ども。
今日は暖かい一日でした♪
このくらい過ごしやすい日が続いてくれるといいなぁ。。。
それでも家でじっとしていると寒いくらいなんですけど(^_^ゞ
しばらくはお天気がイマイチなところも多いながら、あたたかさは続きそうならしく
まだ2月ということを考えれば、これでは暖かすぎるのでしょうけれど、ちょっとうれしく
思っている次第であります(笑)
えっと、まずは簡単な宣伝?ご報告を。
とりあえず、論文でバタバタしていてこのブログをお休みしていた間、
撮りだめていた食卓写真をフォトチャンネルβにて公開中です☆
ch15839とch15340がそれですので、よろしければ…
手抜きもかなり混ざっていますが、ま、それはそれで(^_^;)
楽しんでみていただければ幸いです♪
で、ここからが本日の話。
バンクーバーオリンピックもいよいよ佳境に入ってきて、今日からついに女子フィギュアスケート、ということで、
一気に盛り上がっているというか、
かなり世間的に注目が集まっているようで。
かなりの高得点争いですごいことになっていますが、
ほんと、それぞれの技術と身体表現、精神力の強さに、何も分からなくても惹きつけられてしまうところがありますね。
このあとどうなるのか、そちらも興味津々ですが、各選手がオリンピックの舞台を楽しんで、悔いのない演技で競い合ってほしいです☆
なかなかあれだけの大舞台で、一発限りの舞台で、“楽しむ”のは、それだけで並大抵にできることではありませんが…
そんな気持ちで見ています。
で、ま、それと表現という点では関係していなくもないのですが、ちょっと違う話題。
先日、月曜日の光一君のどんなもんヤで、数字王への道のコーナー、
問題が「4分33秒」、
で、その答えとして、ジョン・ケージの音のない曲であるということが紹介されていました。
ま、この『4分33秒』はものすごく有名な作品で、多少なりとも現代芸術、現代音楽をかじっていれば、まず知っているであろう作品なのですが、
とはいえ、現代芸術自体、そう広く一般に認知されている、なじみがあるものでもないですから、
この数だけ言われると、「なに??」と思った方も多かったのではないかと思いますし、
光一君もギブアップしてたんですね。
で、そこまではまぁふつーなんですけど、そこで光一君が
「へぇ~、おもしろいこと考えるなぁ。指揮の人とかどうしとんかな?ただ休符で、んふふ~~って振っとんやろ?」
というようなことを言ってたんですね。
これを聞いた瞬間、私は思わずはっと目を見開かれる思いがしたんですっ!!!
それこそ「なんで?」と思われる方も多いと思いますので、説明しますと、
この『4分33秒』は初演かつもっとも有名な演奏が、デイビッド・チュードアというピアニストによってなされたために、それがすっかりアイコンのようになってしまって、
その演奏のほとんどがピアノ一台でなされる、
まるでピアノ曲であるかのように思われているんです。
当然、それはピアノ一台の独奏ですから、指揮者もいない。
だけど、ケージの楽譜上の指示には、どこにも楽器についての指示など書かれていないのであって、
ピアノ一台、というのはあくまでチュードア独自の解釈にすぎないんです。
だから、この曲はある楽器の“ための”曲ではなく、なんらかの楽器“による”曲でなければならない。
ピアノ曲としてしかイメージされないのは、もはや作品として大きく誤解されている、根本的誤解なんです。
私自身、指示がないことは知っていたはずなのに、そのことをすっかり忘れてしまっていた、
4分33秒と聞いて、すぐにあのピアノの前に横向きにたたずむ、沈黙の姿を想像してしまっていたんです。
そこで「指揮者」と言われて、
(あっ!!)…と。
うん。
それに、光一君本人はもちろん気づいていない何気ない発言ですけど、
とっさに“指揮者”の休符における動き、それがひたすら続けられるその異質さを指摘しているところがすごい。
驚きました。
指揮者やオーケストラを用いれば、その表現は全く違った印象のものになるはず…
あらためてこのケージの作品の深さも感じさせられたというか。
まだまだ読み解かれるべきもの、表現の余地のある作品であり続けていることを強く感じました。
ひたすら休符を、身体で表現し続ける指揮者…
想像しただけでも、そこには新しい表現が生まれている気がします。
そもそもこの曲の意図は、
作曲と演奏と聴衆と、それぞれの位相を隔たったものでもあり、連結されたものでもあり、そんな特異な関係としてあらためて意識させること、
また時間を枠として見つめること、その中に入れられていく音、ありふれた音への意識、その音が起こる偶然性…
その他もろもろ、といったところにあると考えられると思うので、
うん…
この指摘はほんと、私自身、なにげな知識に縛られて見えなくなっていた、作品本来が狙っていたはずのものを再認識させる、あらためて考えさせるようなものだったんです。
もちろんケージもやっぱり偉大、とあらためて思ったのですが、
なんでしょうね~、
しかし光一君、すごいこと言うわ。。。
表現に携わっていると自然と出てくるのか、直観の才能か。
よく思わされることなのですが、ほんと、あらゆる面にセンスある人です。
あぁ~、Cageももう一度勉強してみるか
今日のレシピです
・牛すじ肉の赤ワイン煮 …①
・蒸し野菜の粒マスタードマリネサラダ …②
・クッキングトマトのバターカレーグリル …③
①の作り方
1 牛すじ肉は今回は炊飯器で。まず鍋にすじ肉を入れて一度ゆでこぼし、余分な脂を除く
2 きれいに掃除したすじ肉を炊飯器に入れ、ひたひたの水を注いで炊飯する
3 炊きあがれば柔らかくなっているので、食べやすいサイズに切る
4 フライパンで小麦粉を褐色になるまで乾煎りする
5 鍋ににんにく、しょうが、スライスした長ネギを入れて軽く炒め、赤ワインを注ぐ
6 すじ肉も加える
7 酸とアルコールを飛ばしたら、炊飯器のゆで汁を濾したものを少し加える
8 4の小麦粉を水に溶いて加える
9 ビーフブイヨンと塩、胡椒、ローリエ、砂糖少々、しょうゆごく少々を加えて煮る
10 全体がとろりと炊きあがって味が入れば出来上がり
②の作り方
1 もやし、雪菜、キャベツ、にんじん、大根などを適宜カットし、レンジで蒸す
2 水菜を器に敷く
3 1の水分を絞って、ナンプラー、粒マスタード、ワインビネガー、塩少々であえる
4 2に盛りつけて出来上がり
③の作り方
1 加熱用のトマトを(なければ普通の完熟トマトで)スライスする
2 耐熱皿に並べ、カレーパウダー、塩少々、胡椒、バジル、タイム、バターを小さくちぎったものをのせる
3 オーブンに入れ、焼き上げる
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それでは。
今日は暖かい一日でした♪
このくらい過ごしやすい日が続いてくれるといいなぁ。。。
それでも家でじっとしていると寒いくらいなんですけど(^_^ゞ
しばらくはお天気がイマイチなところも多いながら、あたたかさは続きそうならしく
まだ2月ということを考えれば、これでは暖かすぎるのでしょうけれど、ちょっとうれしく
思っている次第であります(笑)
えっと、まずは簡単な宣伝?ご報告を。
とりあえず、論文でバタバタしていてこのブログをお休みしていた間、
撮りだめていた食卓写真をフォトチャンネルβにて公開中です☆
ch15839とch15340がそれですので、よろしければ…
手抜きもかなり混ざっていますが、ま、それはそれで(^_^;)
楽しんでみていただければ幸いです♪
で、ここからが本日の話。
バンクーバーオリンピックもいよいよ佳境に入ってきて、今日からついに女子フィギュアスケート、ということで、
一気に盛り上がっているというか、
かなり世間的に注目が集まっているようで。
かなりの高得点争いですごいことになっていますが、
ほんと、それぞれの技術と身体表現、精神力の強さに、何も分からなくても惹きつけられてしまうところがありますね。
このあとどうなるのか、そちらも興味津々ですが、各選手がオリンピックの舞台を楽しんで、悔いのない演技で競い合ってほしいです☆
なかなかあれだけの大舞台で、一発限りの舞台で、“楽しむ”のは、それだけで並大抵にできることではありませんが…
そんな気持ちで見ています。
で、ま、それと表現という点では関係していなくもないのですが、ちょっと違う話題。
先日、月曜日の光一君のどんなもんヤで、数字王への道のコーナー、
問題が「4分33秒」、
で、その答えとして、ジョン・ケージの音のない曲であるということが紹介されていました。
ま、この『4分33秒』はものすごく有名な作品で、多少なりとも現代芸術、現代音楽をかじっていれば、まず知っているであろう作品なのですが、
とはいえ、現代芸術自体、そう広く一般に認知されている、なじみがあるものでもないですから、
この数だけ言われると、「なに??」と思った方も多かったのではないかと思いますし、
光一君もギブアップしてたんですね。
で、そこまではまぁふつーなんですけど、そこで光一君が
「へぇ~、おもしろいこと考えるなぁ。指揮の人とかどうしとんかな?ただ休符で、んふふ~~って振っとんやろ?」
というようなことを言ってたんですね。
これを聞いた瞬間、私は思わずはっと目を見開かれる思いがしたんですっ!!!
それこそ「なんで?」と思われる方も多いと思いますので、説明しますと、
この『4分33秒』は初演かつもっとも有名な演奏が、デイビッド・チュードアというピアニストによってなされたために、それがすっかりアイコンのようになってしまって、
その演奏のほとんどがピアノ一台でなされる、
まるでピアノ曲であるかのように思われているんです。
当然、それはピアノ一台の独奏ですから、指揮者もいない。
だけど、ケージの楽譜上の指示には、どこにも楽器についての指示など書かれていないのであって、
ピアノ一台、というのはあくまでチュードア独自の解釈にすぎないんです。
だから、この曲はある楽器の“ための”曲ではなく、なんらかの楽器“による”曲でなければならない。
ピアノ曲としてしかイメージされないのは、もはや作品として大きく誤解されている、根本的誤解なんです。
私自身、指示がないことは知っていたはずなのに、そのことをすっかり忘れてしまっていた、
4分33秒と聞いて、すぐにあのピアノの前に横向きにたたずむ、沈黙の姿を想像してしまっていたんです。
そこで「指揮者」と言われて、
(あっ!!)…と。
うん。
それに、光一君本人はもちろん気づいていない何気ない発言ですけど、
とっさに“指揮者”の休符における動き、それがひたすら続けられるその異質さを指摘しているところがすごい。
驚きました。
指揮者やオーケストラを用いれば、その表現は全く違った印象のものになるはず…
あらためてこのケージの作品の深さも感じさせられたというか。
まだまだ読み解かれるべきもの、表現の余地のある作品であり続けていることを強く感じました。
ひたすら休符を、身体で表現し続ける指揮者…
想像しただけでも、そこには新しい表現が生まれている気がします。
そもそもこの曲の意図は、
作曲と演奏と聴衆と、それぞれの位相を隔たったものでもあり、連結されたものでもあり、そんな特異な関係としてあらためて意識させること、
また時間を枠として見つめること、その中に入れられていく音、ありふれた音への意識、その音が起こる偶然性…
その他もろもろ、といったところにあると考えられると思うので、
うん…
この指摘はほんと、私自身、なにげな知識に縛られて見えなくなっていた、作品本来が狙っていたはずのものを再認識させる、あらためて考えさせるようなものだったんです。
もちろんケージもやっぱり偉大、とあらためて思ったのですが、
なんでしょうね~、
しかし光一君、すごいこと言うわ。。。
表現に携わっていると自然と出てくるのか、直観の才能か。
よく思わされることなのですが、ほんと、あらゆる面にセンスある人です。
あぁ~、Cageももう一度勉強してみるか
今日のレシピです
・牛すじ肉の赤ワイン煮 …①
・蒸し野菜の粒マスタードマリネサラダ …②
・クッキングトマトのバターカレーグリル …③
①の作り方
1 牛すじ肉は今回は炊飯器で。まず鍋にすじ肉を入れて一度ゆでこぼし、余分な脂を除く
2 きれいに掃除したすじ肉を炊飯器に入れ、ひたひたの水を注いで炊飯する
3 炊きあがれば柔らかくなっているので、食べやすいサイズに切る
4 フライパンで小麦粉を褐色になるまで乾煎りする
5 鍋ににんにく、しょうが、スライスした長ネギを入れて軽く炒め、赤ワインを注ぐ
6 すじ肉も加える
7 酸とアルコールを飛ばしたら、炊飯器のゆで汁を濾したものを少し加える
8 4の小麦粉を水に溶いて加える
9 ビーフブイヨンと塩、胡椒、ローリエ、砂糖少々、しょうゆごく少々を加えて煮る
10 全体がとろりと炊きあがって味が入れば出来上がり
②の作り方
1 もやし、雪菜、キャベツ、にんじん、大根などを適宜カットし、レンジで蒸す
2 水菜を器に敷く
3 1の水分を絞って、ナンプラー、粒マスタード、ワインビネガー、塩少々であえる
4 2に盛りつけて出来上がり
③の作り方
1 加熱用のトマトを(なければ普通の完熟トマトで)スライスする
2 耐熱皿に並べ、カレーパウダー、塩少々、胡椒、バジル、タイム、バターを小さくちぎったものをのせる
3 オーブンに入れ、焼き上げる
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