石造美術紀行

石造美術の探訪記

京都府 京都市左京区大原来迎院町 大原念仏寺五輪塔

2009-05-27 00:18:13 | 五輪塔

京都府 京都市左京区大原来迎院町 大原念仏寺五輪塔

来迎院町の集会所の建物の南側、植え込みの隙間のような狭い場所に立派な五輪塔が立っている。01呂川にかかる橋と三千院に向かう石段のある辻から南に50mもない観光客の人通り多い場所にある。すぐ南にある天台宗大原念仏寺に属しているようだが、現状では集会所の敷地の一画にしか見えない。03来迎院区五輪塔と呼ばれることもありその辺りの事情は判然としない。五輪塔は一見すると各部全て揃っているように見えるが、よく見ると地輪から火輪まで同じ書体の比較的大ぶりな梵字を力強く薬研彫しているのに対し、空風輪の梵字は小さく彫りもごく浅いもので書体、彫り、文字の大きさともに全く異なる。しかも火輪以下は大日如来法身真言(ア・バン・ラン・カン・ケン)と推定されるア・バン・ランを下から上に配しているが、空風輪のは通常の五輪塔四門のキャ・カ・ラ・バ・アのキャ・カのようである。なお、梵字は東面にだけ刻まれている。さらに空風輪は側面のアウトラインが直線的で空輪の重心が高く、空風輪のくびれも華奢で、重厚で安定感のある火輪以下の形状とは釣り合わず、同一のものとは考え難い。こうしたことから元の空風輪は亡失し、現状の空風輪は適当な別物をあつらえた後補と判断できるのである。後補の空風輪を含めた現高約150cm、やや風化が進んでいるが緻密で良質な花崗岩製である。地輪は幅約62cm、現高約30cmだが下端が少し埋まっており、本来はもう少し高くなる。02それでも幅が高さのほぼ倍あって背の低い安定感のあるものであることがわかる。水輪は径約56cm、高さ約45cm、球形に近く、側面の描く曲線は豊かで直線的なところはなく、裾のすぼまりもごくわずかである。火輪の軒幅約52cm、高さは約35cmで火輪の幅が水輪径よりわずかに狭い。軒口は分厚く、軒反自体はそれほど顕著ではないが、軒中央の水平部分が狭く軒全体に重々しく反る感じで、隅に向かって厚みを増す隅増しも目立たない。四柱の屋だるみは全体に緩く湾曲し、火輪全体の背はあまり高くない。地輪の南側、道路側から見て左側面に9行の刻銘があるのが肉眼でも確認できる。肉眼での判読は難しいが「弘安九(1286年)年六丙戌/廿七日/同村合力…/□□乃/法界衆生平/利益造立畢…/塔婆等…/□□…」とあるらしい。弘安九年の紀年銘は、京都の在銘五輪塔では屈指の古いものである。分厚い軒口や全体の雰囲気には、いわゆる整備形式と呼ばれる鎌倉後期様式の五輪塔のスタイルに通じるものがあるが、基礎の低さ、水輪の曲線、火輪の軒反などに古い特徴を色濃く残している。

 

参考:川勝政太郎 新装版「日本石造美術辞典」

   川勝政太郎 佐々木利三「京都古銘聚記」

写真右下:刻銘のある地輪南側面です。写真をクリックしてみてください。少し大きく表示されます。それから、いつものように法量値はコンベクスによる略側値ですので、若干の誤差はお許しください。かなり観光客の人通りの多い場所にありますが、行きかう人は誰も省みません。皆さんコンベクスを当てる小生を横目に通り過ぎていきます。これもマイナー路線のつらいところでしょうか…。かなりすごいモノなんですけどねぇ。さて、このように一見すると揃っているかに見える石塔でも、この五輪塔の空風輪のように後補であると看破される場合がしばしばあります。(この場合、小生が看破したわけではなく先人の記述を現地で確認したに過ぎませんが…)もちろん怪しいものでもなかなか断定できない場合もたくさんあります。後補や寄せ集めの判断には慎重さが必要でしょうが、かといってはじめから何でもかんでも後補や寄せ集めを疑ってかかると、各部が当初から一具であることの実証が全ての前提になってしまい議論がぜんぜん前に進みませんよね。この辺りはとても難しい部分だと思います。やはりそれなりに予備知識を深め、奥行きのある鑑賞態度で詳しく観察することが大切だと知らされます。またしても川勝博士の受け売りでした、ハイ。


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