泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

飛鳥の「都塚(みやこづか)古墳」

2014年08月16日 17時29分42秒 | 歴史

奈良県明日香村の「都塚古墳」(6世紀後半)が、石を階段状に積み上げた国内では類例のない大型方墳とみられることがわかり、8月16日現地説明会が行われました。「都塚古墳」は、蘇我馬子の墓と言われている「石舞台古墳」の南東約400メートルに位置し、1967年の関西大の調査で方墳か円墳の可能性があると指摘されていたようです。横穴式石室(全長約12メートル)に凝灰岩をくりぬいた家形石棺が納められています。すでに、盗掘されていたようです。石棺内には人骨は確認されていませんが、木棺も安置されていた痕跡がみつかったようです。副葬品には、土師器(はじき)や須恵器(すえき)、鉄鏃(てつぞく)などの鉄製品があったようです。

今回の調査では、墳丘部から拳大から人頭大の川原石を積み上げた階段状遺構が出土し、東西約41メートル、南北約42メートルの方墳と判明しました。2段目以上は、高さ30~60センチ、幅約1メートルの平坦部を計5段以上、階段状に石と土を盛り重ねた構造(高さ4、5メートル以上)とみられています。ピラミッドのような特異な構造や天皇陵にも迫る規模から、多くの渡来人を配下に置き、天皇の外戚(がいせき)となって台頭した当時の権力者、蘇我稲目ら、蘇我一族の有力者の墓との見方が出ています。

今回は、細川谷の入り口にあたる明日香村の「都塚古墳」を撮ってきました。

石室にある、家形石棺のふたの内側には、かすかに朱色が施されているのが見ることができました。

それにしても、「飛鳥」は「古代の中心地」であることを、実感できる素敵な場所ですね!

                  

 

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3 コメント

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Unknown (もっちゃん)
2014-08-17 13:26:20
16日の説明会に行ってきました。
お盆休暇中と土曜日と新聞も全国版での記事だったので、大変な人出が予想されたため、現地には9時に着きましたがすでに約200名程が並んでいました。
説明会は10時からを繰り上げ9時半前からスタートでした。
約30分ほど並んで10時半ごろ終わりましたが、帰りには
見学者の長蛇の列ができていましたよ。
パンフ3部ゲットできました。
しかし、人が多すぎ満足なフォトが撮れず近々再訪問します。
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Unknown (おさむし)
2014-08-19 22:50:49
この都塚古墳の写真は現地説明会以前の発掘中のものかな?
説明会当日、11時頃行きましたが、数百人の人が石舞台の駐車場付近から祝戸の集落を経て長い行列、最後尾まで2、3時間かかるとスタッフから聞かされ、その人から大体の説身を受け帰宅しました。
森さんは朝9時半ごろから並んで見てきたらしいです。
私は18日の月曜日、もう落ち着いて人も来てないだろうと発掘現場へ行きました。その日は西側の下の田圃の発掘していましたが、めぼしいものは出ないと言ってました。
他は全てシートで隠されていましたが、丁度休憩中だったのかシートを開けて見せてくれました。説明も受けラッキーでした。
本当はだめらしいが飛鳥村役場の総務課の人と出会い、顔見知りだったのが功を奏したのかも・・・
 方墳の可能性が高いとして確かめるべく発掘した所が大変な発見になったようです。
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コメントのお礼 (泉飛鳥塾)
2014-08-20 13:32:27
コメントありがとうございます。
普段見ている「飛鳥」の風景、発掘してみると古代のロマンがいっぱい出てきます。
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