cogito ergo sum

日々の雑感・料理レシピ・KinKi Kidsに関することなど…
好きなものを気ままに綴るMy Style♪

おひさしぶりですっ

2008-03-07 | Weblog
ほんっとに、
ほんっとに、
ほんっとに、

おひさしぶりですっ!
はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~
こんなにゆっくりと、パソコンに向かっているなんて、こんな気分になれるなんて、いつ以来だろう…
そんな気分です。

ほんとに、いろいろなことがありました。
でも、正直、こんな風にそれなり落ち着いた日々(?)が取り戻せるとは思いもよらなかった、うれしい誤算、不幸中の幸い、デス

書ききれないくらい、いろんなことがあった、
正直、正確には自分でも思い出せない、整理できないくらいなのですが、近況の報告も含めてこれなでの経緯を簡単に。

昨年の12月中旬、家での不明熱、嘔吐の中、C型肝炎のウイルスがまた増加していると指摘されて、肝生検をするとの名目で入院。あくまで検査入院という話で、主治医の先生からは入院を指示されたのですが、当然、本人の状態としては検査などに耐えられるような状態ではなく、、、。で、とりあえずそのまま様子見、という形で入院していた中での脳出血。救急指定の病院に、救急車で救急搬送されました。
ここではじめて付き添っていた母から、そのことを電話で知らされ、驚いて駆けつけた私。
脳出血はたいしたことはなかったのですが、全身状態があまりに悪く、肺炎、多臓器不全の状態で、ニ三日が山というような説明を受け、山のような同意書にサインする母に付き添い、病院に泊り込み…
そんな日が続きました。
一時は本当に危険な状態で、親戚にも連絡し、呼吸器の酸素濃度も最高レベルまで上げ、もうこれ以上は手の施しようがない、そう言われるところまで、さまざまな先生に見ていただき、数え切れないほどの注射、点滴、薬の投与を繰り返しました。
HCUからICU、ICUにも一週間ほどいたでしょうか。
やっとほんの少しずつ、少しずつの回復の兆し、よい兆候が見られるようになり、予断を許さない状況ながら、安定した状態になってきた、そのころには年も明けて2008年…
世間はお正月。
こちらには全くそんな実感もなく…
まだまだ呆然とした、でも体的には毎日バタバタ忙しい、そんな日々だったように思います。
そこから意識が回復するのにも、とても時間がかかりました。
先生たちがもう戻ってもよいころだと言われてから、なかなか目を開ける程度くらいまでしか帰ってこなくて、植物状態同然、こうした状況のままなのではないかと心配したほどです。
ところが、そうだれもがあきらめかけたころから、急に意識が清明になってきて、こちらが示す指でのイチ、ニ、サンに反応してまねをするようになり、うなずいたり首を振ったり、簡単な意思表示をするようになりました。
これできっと帰ってくる、かなり元通りになれるに違いない、
そう思ってから、
「言葉が出る」
そこにまた、かなり時間がかかりました。
先生方ももうムリではないか、通常の人の位置に言語中枢があったのならば、今回の出血が影響を及ぼすはずはないのだが、まれに、異なった位置に中枢がある人もいるので、そうした例なのではないか、とも説明され、なんでこんなに悪い運ばかり引き当てるのか、と思ったくらいです。
ところが、これまた突然、
看病疲れで母も私も少しぼんやりとしていた夕方過ぎ、宵のうちだったと思います。かけていたふとんをどけるようにしながら、かすれた、小さな声で
「あつぅっ…」
感動的な第一声がそれ?!(笑)
…って感じですが。
驚きました。本当にうれしくて。母もうれし泣き、でした。
それからは声がかすれたままではありましたが、徐々に回復して、リハビリも進み、救急専門病院である、この病院からは退院してよいのでは、いやむしろ、退院して十分に、充実したリハビリを受けることのできる、リハビリ専門病院に移ったほうが本人のためだというアドバイスを、先生方からいただけるようになりました。
ただ、この間も微熱が下がらず、心配要素を残してはいたのですが…

まぁ、とにかく早くリハビリに取り掛からないと、全身状態があまりに悪く、かなりその治療に時間を要していたため、十分な効果が得られる、リハビリに効果的とされる期間を過ぎてしまう、という時期だったので、少し急ぎ気味に…という感じで、退院、転院。
…となったのが1月の下旬に差し掛かったころでした。
これでリハビリすれば、かすれた声も、動きのあまりよくない左も、少しずつ元に戻っていってくれるだろう、少々後遺症が残っても、それはそれ、
そう、少しは安心した気持ちでした。

ところが、大変なのはまだここから、だったんです。
リハビリをはじめて二日ほどは順調でした。
左の手もずいぶんと上がるようになり、車椅子もうまく使い、少しは歩けるようにも…
ところが、ひかなかった微熱が、急に高熱に。
リハビリを急にがんばったための、一時的なものだろうと思ったのですが、なかなか状態が改善しません。
リハビリの病院にまた夜遅くまで付き添う日が続きました。
吐き気や下痢もあり、本人も体がとにかくだるい、そう訴えていました。
それがすっと治ったのが二月中旬に差し掛かるころ。
これで安心と話していて、ちょっと席を外し、病室に帰ってきたところ、急に肋骨の合わさったところ付近がひきつるように、ものすごく痛むといい始め、見る見るうちに顔色が悪くなって容態が急変。
あわてて看護師さんに連絡しましたが、血圧が急激に降下し、看護師さんも青くなって、先生、先生呼んでっっ!!!
とスタッフ全員が走り出す事態に。
幸いすぐに先生方も集まってくださって、すばやく処置をしてくださったので状態は落ち着きましたが、このままリハビリ専門病院においておくわけにもいかないだろうということで、再び救急車を呼んでもらい、元の救急病院へ、また急遽転院しました。

何でこう何回も救急車に…
救急車の窓越しに、サイレンに振り返る人の顔を見ながら、思っていました。

で、その日の夜、救急病院で診察を受けている途中、トイレに行って下血。
かなり便器いっぱいになるほどの出血だったそうです。
状態は落ち着いていたのですが、これでは放っておくわけにはいかず、急遽内視鏡等の検査を行い、その夜は真夜中、日付が変わるまで検査検査でした。
前回腎臓も傷めているだけに、本当はとりたくなかった造影CTも使い、出血部を精査。
そうしてようやくわかった結果は肝動脈瘤の破裂による出血、ということでした。
処置としてはコイルのようなもので血管をつぶすかたちで止血。無事に処置はでき、その後のさらなる出血もなかったのですが、その管を入れる際の大動脈からの出血が、通常の人に比べて、極端に止まりにくかったこと、肝臓という非常にめずらしい部分からの出血であったことから、何か全身の血管自体がもろく、どの部分も出血しやすい、そうした病体なのではないか、ということを告げられました。
いつまた今回のようになるかもわからない、爆弾を抱えたまま、のような状態で、根本的な治療は、原因も突き止められていないこともあり、施しようがない、というのです。
肝動脈瘤の出血自体、それだけでも大変めずらしい、僕たちも勉強させてもらわなければならない、学会にも報告できるようなケースなんです、と主治医の先生もおっしゃるので、帰宅して私もネットで調べてみましたが、手術中の事故や外傷的ショックを原因とする出血をのぞき、疾病による肝動脈瘤の破裂、出血、というケースにしぼってみてみると、日本では年間に一人いるかいないか、正式な治療報告としては、世界でも数例、日本では数年前の消化器学会で報告された一例しか見当たらないような状態でした。
その学会報告の内容はいちおうを通してみたのですが、素人目なのでなんともいえないけれど、たどった経過、主な症状は本当に酷似。驚くほどに似た症状でした。

今はその後の経過も順調で、リハビリも進み、体力の低下は否めないものの、ほぼ普通の生活を送ることができる、目立った後遺症もない状態です。
先日、退院も果たし、不便はありながらも、なんとか自宅で療養生活を送ることができています。コミュニケーションもほぼ普通に取れますし…。
驚くように回復して、目立った問題のない現状態としては、本当に喜ばしいかぎり☆
ただ、この難しい病体と、いかにうまく付き合っていくか、異変にいかに早く気づき対処するか、それは、やはりこれからずっと続いていく、難しい課題です。
血管に負担をかけないよう、血圧のコントロールに気を配る、それくらいしかできることはありません。

でも、悩んでいても仕方ない、
明日がわからないのは、人間だれだって同じ、
ただリスクにちょっと違いがあるだけ…
そう思って、まずは体力の回復を本人ががんばっている、それをできるだけサポートしていかなくては、と思っています。
将来、もう少し、こうした病気に関することが解明されて、せめて異変の前兆となる目安だけでもわかればいいなぁ…
なんて。
まぁ、先のことをいっても仕方ありませんから(^^;
こまめに血圧をチェックしたり、できるサポートはしつつ、前向きに考えて、在宅リハビリ&通院で、、、
という毎日に突入したところです。

それにしても、家族も驚きましたが、親戚も、知り合いも、そして関係した何十人もの先生方も、とにかく驚かせまくられました
なにもこんな…
フツーの生活を送っている、
ごくごくフツーの民間人に、庶民に、
こんな病体がヒットしなくてもいいじゃないですか、ねぇ
宝くじでももっと確率高いじゃんっっっ
まぁ、こんなことを笑ってネタにできるくらい、今が安定している、というのは、それ以上に有り難い、ほんとうにこの幸福をうれしく思う、ことなのですが。

人生何が起きるかわからない、
…つくづくそう思い知らされました。

ちょっと落ち着いたら、これまで張り詰めていた糸が緩んだのか、やっぱりかなり疲れが…
そんなのは、苦しんだ、がんばった当人にはもちろん、一緒にがんばってきた母にも見せたくないし、心配かけたりなんて、もちろんしたくないんですけどね
正直、肩バリバリ、頭痛しまくり、体調はサイアク、なかなか夜も眠れないし…

ま、これも日にち薬。
少しずつほぐしていくしかないかな

人間ができてないなぁ…っていうのも今回本当に思い知らされましたね。
もう少し、自分ってオトナになれていると、恥ずかしながらどこかで思ってたような気がします。
でも、実際にこんな場になってみると、冷静な判断を下すのに時間がかかったり、つい疲れてイライラとしてしまったり…
まだまだ子供だなぁ…と。うん。
そう思い知らされました。

ま、思い知ったぶん、こんな私もすこしは成長したかな(笑)

まだまだ、完全な元の生活に戻すには、時間もかかると思うけれど、こんな風に悩める“シアワセ”を感じて、家族みんなで、焦らず、明るく、病気とともに生きていけたらな、と思う今日この頃です。

なんだかだらだらと長くなったけど、久々の更新もまぁ、このへんで
あ、夕飯レシピの更新もまた再開して続けていこうと思うので、今日のレシピ紹介でシメにします♪

・鯨ベーコン 大根とにんじんのツマ
・春の山菜 アーモンドバターのソース …①
・ごぼうとベーコンの味噌クリームスープ …②

①の作り方
1 うるい、アスパラは適当な長さに切る
2 つくしははかまを取ってきれいに洗い、さっとゆでる
3 1もさっと塩茹でする
4 ソースパンに冷たいバターを入れ、はしばみ色になるまで焦がし、ノワゼッ
  トバターを作る
5 焦げ過ぎないように注意し、ちょうどよいはしばみ色になったら火を止めて
  レモン汁を加え、スライスアーモンドも加えて混ぜ合わせ、ソースとして、
  2、3を盛りつけた上からかける

②の作り方
1 牛蒡はささがきに、ベーコンは一センチくらいの細切りに、ねぎは薄めの輪   切りにする
2 ベーコンの脂でごぼうとねぎの白い部分をいためる
3 味噌は直火で炙って焼き味噌にしておく
4 2の鍋に水を加えて少し煮る
5 3の味噌を4に溶かし込んで味を調え、ねぎの青い部分、生クリームを加え
  て、一煮立ちしたら火を止める
6 好みで胡椒を軽く吸い口にひく

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