そんななか、’22年の「嫌いな男」部門に突如参戦したのが、ゆたぼん(4位)、ひろゆき(6位)、へずまりゅう(7位)。いずれも’21年は圏外だったYouTubeで活躍した面々が台頭し、新時代の潮流を感じさせる結果となった。

また、「嫌いな男」部門にウラジーミル・プーチン(4位)、現首相の岸田文雄(9位)と政治家2人がランクインしているのは、政情不安の表れか。’22年は芸人や俳優のみならず、政治家、YouTuberなど各界入り乱れての混戦となった。

◆嫌いな男TOP10
’17~’21年まで、5年連続「嫌いな男」部門1位だった坂上忍は2位に

1位 出川哲朗 25票(前回5位)
2位 坂上 忍 21票(前回1位)
3位 クロちゃん(安田大サーカス) 16票(前回圏外)
4位 ウラジーミル・プーチン 13票(前回圏外)
4位 ゆたぼん 13票(前回圏外)
6位 ひろゆき 11票(前回圏外)
7位 へずまりゅう 10票(前回圏外)
7位 木村拓哉 10票(前回7位)
9位 岸田文雄 8票(前回圏外)
10位 香川照之 6票(前回圏外)
【次点】ナダル(コロコロチキチキペッパーズ)、宮迫博之、ryuchell、安倍晋三

◆上司にしたくない男TOP5
香川照之は「嫌いな男」部門10位、「上司にしたくない男」部門4位に

1位 出川哲朗 32票
2位 明石家さんま 25票
2位 坂上 忍 25票
4位 香川照之 16票
5位 木村拓哉 13票
【次点】クロちゃん(安田大サーカス)、ウラジーミル・プーチン

◆部下にしたくない男TOP5
1位 出川哲朗 26票
2位 クロちゃん(安田大サーカス) 21票
3位 へずまりゅう 10票
3位 小室 圭 10票
3位 ゆたぼん 10票
【次点】ナダル(コロコロチキチキペッパーズ)、坂上 忍、ryuchell

◆結婚したくない男TOP5
1位 出川哲朗 48票
2位 クロちゃん(安田大サーカス) 22票
3位 江頭2:50 13票
4位 坂上 忍 11票
5位 渡部 建(アンジャッシュ) 9票
【次点】堀江貴文、明石家さんま、太田 光(爆笑問題)、香川照之

◆この顔になりたくない男TOP5
1位 出川哲朗 58票
2位 稲田直樹(アインシュタイン) 28票
3位 クロちゃん(安田大サーカス) 21票
4位 江頭2:50 20票
5位 日村勇紀(バナナマン) 15票
【次点】ナダル(コロコロチキチキペッパーズ)、岩尾 望(フットボールアワー) 


※12/27発売の週刊SPA!特集「[第32回]男が選ぶ[好きな男・嫌いな男]」より
取材・文/週刊SPA!編集部 
―[[第32回]男が選ぶ[好きな男・嫌いな男]]―
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⚠️ 《日本はなぜ没落したか?》匿名の学者集団「グループ1984年」が発表した“すごい予言” 202212

2022-12-27 22:00:00 | ¿ はて?さて?びっくり!

《日本はなぜ没落したか?》匿名の学者集団「グループ1984年」が発表した“すごい予言”
  文春 onlain より 221227  佐伯 啓思


 匿名の学者集団による没落の予言が時代を超えてよみがえる――。京都大学名誉教授の佐伯啓思氏の「『日本の自殺』を読み直す」(「文藝春秋」2023年1月号)を一部転載します。

◆◆◆

⚫︎「日本の没落」を高々と予言した
 本誌に「日本の自殺」と題する論考が発表されたのは1975年2月特別号であった。
その刺激的なタイトルが当時の論壇に多大な刺激を与えたことは想像に難くないが、話題提供はタイトルだけのことではない。
 確かに70年代の初頭には、戦後日本を支えた高度成長の終焉という気分が広がっていた。成長よりも環境へと世論は風向きを変えており、74年の成長率はマイナスになる。また列島改造を掲げて登場した田中角栄はこの74年に権力の座から退場していた。

 世界を見ても、71年のニクソン・ショック、73年の第四次中東戦争から石油ショックによる先進国の経済混乱は世界同時不況やスタグフレーションを引き起こそうとしていた。
 日本もその混乱の渦に巻き込まれていたとはいえ、それほど強い危機感に覆われていたわけではない。まだ高度成長の余熱はあったし、アメリカの混乱をよそに、先端産業の競争力への期待も多分にある。そういう時代に「日本の没落」を高々と予言したのが本論文である。

  掲載された実際の誌面(「文藝春秋」1975年2月特別号)

 著者名に「グループ一九八四年」とある。匿名の学者集団である。グループ名から推測できるように、本書は、オウエルの『一九八四年』をもじって、10年後の日本を予測するものともみなされた。

 では10年後、どうなったのか。80年代の半ば、日本は85年のプラザ合意によって点火されたかのようにバブル経済へ突入する。若い女性を中心として高級ブランド品の消費ブームが沸騰し、人々は明かりに群がる蛾の群れのように不夜城で踊っていた。
 1人当たりのGDPでほぼアメリカと並ぶまでになり、文字通り、戦後の悲願であった「アメリカへ追いつけ」が現実化しつつあった。

 それはまた、世界的な経済混乱の70年代後半を日本は見事に乗り切ったことを示している(この時期の成長率は4.4%である)。この頃、日本は、半導体、自動車、家電、機械などの先端産業分野で世界を牽引するまでになり、日米間に激しい「経済戦争」を引き起こす事態となっていた。少し後のバブル期になるが、私は、何人かの経済系の評論家やビジネスマンから「このままでいけば、日本は全く向かうところ敵なし、一人勝ちになるぞ」というようなご宣託を何度か聞かされたことを思いだす。

 では本書はカッサンドラの予言にも似て、誰にも信じてもらえない陰鬱な予言だったのだろうか。決してそうではない。それどころではない。本論文を読めば、この「グループ」の高い先見性に驚かされる。しかもそれは、われわれが、あの虚栄の80年代を知っておればこそ、なのである。

⚫︎日本の本当の課題はどこにあるのか
 75年に発表された論文は、2012年(平成24年)に『文藝春秋』3月号に再録され、また同年に文春新書『日本の自殺』として書店にならぶこととなった。
 2012年といえば、前年に東日本大震災や福島の原発事故に見舞われ、民主党政権下、政治も経済も社会状況も混迷をきわめ、この年の総選挙後に第二次安倍政権が誕生するというその矢先である。

 そしてその後また10年が経過した。この10年をどう評価するかは難しい。アベノミクスの評価も難しい。新型コロナの3年があり、ロシアのウクライナ侵略があり、米中対立があり、混乱は世界中をかき回している。
 だが世界情勢はひとまずおいても、確かなのは、大半の日本人が「日本の没落」をかつてなく強く感じ取っているということだ。「日本の一人負け」などという自虐的な嘆息も聞かれるが、このままでは「日本に将来はない」という悲観的気分がこの列島に広がっている。

 だが、どうしてなのか。何が問題なのかとなると答えは判然としない。人口減少が原因なのか、グローバリズムと情報化に乗り遅れたからか、改革が進まないからなのか、財政赤字が問題なのか、イノベーションの出遅れと生産性の低下が問題なのか、政府の失政なのか、企業家の意識が低いからか、古い習慣と規制のせいなのか、はたまた中国が悪いのか。
 毎月の論壇誌や新聞・テレビ等のマスメディアを見れば、ありとあらゆる犯人捜しが掲載され、その候補は出尽くしている。だとすれば、それぞれの犯人候補を断罪すればよいわけで、「こうすれば日本は復活する」式の勇ましい提言も次々と繰り出される。

 こんな状態が、長く見れば、バブル崩壊の90年代以降30年以上続いているのである。
そして、実際には、そのけたたましいほどの百家争鳴がかえって事態を混沌とさせているのではなかろうか。「専門家」と称するものの見解が対立し、誰も確かな見通しを持つことができない。また、多岐の分野において問題はいくらでも指摘できるし、その分野の専門家もいくらでもいる。専門家のアドヴァイスのもと、政府も何らかの対策を打ち出す。
 だがすべてが場当たり的で、そこに全体像が見えないために、結局、何をやってもうまくいかない。30年にわたって「改革」が連呼され続けてきたにもかかわらず、ほぼゼロ成長で、政治への信頼は失墜したままだ。

 おそらく、本当の課題は、特定の分野にあるのではなく、それを全体として見る見取り図の欠如にあるのだろう。歴史や世界を見渡し、そのなかで日本の図像を描き出す指針がなくなってしまったのである。見取り図の描きようがないのだ。
 だから、財政、イノベーション、所得格差、福祉、高齢化、教育、災害、環境、エネルギー、少数派の権利、それに安全保障(防衛)など、いくらでも個別の「問題」は指摘でき、それぞれの分野で「識者」が持論を述べる。確かに問題は山積している。だが、それをトータルに見る「文明論」が欠如している。われわれは、いかなる文明の中にいるのか。この文明の現状はいかなるものなのか。こうした論点がすっぽりと欠落しているのである。

⚫︎ローマ帝国の衰退を参照して日本を論じる
 そこで『日本の自殺』を改めて読みかえしてみる。本書の最大の特徴は、何といっても、「日本の衰退」を壮大な文明論的な観点から論じ、しかもその文明論としてかの「ローマ帝国の衰退」を参照するという創見にある。
 ローマ帝国の衰退は、ゴート族やペルシャ人などの外部の「野蛮」の侵攻によって引き起こされたのではなく、その内部からの自壊にあった。ローマの崩壊は、その都市化、領土の拡張、富の蓄積、大衆の消費文化や享楽などといったローマの成功そのものの帰結だ、というのである。

 言い換えれば次のようになる。ローマの成功は経済的豊かさと巨大な都市化をもたらした。だがそれこそが伝統的共同体の破壊と大衆社会化状況を出現させ、その結果、市民・大衆の判断力や思考力が衰弱し、「パンとサーカス」という活力なき福祉国家へと行き着いた。そのことが福祉コストの増大やインフレを招き、また放埓なまでの自由、エゴイズム、悪平等、道徳観念の欠如を蔓延させるという悪循環へとローマを沈めていったのである。

 しかもこれはローマに限らず、普遍的な文明没落の法則とでもいうべきものであろう。この文明没落のサイクルをローマ人は自覚することができなかった。したがって、ローマは蛮族による侵入ではなく、市民の「魂」の荒廃によって、つまり自らの「内なる野蛮人」によって崩壊した。自壊していったのである。

⚫︎大人が子供に合わせようとする社会に
 ローマの崩壊についてのこの解釈は特に目新しいものではなく、モンテスキューやギボンのローマ帝国衰亡史を踏襲したものといってよいが、本書の白眉は、この「文明の没落観」を70年代から80年代の日本に重ね合わせて、驚くべき説得力を発揮した点にある。
 論文が掲載された75年に著者たちはすでに次のように論じていた。いくつかのポイントがある。

 日本が達成した豊かさの結果、人々は精神の自立を失って、大量生産・大量消費に依存する万事「使い捨ての生活」へとなだれ込んだ。
 社会はマーケティング戦略に踊らされ、新奇なもの、一時のものに高い価値を与え、その結果、欲望はたえまなく刺激されて肥大化し、精神や生活の安定は失われる。

 また、大衆社会化は、豊かさを社会全体に行き渡らせたものの、その代償として、人間の思考力、判断力、それに倫理的能力の全般的衰弱と幼稚化をもたらした。こうした社会は、子供を大人に引き上げようとはせず、逆に大人が子供に合わせようとする。
「適切なことと適切ではないこと」を見分ける繊細な判断力の欠如、他人の意見に対する尊重の欠落、過大なまでの自己愛。まさしくかつてホイジンガーが述べた現代文明の「幼稚化(ピュアリリズム)」そのものである(ホイジンガー『あしたの陰りのなかで』1935年)。

 さらに、情報化が、人々から直接的経験の感覚を奪い取ってゆく。マスコミの発達や大衆教育の普及は高度文明のあかしであるが、同時にそれは知力の低下や倫理力の全般的衰弱をもたらした。
 人々は、品質の悪い情報環境に取り囲まれて、皮相な知識や真偽不明のあやうい情報の受け売りに終始し、自分自身の直接的な経験をしっかりとみつめて自分の頭で物事を考えることを停止した。

 そこで、経験の希薄化に対して、記号的な世界が膨張する。人々は、マスコミによって見せつけられる膨大な記号的世界をいわば「疑似経験世界」とみなしてしまい、場合によっては現実とは似ても似つかない虚構の世界に身を委ねることになる。情報世界と現実世界の乖離は、現実生活において様々な不適応を引き起こすだろう。
 かくて社会的規模での「情報過多による神経症」が出現する。ここでもまた、情報化は、人々の思考力、判断力、それに情緒性を衰弱させ、文明のもたらす幼稚化と野蛮化をとめどなく拡大してゆくであろう。

 最後にもうひとつ述べておけば、文明の発達は多かれ少なかれ「平等主義のイデオロギー」を生み出した。ところがそれは、共同体を解体し、大衆社会化状況を作り出し、社会を風化し砂漠化してゆく。
 要するに、社会は砂粒のようなバラバラな個人の集まりとなって確かな秩序をもたなくなる。

⚫︎「戦後民主主義」は「疑似民主主義」
 日本の場合、その典型が「戦後民主主義」や戦後の「民主教育」であった。たとえば、教育現場ではあえて成績のランクをつけず、人間の個性化や教育の多様化を排し、しばしばクラスの平均や底辺に水準を合わせた画一的教育が行われた。また、「民主教育」の推進者たちはエリート主義を否定したが、その結果として、たとえば「東大生もまた勇気あるエリート意識を喪失して幼稚化しつつある」。
 要するに、戦後民主主義の風潮のなかで、責任あるエリートが育たなくなったのである。

 戦後民主主義はまた、次のような特徴を示していた。
第一に、それは,批判を許さない独断的で非経験科学的なドグマであった。
第二に、それは,多元性を認めない全体主義的要素をもっていた。
第三に、それは,もっぱら権利の主張に傾き、責任と義務を軽視した。
第四に、それは,政治的指導者に対して強い批判を投げかけるものの,建設的な提案はしない。
第五に、それは,エリート否定の半面として大衆迎合的であった。

 このように著者たちは主張している。むろん、これは民主主義そのものの否定ではない。戦後民主主義は真の民主主義ではなく「疑似民主主義」であった、と彼らはいう。
 真の民主主義は、決して大衆迎合をしないエリートや政治的指導者を必要とするのであり、社会集団や階層や意見における多元性を決して崩そうとはしないし、社会を画一化し、全体主義化するものではありえない。
 だが、日本の戦後民主主義のもつ平等主義(悪平等)のイデオロギーこそが、社会の均質化と画一化を推し進め、社会から活力をそいでいった。

 これが「日本の自殺」のプロセスだ。しかも、それは、ほとんど「文明の法則」とでも呼びたくなる歴史過程にほかならない。
 そこで著者たちはいくつかの教訓を引き出した。列挙しておこう。
第一に、国民が狭い利己的な欲求の追求に没頭したとき、経済社会は自壊する。
第二に、国民は自分のことは自分で解決するという自立の精神をもたねばならない。福祉主義はそれを壊す。
第三に、エリートが「精神の貴族主義」を失って大衆迎合に陥ったときに国は滅ぶ。
第四に、年上の世代はいたずらに年下の世代にへつらってはならない。
第五に、人間の幸福は決して賃金の額や年金の多寡や、物量の豊富さによって計れるものではない。人間を物欲を満たす動物とみなすとき、欲望は際限なく膨らみ、人は常に不平不満にとりつかれる。

 戦後日本は、確かに、物質的にはめざましい再建を果たしたが、道徳は荒廃し、魂は荒みきっている。日本はその個性を見失って茫然と立ち尽くしている。このように本書は述べるのである。



京都大学名誉教授・佐伯啓思氏による「『日本の自殺』を読み直す」全文は、「文藝春秋」2023年1月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載しています。

(佐伯 啓思/文藝春秋 2023年1月号)
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⚠️ GM作物は食べたくないのに輸入する日本人の身勝手 202212

2022-12-27 21:24:00 | 気になる モノ・コト

GM作物は食べたくないのに輸入する日本人の身勝手さ
 Wedge より 221227     唐木英明


 日本では遺伝子組換え作物(GM)の栽培が法律的には可能だが、反対運動により食用作物は全く栽培していない。
 その一方で、海外から多量のGMを輸入している。一見不合理なことをしているように見えるが、実はそうとも言えないのだ。GMをめぐる世界の複雑な事情を考えてみたい。

⚫︎農家の夢
 GMの商業栽培が1996年に始まってから四半世紀。その間のGMの広がりは驚異的だった。バイテク情報普及会によれば2019年には世界各国の1億9040万ヘクタールの耕地でGMが栽培されている。これはロシアの全耕地とほぼ同じであり、日本の耕地面積433万ヘクタールの44倍だ。

 GMがこれほど広く受け入れられている理由は、農業労働を削減するためだ。
農業の3つの大敵は、雑草と害虫と作物の病気だが、GMはこれらの問題を解決するために開発された。

 雑草の除去は機械化が難しいため多くの人手と時間を要し、農業経営を圧迫する。除草剤耐性品種は、除草剤を散布しても枯れない。だから畑全体に除草剤を散布すると雑草だけが枯れて、作物には何の影響もない。人手も経費も大きく削減され、家族農業が可能になった農家も多い。

 害虫抵抗性品種は、害虫には有毒だが人には無害な成分を含む。高価な殺虫剤が不要になり、農家には大きな経済的利益になった。

 作物の病気対策の例として、ハワイでウイルスによるパパイアの病気が広がり、生産が大きく落ち込んだことがある。この危機を救うためにウイルス抵抗性のGMが開発されて、生産は劇的に回復した。

 現在、世界で栽培されているGM作物の大部分は除草剤耐性品種、害虫抵抗性品種、そして一つの作物にこの2つの性格を持たせたスタック品種の3種類である。

⚫︎環境保護の敵
 第二次世界大戦が終わり、先進国では経済が成長し、生活は豊かになった。しかしその暗い面として化学物質公害が起こり、反公害運動や反化学物質運動が起こった。

 1970年代から環境運動が盛んになり、多くの環境団体が生まれた。それらの多くは寄付金で活動しているが、寄付を集めるために分かりやすい攻撃目標を設定し、実力行使まで行う団体も出てきた。捕鯨船に体当たりして批判された反捕鯨団体はその典型だが、GMは多くの団体の攻撃目標になっている。

 彼らの手法は、GMが危険であるような偽情報を大量に拡散することだが、ネット住民は「いいね」を獲得するために陰謀論などのありえない話を好んで拡散する。GM危険論もまた面白い話として世界に広がった。
 そんな虚偽を真実と勘違いする人が多いことは、トランプやプーチンが発する明らかに事実に反する言動を信じる国民が一定数いることからも理解できる。

 環境団体と一体となって反対運動を進めるのがオーガニックビジネスだ。反GM、反農薬で両者は協力し、反対運動が広がるほどオーガニックの売れ行きが上がり、それが運動資金になる。

 こうしてGM危険論はネット社会では「常識」になり、現実社会では農薬と並んで環境保護の最大のターゲットになった。すると反GMを支持する政治家が出て来る。
 その結果できたので2006年に成立した有機農業推進法で、化学肥料や農薬とGMを使わない農業をめざすものだ。環境保護の観点から化学肥料や農薬の削減は理解できるが、GMを否定する科学的根拠は見当たらない。

 悪いうわさがある食品は買いたくない。本来であれば、消費者がそのような判断をするはずだ。しかし、実際に判断しているのは消費者の意向を先読みすることで売上を図ろうとする小売業者である。

 GMは売れないと判断し、仕入れることはない。環境団体が小売業にGMを販売しないように圧力をかけることもこの動きを加速する。そしてGMが店頭から消える。

 消費者はこれに疑問を持つことはない。すると食品製造業者はGMを原材料に使用できない。農家はGMを栽培する理由がなくなる。そんなサイクルが定着して、日本ではGM食用作物の栽培が一切行われていない。

⚫︎世界の対応
 GMをめぐる対立は世界各国で見られる。にもかかわらず、南北アメリカ、中国、インド、南アフリカ、豪州などではGMを栽培している。他方、日本ではまったく栽培せず、欧州連合(EU)諸国ではスペインとポルトガル以外は栽培していない。

 一見、GMを受け入れる国と受け入れない国があるのだが、実はそうではない。世界人口を養うのは小麦と米だが、この2大主要穀物にGMはない。

 GMの大きなメリットを考えれば、小麦と米のGMを真っ先に作るべきなのだが、それは断念されたのだ。その理由は、世界のどの国でもGMは食用として受け入れられないという判断があったからである。


(筆者作成) 写真を拡大

 最近、アルゼンチンでは乾燥耐性のGM小麦の栽培が認可になった。しかし最大の輸入国であるブラジルがこのGM小麦を受け入れない限り、栽培に踏み切れないという。
 売れなければ栽培する意味がないのだから、当然の結果だ。

 それでいくつかの国でトウモロコシと大豆のGMを栽培しているのはなぜだろうか。
それはその用途が食用油と家畜飼料であり、直接食用になる量は少ないからだ。インドと中国は世界5位と7位のGM大国だが、栽培しているGMのほとんどが綿である。

 ということで、世界は直接食用にならないGMだけを栽培している。それでは日本はどう対応しているのだろうか。

 日本が輸入する穀物は年間3000万トンだが、その半分以上は大豆とトウモロコシのGMである。栽培はしないが、輸入はするという一見おかしな対応をしているのは日本だけでなく、EU諸国も同じである。
 結局、世界中の人は、直接食用になるGMは拒否するが、食用油と家畜飼料のGMは許容範囲という判断をしているのだ。

⚫︎日本の事情
 日本が海外と違うのは、かなりの量の大豆を豆腐や納豆などの形で食用にすることだ。
そしてこれらの食品の原材料としてGMを使うことを消費者は、あるいは小売業者は、嫌っている。そこで行われているのがIPハンドリングである。

 これは大豆やトウモロコシを米国から輸入する際に、生産から輸送、販売のすべての段階において、非GMだけを分別して管理する仕組みである。
 こうして輸入された非GMは「遺伝子組換えではない」あるいは「分別生産流通管理済」などの表示ができる。世界的に見ると大豆を食用にする国は少なく、これは日本の特徴と言える。

 それでは日本でGMの国内栽培ができない理由はなんだろうか。国内で栽培される大豆とトウモロコシの大部分は食用であり、それらはすべて非GMである。そして非GMは一種のブランドになっている。

 もし日本のどこかでGMを栽培すると、非GMと分別するために全国でIPハンドリングを行うことになり、大変な経費が掛かる。それだけでなく、GMを栽培した地域は風評が起こり、農作物の価格は急落するかもしれない。多くの農家や農協がそのような懸念を持ち、一部の農家がGM栽培を望んでも周囲がこれを抑え込んでいるのだ。

 そんな日本で、GM花卉である青いカーネーションと青いバラだけは商業栽培している。またインシュリンを始め多くのGM医薬品が治療に使用されている。多くの人はGMを全否定するのではなく、食品にすることは嫌うが、それ以外の有益なものなら受け入れている事実がある。

⚫︎GM推進運動に何が求められるか
 筆者自身、この20年近くGMの普及と国内栽培の実現を目指して努力した。やってきたことは、GMが安全であること、農薬の使用量を減らすなど環境にやさしいこと、農家の経営にプラスになること、そして作物の生産量を増やすことで食料の安定供給に役に立つことなどを訴えることだった。

 しかし、GMに不安を持つ消費者は、自分だけでなく子どもに食べさせたくないと思っている。だから環境問題や食料安定供給問題を持ち出されても全く心に響かない。

 農家の経営にプラスになるということは、農家だけが利益を得て、消費者はリスクだけを負わされているという不公平感から反発される。
 GMの安全性とメリットを理解してもらうことは重要だが、それはGMの受け入れにはほとんどつながらなかった。それではどのような方法があるのだろうか。

 まずは直接食用になる米と小麦にはGMがないこと、食用の大豆とトウモロコシは非GMを分別して輸入し、表示していること、すなわち嫌な人は食べなくてもいいという選択の自由が確立していることを十分に伝えることだ。

 筆者はこの事実を全く評価しなかった。小麦や米のGMがないことや非GMを分別して輸入することは不合理と思ったからだ。
 しかしいくら批判しても現実は変わらない。そうであれば、事実を受け入れるところから再出発する必要があると考え直した。

⚫︎鍵は消費者の支持
 再出発の第一歩は最終目標の設定である。これまで通り、GMの国内栽培の実現を目標にするのであれば、実現を阻む多くの要因、例えば地域の同意、販売経路の確立、IPハンドリングの実施などについて、具体的な解決策を示す必要がある。
 まただれが何のために国内栽培を望み、だれがどのような理由で反対しているのか、肝心の農家はどのように考えているのかについても、十分な検討が必要だ。

 栽培するのであれば大豆とトウモロコシになるのだろうが、その用途は食用油と家畜飼料だ。それでは世界的な価格競争に勝てる見込みはなく、あえて栽培を始めようとする農家はないだろう。

 国内栽培を可能にするただ一つの方法は、消費者が喜んで受け入れるGMを開発することだ。たとえば、体内でビタミンAに変化するベータカロテンを作り出すゴールデンライスの研究がフィリピンを中心に進んでいる。
 ビタミンA欠乏症のため失明など重大な健康被害に苦しんでいるが、高価なビタミン剤は購入できない途上国の人にとっては大きな福音になるため、商業栽培が計画されている。

 これまでのGMは農家の利益だったのだが、ゴールデンライスのように消費者が利益を実感できるようなGMを作り出すことが次の大きな課題である。

 日本で期待されていたのが花粉症対策になるアレルギー緩和米だが、開発から10年以上たっても実用化していない。その理由はGMを栽培しなくても医薬品があるという事実である。

 消費者が反対から賛成に回るGMとは何か。それは食用なのか。青いバラに続くGM国内栽培の拡大はその答えにかかっている。

 最後に、これだけ大きな問題を解決するためには国が確固たる方針を作り、それに沿って施策を推進することが必要である。
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2022-12-27 20:57:00 | 🚶 歩く
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