石造美術紀行

石造美術の探訪記

刻銘判読と最新のツール(その1)(ひとりごと)

2016-01-19 21:52:09 | ひとりごと

刻銘判読と最新のツール(その1)(ひとりごと)
 古い『史迹と美術』をパラパラと見ていると、昭和22年9月1日発行の183号に載せられた薮田嘉一郎氏(1905~1976)の「妙心寺鐘伝来考」が目にとまりました。冒頭に面白いエピソードが述べられていて思わずニヤリとさせられました。
 薮田氏が知り合いからの依頼で、妙心寺の梵鐘の拓本をとった時のこと、論攷が書かれた昭和22年当時から10年も前の真夏というから昭和12年頃のことと思われ、薮田氏32歳頃のことです。寺務所の許可を得て鐘楼に上り、さぁ採るぞとなって、当時はおそらく最新の拓本ツールだったと思われる某氏(大阪東京のS崎氏か?)監製のチューブ入練墨を用意された薮田氏は、気温が高かったことから内容物の噴出を予期され、念のため斜めに立てかけた古新聞に向けてそっとチューブキャップをひねった瞬間、ここからは原文を抜粋しますが、「シュッという怪音と共にどろどろの墨はロケットの噴射のように勢いよく噴出した。むしろ爆発したといった方がよい。…中略…噴出した墨は正面の新聞紙に衝突して、勢い余って、跳ねかえり、千万の細沫となって、私の全身に降り注いだ…」結果、白服白靴パナマ帽というスタイルの薮田氏は全身が無数の黒い斑点に覆われてしまった。上から下まで白っぽい服装に墨の黒はよく目立ったでしょう。そして思わず顔をなでると、のびのよい墨が掌に広がって…。むろんその手でなでた顔も真っ黒…。しばらく呆然とした後、気を取り直して手早く拓本を終えると、ほうほうの態で逃げ帰ったそうです。たいへんだったのはその帰途で、「人は怪しんでじろじろ眺めるし、穴あらば入りたい思いをした」そうです。そんな苦労を経てゲットした拓本は、依頼者と知り合いに配布し、結局、自分の分はどこかにしまい損ねて行方不明…というオチまでついた話でした。
 ちなみに妙心寺の梵鐘は国宝。「戊戌年四月十三日壬寅収粕屋評造舂米連廣国鋳鐘」の銘があり、戊戌年は文武天皇2年(698年)とされ、今の福岡県で鋳造されたことが知られる我が国在銘最古の梵鐘です。筑紫観世音寺の梵鐘の兄弟鐘で、「徒然草」第220段で兼好法師が「黄鐘調」(ラの音階だそうです)と称えた鐘の音はこの鐘だと言われています。古くから金石文関係の諸書に取り上げられて著名な梵鐘で、今では鐘楼から別室に移されて厳重に保管され、拓本はおろか触ることもままならないのは国宝としては当然で、現在では考えられないような戦前ならではのほのぼの感のあるエピソードです。
 薮田氏が白服白靴パナマ帽というそれなりの服装で臨まれていること、チューブ入りの練墨という最新のツ-ルを準備されている点に小生は注目しました。薮田氏のエピソードから80年近くが経った現在、拓本に重宝な最新のツールというとマイクロファイバー繊維のタオルがあります。洗車用などにDIYショップなどで安く手に入ります。コットンタオルより柔らかく拓本用紙にも優しく、コットンの5倍という吸水力が威力を発揮します。マイクロファイバータオルを押し付けるとあっという間に拓本用紙の水気がとれてタンポ作業に移る時間がかなり節約できます。それからスポンジ。戦前にはなかったであろうと思われ、今日では用途によってさまざまに異なる反発力や吸水性のものがいろいろ出ています。これで叩くと表面の凹凸に用紙が非常によくなじみます。(続く)


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