「大君は 神にしませば 雲隠(くもがく)る 雷山(いかづちやま)に 宮敷(みやし)きいます」(柿本人麻呂)
(大君は神であらせられるので、雲に隠れる雷、その雷山に宮殿を作って籠っておられます。)
この歌は、飛鳥時代に活躍した「柿本人麻呂」の歌です。解説板には、「人麻呂が『天皇。雷丘に出でます時』に作ったと題する歌で、天皇とは一般に天武天皇のこととされています。
『日本書紀』や『日本霊異記』には、雷神の降臨する説話を伝える聖なる丘であったことが記されており雷丘の名もこれに由来しているらしい。」とありました。
雄略天皇の時代に、家臣の小子部栖軽(ちいさこべのすがる)に「雷神を捕らえてこい」と命じられました。小子部栖軽は、豊浦寺と飯岡の間にある丘に落ちていた雷神を連れ帰り天皇に献上するも、天皇は光り輝く雷神に恐れをなし「落ちていた所へかえしてこい」と命じました。この雷神が落ちていた所を、「雷丘」(いかづちのおか)とよばれています。
今回は、万葉集や雷伝説が残る「飛鳥の雷(いかづち)」を紹介したいと思います。
「雷丘」(いかづちのおか)は、奈良県高市郡明日香村大字「雷」にある標高110mほどの丘です。
「雷丘」は、甘樫の丘や飛鳥寺の北側にあり、明日香村の「雷」の交差点すぐ前にある小さな丘が、万葉集でも詠まれた「雷丘(いかづちのおか)」です。
飛鳥時代には、「雷丘」の東側には推古天皇の「小墾田宮(おわりだノみや)」(推定地)や、大官大寺や奥山寺・山田寺などの大寺院が立ち並んでいました。
「雷丘」周辺は、今は何も無いところですが、1400年前の飛鳥時代の万葉歌人の気分や、この辺りが賑やかだった頃のことを想像したりしながらの「雷丘」周辺散策は、とても、楽しいものでした!
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