昨日は最高気温が4月の中旬並と言うことで 最低気温は8度・・・
で 今日も朝起きてすぐは 少し リビングが寒かったです
しかーーし 今日は昨日と違って 青空がすぐに見え始め
気温もすでに どんどん上がってきてます
今 リビングの大きな窓から 見える限りでは
この上なく 清々しい 気持の良い 6月のスタートですね!
なのに なのに 娘のお弁当箱のランチベルトを 取れないところに落としてしまったらしく
何をどうしても 取れない?って言うか 見えない・・・
なので まず アマゾンでこれを注文しました
まぁ どっちみち ゴムなので ある程度使って伸びて来たら 取り換えるので
それが 早くなっただけかな?
可愛いのにしましたよーー
さて 6月にオープンする 特別養護老人ホームに
母の入居の契約手続きが 済んだらしく 6月4日に 入所する・・と
兄からメールが来ました
でも この コロナ禍においては 入居後の面会は禁止で
4日の入居の際も 兄夫婦は 玄関まで と言われたとか。
母の反応はどうだろうか・・・
そして 誰のことも ほとんどわからなくなっているとは言え
自分の家に居れば 兄嫁さんはご飯をくれる人で
兄は なんだか知らないけど いつも家に居る怖いおじさん・・・ってことであっても
同居している 知った顔の人ということは かろうじて感じているはず。
しかし 4日からは 寝起きする場所も お世話してくれる人も 知らない人だし
知らないお年寄りがたくさんいるわけで・・・
ショートステイでグループホームにお泊りしていたから 幾分大丈夫かな?とも 思ったり・・・
そして 実質的に 身内から離れてしまうと
今まで 気まぐれに思い出す事があった 顏も完璧に忘れてしまうんだろうな?って・・・
私の顏を最後に認識できたのは いつだったのか?
去年の父の命日に お墓で会った時は
”どうも お世話様です・・”って 挨拶されたから すでに・・・だね?
今年の父の7回忌の時は 隣りに座っていても 目は
(この人誰だろう?)だったし・・・・
精神的な今生の別れ?は とうに 済んでた訳か?(苦笑)
もっと 顔出ししてた方が良かったのか?とも思ったけど
ほぼほぼ グループホーム生活で 実家には週に1日しか 居なかったしねーーー
介護していた兄夫婦にとっても 私の母にとっても
一番の選択だったのでしょう
それを全部 理解し 飲み込んだ上で
今 父の7回忌の時の母の姿を思いだしています
ずっと 75才位まで 経理の仕事をしていた母です
とっても お洒落さんで 私が子どものころから
ちょこちょこ 美容室へ出かけ ヘアカラーしてました
洋服は 近所の仕立て屋さんで 良く作っていましたから
物を捨てられないまま 認知症になってしまった母の家の納戸には
50年も前のスーツが山ほど お茶箱の中に残っているのを知っています
そんな おしゃれさんだっだ母が ショートの真っ白な髪になってて
似合ってるな・・とも 思いはしたけど
別な意味で 認知症?老い?の残酷さの一つを目の当たりにしたようで しんどかった・・・
ただただ 願うのは ホームで 母が 心細い思いを極力しなければ良いな・・だけ。
新たな 楽しい 生活の場所・・・そう 感じてくれるだろうか?
生きているのに 手の届かない所へ 行ってしまう 母です
馬鹿みたいだけど なんか そんなこと考えると
ほんと 馬鹿みたいだけど 涙が・・出ちゃった・・・あほな私。
結局 なんの 力にもなれなかったね・・・
私 今まで なにやってたんだろう?
何も行動しないで なに 馬鹿言ってんだろう?
自分だって 認知症になるかも知れない・・・
人間を まるで 別の人格にしてしまう 認知症は
ある意味 コロナよりも 怖いかもしれない・・・
ひさひたと 音もなく 人間の脳の隙に入り込んで 人間を乗っ取るんだから
静寂な悪魔・・・
そして そいつは とどまることをしない
薬でゆっくり進ませることは出来ても それでも 確実に進む。
付け入られないように 出来ることはすべきか?
母は9月で90歳です
天国のおばあちゃん 父さん!業務連絡です
母さんはまだまだ そっちには行かないと思うけど
ホームでぼんやりしていたら 心に 声掛けしてあげて!
背中が所在なさげだったら どうか そっと 撫でてあげてください
しばし 私達には 何もできませんから・・・