11月1日発行の新刊本「架空犯(東野圭吾著)」を読んだ。
帯には、
誰にでも
青春があった。
被害者にも
犯人にも、
そして刑事にも――。
燃え落ちた屋敷から見つかったのは、都議会議員と元女優夫婦の遺体だった。華やかな人生を送ってきた二人に何が起きたのか。
捜査の王道である「関係者への聞き込み」が、たんたんと続く。
まさに靴をすり減らしての「鑑取り(かんどり)」だ。
しかし犯人像がなかなか絞れない。
突然、犯人から身代金の要求が。
人質は、被害者から奪ったタブレットの「個人情報」だ。
このあたりが「ランサムウェア」を想起する。
「闇バイト」やWiFi、さらにIT技術を駆使して調査が進展していくが、やはり「幽霊」のごとく、犯人が見えない。
それでも足を棒にしての聞き取りがだんだんと功を奏していく。
帯にある「誰にでも 青春があった。」にみられるように、過去にさかのぼっていく。
最後は「あっ」と驚く展開だ。
警察小説によくあるドンパチや格闘はまったく出てこない。
まさに推理がどんどん展開していく。
当然引き込まれていく。
読んでいて「人生」を考えさせられる。
東野圭吾氏を「静」とすると反対に位置する「動」がハードボイルド小説だと思う。
昔に読んだ大沢在昌著「新宿鮫」を思い出した。
こちらはまさにハードボイルドそのものだ。
新宿署の鮫島警部を主人公とするが、登場する人物の言葉使いからして違う。
鮫島警部が殺される寸前の「危機一髪」がみごとに描かれている。登場人物の人間性もよくでている。
後半は、息もつかさず怒涛の如くストーリーが展開していく。
この辺がハードボイルドとして、大きなヒット要素ではないか。
上意下達の警察組織のなかでの「はぐれもの」である鮫島警部。
だからこそハードボイルドが成立するのであろう。
東野圭吾氏も、大沢在昌氏も、こうした小説はおもしろい。
ところで話は変わるが、自民党のなかで「はぐれもの」であった石破茂氏。首相になったとたん、自民党のなかでの優等生的になってしまった。
いままでの氏の政策や発言をひっくりかえして突き進んでいる。
変わらないのが「大軍拡」だ。
もう自民党は変わらないし、変えることができないのでは?
本当は選挙の結果、自公は「下野」しなければならない。
そこまでいかなければ変わらない。