石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 伊香郡西浅井町集福寺 下塩津神社宝塔

2008-08-19 14:11:08 | 宝塔・多宝塔

滋賀県 伊香郡西浅井町集福寺 下塩津神社宝塔

JR北陸本線近江塩津駅の北方約1km余、鉄道と平行して走る国道8号線を北上し右に折れて高架をくぐる。細長く続く集福寺の集落の一番奥まったところに下塩津神社が鎮座する。31このあたりまで来ると近江でももう北端に近く、すぐ山向うは越前である。鹽土老命と伊邪那岐命・伊邪那美命を祀るこの神社境内西南、社務所裏の山裾に石造宝塔がある。切石を組み合わせた基壇を3段にしつらえた上に基礎を据えている。基壇は当初からのものかどうかは不明。15総花崗岩製で塔高約220cm弱、7尺塔と思われる。基礎幅約66cm、高さ約40cm、基礎側面は3面に輪郭を巻き格狭間を入れ、格狭間内には正面に花瓶の口縁付近から伸びる三茎蓮花、左右に開敷蓮花のレリーフを配している。背面は切り離しの素面のままとしている。輪郭の幅が狭く彫りは比較的深い。格狭間は輪郭内に大きく表現され概ね整った形状を呈するが肩が下がり気味である。塔身は、素面で肩がやや張り下すぼまり気味の円筒形をした軸部、さらに軸部上端の亀腹部にあたる曲面を経て、円盤状に周回する縁板(框座)に続く。首部は2段にして匂欄部と正味の首部に分けている。笠は軒幅約66cm、笠裏に3段を設けており、30上段は軒先に沿って反りを見せることから垂木型を、また中段下段は斗拱部を表現するものであろう。軒口の厚みは顕著でなく、隅に向かって軽快な反りを見せる。笠頂部には高めの露盤をほぼ垂直に削り出し、笠全体に背が高めで屋根の勾配はかなり急で四注の照りむくりが目立つ。四注の隅降棟は断面凸状の突帯とするが、露盤下で連結していない。また、山側背面は隅降棟の突帯の肩の段が見られない。つまり正面観、側面観のみ隅降棟は断面凸状ながら背面観は単なる突帯とし、いわば手を抜いた意匠表現となっている。相輪も完存し、大きい伏鉢に下請花は複弁、九輪を挟み上請花は単弁。九輪は凹凸を丁寧に刻むが逓減が目立つ。宝珠は概ね完好な曲線を描くが欠損している先端の尖りがやや大きい。請花、伏鉢の曲線にはやや硬さが出ている。各部均衡よく、手堅く丁寧なつくりを示す一方で基礎、笠ともに背面は当初から見られる前提で彫成されていない点、照りむくりの目立つ四注と軒口の軽快な感じ、逓減の目立つ九輪、肩の下がった格狭間など細部の特長は、意匠的に退化傾向を示す。無銘ながら恐らく14世紀でも後半にさしかかろうかという頃の造立ではないかと思われる。表面の風化も少なく基礎から相輪まで完存し、湖北でもとりわけ遺存状態良好な石造宝塔の例として貴重な存在といえる。

なお、この宝塔は、この地で最期を遂げたという新田義貞の臣、河野通治らの供養塔との伝承があるようです。(通治は金ヶ崎戦死説や生き延びた説もあるようですが…)現地案内看板によると何故か五輪塔と称されているようですが石造宝塔で五輪塔ではありませんね。探訪時はあいにくの雨、光量不足のもっさりした写真ですいません。右上は基礎正面の三茎蓮花です。法量値はコンベクスの実地略測ですので多少の誤差はご容赦を、ハイ。

参考:滋賀県立長浜文化芸術会館編『湖北地方の石造美術』

   平凡社『滋賀県の地名』日本歴史地名体系25


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