●癌性腹膜炎、手術後化学療法第3クール(トータル第7クール) 12日目。
昨日、ちょっと疲れ気味だったが、郵送されてきた郵便物を届けがてら、妻の実家へ行った。
元気であった。
ゆっくりして行きたかったが、父のプチ介護があるため、早々ゆっくりはしていられなかった。
妻が、どうしても行きたいところがある、ということで、車に乗せて行った所が、休耕田の一角。
いつも、実家のお母さんが作ってくれるイチゴである。
ひといき、妻とイチゴ狩りを楽しんだ。
少しだけ精神的にまいっている私には、良い薬になった。
子供たちが小さいときは、4人でイチゴ狩りをしたっけ……
おいしかった。
買ってきた甘いイチゴより少しすっぱいが、素朴な味がたまらなくおいしかった。
子供たちよ!、来週くらいからもっとたくさん生っているだろうから、食べに来い!!。
●会社の仕事内容。
とりあえず、今週も事務の仕事になるようだ。
願っても無いことである。
実は、これを切望していた。
辛かった。 作業員の仕事は、実は辛かった。
たった半年だが、がんばってきてよかった!!
●癌性腹膜炎、手術後化学療法第3クール(トータル第7クール) 9日目。
今日は、会社の送別会のため、妻には会っていない。
それなりに飲んで、家に着いたのは、21時15分頃。
部屋にガーゼとリンゴ酢が置いてあった。
どうも、妻が買ってきてくれたもののようだ。
ということで、何とか退院して実家へ戻ったと、確信している。
●会社の送別会があった。
定年退職の山崎氏。 当会社、支店の歴史をほとんどやってきたようだ。
朝礼で一言があったが、涙で言葉にならなかった。
送別会では涙になることはならなかったが、彼はまだまだ言いたいことがたくさんあるように見えた。
社員たちはあまり気にしていないように見えた。
私は、山崎氏とあまり話ができなかったことが、くいに残る。
話をして、どうかなるわけではないが……
ちょこっと話した中で、先手を打つことの大事さを聞かされた。
私にこの一端の少しでも担えれば…、と思った。
●明日は休みだが、忙しい。
会社の同僚を送り、私は2つの病院廻りである。
今日は、妻が予約した本を受取りと借りていた本の返却に市立図書館へ行った。
病室に着いたのは19時ちょっと前。
ドアをノックすると、昨日よりも明るい声で返事があった。
まだちょっと不調だが、昨日よりはずいぶん良いようだ。
明日は退院する、と言っていた。
大丈夫かな……
●父の介護は、明日から通常に戻してもらった。
私の腰は充分ではないが、何とかなるだろう。
●会社の仕事は、ここのところ、ずっと事務職をしている。
事務の女性は、癌の科学治療で入院した。
が、毎日の事務量は0.5人程度と言ったところ。
ちょっと暇であるが、適当なお題を頂いては、ぼちぼちと片付けている。
楽しい毎日である。
このまま、ずっといたいが、そうは行かない。
午後6時15分頃、病室へ入った。
相変わらず不調なようだ。
今日は、おかず2品を食べてあった。 残りは私のお腹の中。
●父の介護のことで、会社へ電話がかかってきた。
朝一と昼の体交を抜いているため、床ずれの兆候が出始めた、ということである。
近くの介護施設へデイサービスを受けたら、との提案である。
どんなに行っても、今週いっぱいである。
どうしようもないので、OKを出した。
私のせいで父が苦しむことになる、なんてことは無い様にしたい。
●さて、私の腰と腕の方は…。
腰は確実に良くなっているように思う。
心配していない。
腕は、いまいちである。
もうしばらくかかりそうだ。
午前11時30分頃、妻の顔を見に病室へ入った。
というより、妻が食べないであろう昼食を食べに行った。
昨日と同じく、不調な顔をしていた。
午前中に痛み止めを入れた(点滴で入れるそうだ)が、切れてきた、ということである。
食欲は全く無い。 それでも、何とか一口食べてくれた。
そのおかげで?、私の昼食ができた??
会社が終わった後も行ったが、やはり、不調のようだ。
夕食も何とか一口食べてくれた。
●腰が痛い。
朝一の、父のプチ介護ができない。
朝一に吸引と体交をしなければならないが、できないので、パスして、朝食の注入を始めた。
ひまわり訪問看護のケアマネージャから電話がある段取りだが、まだかかってこない。
腰が痛いので、早めに病院へ行きたいのに…
なんて思っているうちに、会社から電話。
今日、仕事に来れないか?。事務の仕事を少しして欲しいから。
私は、願ってもないことなので、OKの返事をした。
以前にもぎっくり腰をしたことがあるが、じっとしていれば何とかなるものである。 今回も、前回とよく似た程度である。
と、まだひまわり訪問看護から電話が無い。
こちらから電話をして、訪問看護を、13時をやめて、代わりに21時にしてもらった。
一日3回までなのだそうだ。
これで、父の対応は完了した。
●さて、私の腰と腕の痛みだ。
県立病院へ行くか、厚生病院へ行くか、迷うところだ。
県立病院は救急患者と町医者からの紹介の患者が優先のようである。
混みそうである。
母が厚生病院へ行っているので、様子を聞いてみると、割と空いているようだ。
ということで、厚生病院へ行くことにした。
病院へ行ったら、まず、痛いところのレントゲンを撮った。
腰を上からと横から。 両腕の上からと横から。
それを見ながら診察である。
先生によると、腰の骨は異常なし、この年にしては状態が良い、ということである。
腰の神経周りの血管が切れて血液が神経に触って痛い、ので、まず痛みをとってから、腹筋と背筋を鍛える、という方針が示された。 急性、とのことだ。
腕は、疲労によるもので、治療が長くなる、と言われた。
これも、まず痛みを抑える。
両方とも、安静にしないといけない、ということだが、腕についてはそうはいかない…、どうしよう。
●診察が終わって、妻の病院へ昼食を食べに?行き、会社へは13時に入った。
早速、データの入力。
毎日の作業日報が作業員から上がってくる。
それをコンピュータに入れて、役所への報告書を作成するものだ。
土木系の言葉、お役所特有の言葉。
なかなか、ちょいちょいと入力できるものではない。
しかも、全て Excel で処理している。
これには脱帽ものだ。 私だったら Access で処理するかな?
変なところには入力できない。 計算式が消えてしまうから…
長くても一週間はこれが続く。
ひょっとしてチャンスか……
午後2時頃、妻の顔を見に病室へ入った。
不調な顔をしていた。
抗癌剤は直接、お腹のポートを通じて入れた、ということである。
今回はお腹が痛いのだそうだ。
痛み止めを打つと、頭がくらくらしだして、吐き気がするのだそうである。
乗り物酔いのような感じ、ということである。
が、今ひとつハッキリしない、とも言っていた。
何はともあれ、気を紛らわすことに終始しようと思ったが、私の腰が痛くて、私がベッドで休んでいた。 あれ??
●コンピュータの講習
昨日の予定であったが、Y氏から、今日の9時頃、ということで変更になった。
まだ腰が痛いが、じっとしていれば何とかなりそうなので、出かけた。
その前に、コンピュータの簡単な仕組みの説明書を作成した。
変な話だが、コンピュータの仕組みについて説明があることはまずない。
だから、中身の話になると、トンチンカンなことになるのが普通である。
そんな話を簡単に30分ほどしてから、先方のテーマに取り掛かった。
米寿のお祝いをするので、名札や名前を書いた短冊を作成したい、ということなので、WORDの説明になった。
午前9時頃から、12時頃までかかって、完成した。
どれくらい習得してもらえたのか…、ちと心配だが、基本的な操作を覚えてもらえれば良い、と考え、あまり悩まないことにしているが……
●ぎっくり腰。
明日は、とても仕事ができる状況ではないので、休みの連絡を入れた。
今日は様子を見にいけなかった。
そろそろ、悪影響が出ていると思うが…
●父のプチ介護。
朝一の体位変換で、思わず、腰が「ぐきっ!!」……
やってしまった。
いわゆる、ぎっくり腰。 痛くて、うまく歩けない。
変な姿勢で、何とか歩けた。
土曜日で仕事は休み。
だが、午前中の巡回作業の当番のため、出社。
何とか仕事を終え、さっさといつも世話になっている田中施術所という整骨院へ直行。
やった直後なので、先生も手が出せない様子。
軽くマッサージをして、冷しておくように、と指示を受けた。
本当は、腕の痛みと、指のしびれを治そうと思っていたのだが、急遽、腰の治療も加わってしまった。
後はじっと寝ているだけ…
あさっての仕事までに回復するだろうか?
昨日、検査をした後、抗癌剤を注入した、とのことである。
まだまだ、元気そのものである。
明日か明後日くらいから、影響が出そうである。
●今週の仕事内容は、いつもと違った内容だった。
月曜日。 植栽の殺虫剤まき。植えてある植物の中の「ボックス」にまいた。
トラックの荷台に1000リットルのタンクとエンジン付の噴霧器を載せ
荷台に3人が乗り込み、1人は旗を振って車線を規制し、
2人目はエンジンを調整し噴霧器の薬剤の出し方を調整、
3人目は噴霧器のノズルを植物に向ける、
4人目はトラックを運転する。 という具合である。
火曜日。 中央分離帯の先端の清掃。
金曜日。 山の雑木の伐採。
という具合で、特に今日は疲れきってしまった。
おやすみ!!
●癌性腹膜炎、手術後化学療法第2クール(トータル第6クール) 24日目。
会いに行ったら、元気にしていた。
母の日に向けて、長男から花束が届いていた。
これを、実家へ持って行ったのだが、妻は土手の刈った草を集めていた。
まだ、半分しか済んでいなかったので、それを手伝った。
父のプチ介護があるというのに…。 ここだけの話し、おかげで、父のプチ介護はパスしてしまった。
妻は、長男からの贈り物に目を細めて眺めていた。
うれしかったのだろう。 私も、うれしかった。
実家へ行く前の午前中、私は、病院を走り回っていた。
1つは、父の薬の受け取り。
次は、私の足の痒みについて、藤田記念病院へ…
その次は、右手の人差指のしびれで夜 目が覚めてしまうことについて…
ちょっと病院の行先が違ってしまい、福仁会病院へ行ってしまった。
聞いたら、ボケなどが専門のようである。
神経内科がある、ということで行ったのだが…
でも、そこに外科があり、受付の計らいで話を聞いてもらった。
その結果、これは、どうも簡単には治らないようだ。
指の運動を少し多めにして、それでも改善しないようだったら再度来たら良い、と言われてしまった。
どうも、筋に関するトラブルは、現代医学では、小手先だけで、基本的には治せないようだ。
ということで、当然?、治療代はタダだった。
さて、午後6時頃、実家から帰ってきて一息ついた頃に、町内のおじさん(Y氏、63歳)から電話。
パソコンを教えてくれ、と言われ、事前に聞いていたこともあり、引受けることにした。
午後7時半から来てくれ、ということで、いそいそとシャワーを浴び、夕食をとって出かけた。
やったことは、「筆王」を使った、おばあちゃんの米寿の案内書作りだった。
操作してもらい、まずい点を指摘しながら作成してもらった。
終わったのは午前12時半。
終わった頃には、Y氏とその奥さんはもう限界を超えてしまったようで、半分寝ていた。
一度、講習を受けたようなので、次回以降、このように具体的なテーマを示してもらい、それを具体化していくことにした。
お金の話が出たが、受取るつもりは無い。
これって、お人よしかな……