奈良県 葛城市當麻 当麻北墓五輪塔ほか
当麻寺の北門から北に出て里道に沿って少し行くと、谷をひとつ隔てた尾根一面が共同墓地となっているのが目に入る。尾根は西の二上山から東に向かって伸びており、尾根の先端部にあたる小高い場所に、近現代の墓碑に囲まれ一際異彩を放つ雄偉な五輪塔が立っている。近くで見るとかなり大きい五輪塔で、通常の五輪塔とは明らかに様相が異り、圧倒的な存在感がある。切石加工した基壇上に低い地輪を据 え、水輪は背が高く、重心の高い独特の形状は壷形というよりも棗形ないしリンゴの実のような形をしている。地輪との接面は広く、火輪との接面は小さい。火輪は全体に低く、屋根のたるみは緩く、軒は伸びやかで緩く反り、軒先は厚い。火輪の頂部は比較的小さく、空風輪も風化が激しいが、低い風輪と重心の低い宝珠形の空輪との間に頸を形作る。風輪の半分ほどは表面が滑らかに仕上げられた白っぽいセメントか樹脂状のもので上手に補修されている。火輪から上は風化摩滅が激しく消えかかっているが、地輪と水輪には四方に深く薬研彫された種子が目立つ。種子は五輪塔四門のものである。全体的に凝灰岩製の割にはよく残っている。紀年銘は確認できないため、造立時期は不明だが、雄渾な種子、頸部を設けた空風輪と重心の低い空輪の形状、花崗岩が普及する以前に多用された凝灰岩という石材を採用する点など五輪塔のスタイルが定型化する以前の古風を伝え、悠々たるおおらかさは平安後期の様式を示すものとされる。古い惣墓の中心的な五輪塔であったと思われる。塔高約245cm。すぐ南東の尾根麓には中将姫の墓塔との伝承を持つ花崗岩製13重層塔と凝灰岩製の層塔の残欠が立つ一画がある。十三重層塔は12層以上を失い、別の五輪塔火輪が載せられている。四面無地の基礎は低く、塔身は四面とも2重の輪郭内に舟形光背を彫りくぼめ蓮華座に座す四方仏を 半肉彫する。像容表現は洗練されている。各笠は底面に一重の垂木を刻み、二層目の東側軸部中央上辺に10cmほどの穴がある。この軸部内にスペースを設け何らかの納入品を格納したものと考えられる。軒反に力強さはやや弱い。高さ約3m余、一方、凝灰岩製の方は現高約2m、塔身と3層分を残すのみで、風化が進みやや破損もみられる。花崗岩の五輪塔の空風輪を頂上に載せ間に合わせている。これも凝灰岩製の割にはよく原型をとどめている方だと思う。基礎は花崗岩の自然石を代用している。塔身はやや背が高く、雄渾な金剛界四仏の種子を大きく薬研彫する。月輪や蓮華座は見られない。笠は軒の出が小さく、軒は非常に厚く緩い真反を見せ底面は垂木型を入れず素面とする。ひとつの場所で鎌倉様式が定型化した層塔と定型化前の層塔を視覚的に対比できるので、その作風や雰囲気の違いを体感できおもしろい。
参考
川勝政太郎 新装版『日本石造美術辞典』 161ページ
近畿日本鉄道・近畿文化会編 大和路新書4『當麻』 43~44ページ