石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 蒲生郡竜王町鏡 西光寺跡石燈籠及び鏡神社宝篋印塔(その2)

2009-09-01 23:59:33 | 宝篋印塔

滋賀県 蒲生郡竜王町鏡 西光寺跡石燈籠及び鏡神社宝篋印塔(その2)

石燈籠のある付近は山麓の斜面を整地した南北に長い平坦地で、その北寄りの場所に宝篋印塔が立っている。01花崗岩製で、笠や基礎には苔が付着しているが塔身は苔一つ見られず、褐色がかった石肌が鮮やかである。戦前に詳細な報文を書かれた能勢丑三氏は鳥影宝篋印塔と呼んでおられる。意匠表現に優れた宝篋印塔として古くから名の知れた優品で昭和39年に重要文化財に指定されている。30年以上も前、当時から既に基壇が傾き倒壊の恐れが高まっていたところ、昭和49年、盗掘に遭って基壇の石材が抜き取られ、いよいよ危険になったことから、昭和50年に積直し修理が行なわれた。周囲には修理に際して設けられた保護柵が回らされている。相輪先端を欠いた現状塔高193.6cm、基壇を合わせた総高245.1cm。上下2段の切石基壇を備え、下位基壇は幅180cm、下半が埋まっているので現状地表からの高さ(厚さ)は約17cm、(本来は約27cmとされる)長短1対づつの4本の切石を組んだもの。上位基壇は、幅約131cm、高さ(厚さ)は約25cm。04それぞれ大きさの異なる3枚の板石からなり、東側の接合面の基礎との境に径10cmほどの半円形の奉籠穴がみられる。解体修理の記録によれば、この奉籠穴は基礎下で大きく拡がっているらしい。また、基壇の下には自然石を方形に組んだ90cm×85cm、深さ1m余の石室があって細かい人骨片が充満していたという。この基壇は当初から石室と一体構造であったと考えられ、基壇上の基礎がちょうどこの埋納施設の蓋の役割をしていることになる。基礎は高さ48.5cm、幅81.8cmで側面高は約37.5cmと低く安定感がある。素面の東側を除く各側面は輪郭を巻いて格狭間を入れる。格狭間は横幅が広く、花頭曲線が水平に伸び、側線の肩の下がらない整った形状を示す。格狭間内には対向する1対の孔雀のレリーフを配する。05基礎上は反花式。ただし、通常の基礎上反花とやや趣が異なり、基礎側面から約8cm入って階段状に約5cm立ち上がってから反花を置く。ちょうど基礎上2段式の上段が反花になったように見える。まるで基礎上2段式と反花式の折衷のようである。反花は傾斜が緩く、両隅弁の間に3枚の主弁を配し、それぞれの間にやや幅の広い小花を入れている。主弁は塔身受座近くで幅がやや狭くなって全体に丸みを帯びた平面形を呈し、弁央から弁先の尖りに向けて稜を設けている。図面を見るとこの稜の線によって複弁のように見えるが、複弁では通常この線が溝になることからこの場合は単弁とすべきと考える。また、解体修理報告に記載された図面や池内順一郎氏の図面では花弁に覆輪があるように見えるが実際には覆輪はない。これは弁央の稜線の両側を少しへこませてから花弁の縁近くで高まりをもたせ、縁に沿って稜線状にしているためで、この点、能勢氏の図面が最も正確である。反花上の塔身受座は幅約49.5cmに対して高さは約1cmと非常に低い。解体修理記録によれば塔身受座の中央に径10cm、深さ2cmの枘穴があるらしい。06塔身は幅、高さとも43cm、枘穴に対応する枘が上下にあるとされる。塔身の下端から約10cmは平らな框状の素面とし、そこから一段彫り下げて蓮華座と月輪を線刻し、月輪内に端正なタッチの金剛界四仏の種子を薬研彫している。さらに四隅には、羽をたたみ胸を張って立つ頭の大きい鳥形の像容が刻まれている。これは伽楼羅形と呼ばれるが、フクロウ・ミミズクの類インコ・オウムの類とも考えられている。笠は上6段下2段で、笠裏には塔身の枘に対応する枘穴が確認されており、軒幅約77cm、高さ約63.5cm。軒の厚みは約8.5cm。08三弧で輪郭式の隅飾りは軒から約1cm入ってやや外傾するが、ほぼ垂直に近い立ち上がりを見せ、基底部幅約21cm、高さ約30cmとかなり長大な部類に入る。輪郭内の彫り沈めがほとんどみられず、輪郭がほぼ線刻である点も面白い特長のひとつである。輪郭内には蓮華座上に月輪を線刻し、月輪内に種子を刻む。蓮華座は摩滅がひどく肉眼ではなかなか確認しづらい。隅飾の種子は西側2面が金剛界大日如来と思われる「バン」、残る6面は地蔵菩薩と思われる「カ」である。また、笠上は4段目以上を別石としているのも注目すべき特長のひとつである。平らにした3段目上端に4段目下端のサイズに合わせ44cm四方、深さ1cmほどに彫り沈めを設け、4段目以上をそこに嵌め込んでいる。笠を2石とするのは近江ではほとんど例がない。相輪は九輪の8輪目で折損し先端部は失われている。請花の弁は摩滅して確認できない。九輪は線刻に近く、凹凸を深く刻んだものではない。相輪の枘は径約9.5cm、長さ約7cmで笠頂部にある枘穴(径約12cm、深さ約9.5cm)とマッチしないことから別物を適当にあつらえて載せてある可能性が高く、能勢氏も指摘されている。しかし、近世の補作ではなく古いものでサイズ的にも一見した限りまずまず釣り合っているように見える。(続く)

写真右上:別石の笠上、写真左中:基礎上の反花、写真右下:基礎側面の孔雀のレリーフ、写真左下:素面の基礎。基礎下の基壇の境目に奉籠穴が見えます。鏡神社宝篋印塔といいますが、鏡山塔ともいい、西光寺跡塔でもいいのですが鏡神社の管理下にあることからこう呼ばれています。国道沿いの鏡神社の境内にはないので注意してください。

参考図書は続編にまとめて記載します。