滋賀県 大津市大鳥居 浄土寺宝篋印塔
上田上(かみたなかみ)大鳥居町は信楽に接する大津市上田上地区の東端、奥まった谷あいにある。はじめ古い地図を頼りに現地を訪ねたところ、大規模な工事現場のようになっていて立入禁止、目的の浄土寺はおろか集落そのものがなかった。詳しい経緯は知る由もないが、どうやら最近になってずっと平野部寄りの上田上中野町の辺りに集落ごと移転したようで、改めて移転先の大鳥居に宝篋印塔を求め浄土寺を訪ねた。石段を登り山門の手前向かって右、白壁の外、高い石積の上、玉垣状の垣に囲まれた狭い一画に宝篋印塔がある。長方形の板状の切石2枚を基壇にしている。花崗岩製、かなり大きく相輪先端が欠損し現高約195cm。元は7尺塔であろう。基礎は上2段で側面4面とも輪郭を巻き内に格狭間を配している。格狭間内は素面。輪郭は左右が広く上下が狭い。側面の幅:高さの比は小さく安定感がある。格狭間は肩が下がることなく、古調を示す。塔身は幅:高さ拮抗し、胎蔵界四仏の種子を月輪内に薬研彫している。文字のタッチは優れるが雄渾さは感じられない。笠は上6段下2段で、隅飾は二弧輪郭付、軒と区別しているようだが輪郭部は軒とほとんど同一面で外傾もないに等しい。笠全体に高さがあって特に笠上にボリューム感がある。相輪は低い伏鉢と請花が特徴で九輪の凹凸は割合しっかりしているが風化が進み請花の蓮弁は明らかでない。先端の請花と宝珠を欠損し、別物らしい宝珠が継いである。基礎輪郭や格狭間の彫が浅く、左右に広い輪郭と格狭間の形状、基礎側面比高が低い点、笠の隅飾の特徴などは古調を示し、塔身幅:高さがほぼ同じで、種子が弱く、笠全体に高さがある点はやや新しい要素である。こうした点から田岡香逸氏は1290年代の造立と推定されているが、妥当な年代観と思う。寺の移転に伴って宝篋印塔も移転したようだが、元々山城・近江・伊賀の接点であり大和にも近い信楽と接する交通の要衝にあったこの宝篋印塔の意匠の持つ古調、そして基本は近江系ながらどこか大和系の匂いがただよう全体の雰囲気に小生は何か示唆に富んだものを感じる。規模も大きく概ね各部揃い美しい佇まいを見せる魅力的な塔といえる。
参考:田岡香逸 「大津市田上の石造美術」『民俗文化』89号
滋賀県教育委員会編 『滋賀県石造建造物調査報告書』 52ページ
なお、この田岡報文の末尾にある「地区の中世史の研究に、唯一とまではいえないとしても、石造美術は欠かせぬ史料であるだけでなく、先祖が、子孫の幸せを願う心をこめて造立したものであり、その精神のよりどころを示すもので、能う限りその保存に万全を期することが、後の時代の人々に対する現世代に生きるものの義務である。(要旨)」との一節に小生は深く感銘を受ける。