「日本書紀」には、壬申の乱(672年)に際し、大海人皇子軍に対して、神がかり的なことが起きたことが記されています。
「日本書紀」に、高市郡の高市県主許梅(たけちのあがたぬしこめ)が、にわかに口をつぐんで、ものが言えなくなった。三日の後、まさに神が着いて「吾は、高市の社に居る、名はコトシロヌシ神。また身狭(むさ)の社に居る、名はイクタマ神である」といった。そして(神意を)顕して、カムヤマトイワレヒコ(神武)天皇の陵に、馬と色々の兵器を奉れ」といった。「西の道から軍勢が来ようとしている。つつしむがよい」といった。言いおわって(神がかりから)さめた。
また村屋の神が、神官について「今にわが社のある中の道から、軍勢がやってくる。だから、社の中の道をふさげ」といった。
(壬申の乱の)軍政がまったくおわって、将軍たちは、この三神の教えた言を奏した。天皇は勅して、三神の位階を上げ進(たてまつ)って祀(まつ)った。と記されています。
今回は、「日本書紀」に記されている神がかり的なことが起きたとされる社の、「身狭(むさ)の社」(橿原市見瀬町)と「村屋の社」(磯城郡田原本町)を散策してきました。
残念ながら、「高市の社」は、未定で探すことが出来ませんでしたが、「日本書紀」に記されている「社」に行ってみて、とても不思議な感覚に陥る散策となりました!