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延命寺から千住回向院、千住散策。

【ちょっと一息】 

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日経新聞の「江戸の風格」欄に「千住回向院」の記事が出ていたので、出かけてみました。

メトロ日比谷線に乗って、南千住駅で下車。南口を出るとすぐのところに、

延命寺 (場所はiタウンページ

というのがあります。

延命寺

ここは、江戸時代に

「小塚原刑場(こづかはらけいじょう)」

があった場所。1651年に創設され、当時は「浅草はりつけ場」と称せられて、約20万人が処刑されたようです

刑場

ここで行われる処刑は、獄門、磔(はりつけ)、火あぶりといった極刑で、屍は埋葬ではなく、浅く土をかける程度。だから「小塚原」は「骨ヶ原」に由来するというんです

1741年には、刑死者の菩提を弔うために、高さ3.6mの花崗岩の座像の大地蔵

通称「首切り地蔵」

が建立されました。

延命寺

延命寺の近くに

千住回向院 (場所はiタウンページ

があり、ここは刑死者を供養するため、1667年、建立されました。延命寺は、回向院の分院なんです。

回向院

お寺というより少し近代的な建物になってましたね。奥に、お墓があるんですが、

回向院

ここの墓地には、安政の大獄により刑死した橋本左内・吉田松陰のお墓があります。ゆっくり見なかったのですが、鼠小僧次郎吉の墓もあるんですって

回向院

また、回向院には

「観臓記念碑」

なるものがありました。

回向院

これは、1771年、ドイツの解剖学書を手に入れた蘭学者杉田玄白・中川淳庵・前野良沢が、解剖図の内容を確かめるため、小塚原刑場に来て、刑死者の解剖に立会い、その正確さに驚いたとのことです。その立会いを記念して昭和になって建てられたと。

この場所は、日本の医学の出発点なのかもしれませんね

でも「観臓」とは、一見、何のことか分からないですね

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