その⑦からの続きになります。寄稿者は入間のおじさんです。
滑車は隣町の中古工具店で買ったもの、ストラップは当時大量に放出されていた国防色のリング状のもの。長さの調整できるチェーンも飛行機用で良いものがあったりと装備も揃って行きました。
つけてはみたものの、すぐに必要となる用事があるわけではありませんでした。面白がりに滑車を付けてダブルにして滑車とフックをそれぞれバンパーの両端につけたまま巻き取ってみたら何とフックがぐぐっとバンパーの端を曲げながら食い込んでしまって驚きました。また、取り付けた週の休みには山へ行って用もないのに急な斜面でテストをしてみましたが、この時もサイドブレーキがかかったままのジープをシングルラインでぐんぐん引いてしまい本当に驚いたものでした。
今でもウインチを取り付けた人に聞くと同様ですが、自分でウインチを付けると不思議とスタックしなくなってしまうのでした。あの8274も、自分のJ54を引き上げたのは何回もなかったものでした。
その代わりに、他人の4x4はよく引き揚げをしました。オルタネーターや配線が過熱しないかと手で触りながら難所で何台もジープを次々に引き揚げたりしたものでした。ノーズヘビーで走破力がガソリン車に負けていた私のJ54にとっても、あの8274は誇りだったでしょう。抜根機がわりに農家の立ち木の引き向きを手伝ったこともありました。整備工場のお客さんの車の引き揚げを手伝ったり、無線のアンテナを立てるときにも使ったりしました。
しかし、酷使がたたってドラムのプラスチックのブッシュはすり減ってしまい、塩化ビニールの水道管で具合のいいサイズのものを少し緩めておいて叩き込んで代用したりしました。クラッチの逆転防止爪も片方は割れて取れてしまったが、それでも実用には使えました。弱ったのは4個ついているリレーが水に弱くて作動不良となることが頻発したことでした。ケースを開けてみるとソレノイドのプランジャーが赤く錆びてしまって動きが悪くなっていたのでした。見たところ、アメリカ車のスターター・ソレノイドと同じものなので交換しようとも思いましたが、分解したついでにペーパーで磨いて油をさしてリベットの代わりに細いビスを通して組み上げ、水分が入らないようにペイントをたっぷりと塗ってからグリース漬けにしておいたらその後のトラブルは起こりませんでした。
ワイヤーも牽引中に2カ所が切れましたが、仲間の材木屋さんが器用に編んで繋いでくれて直してくれました。このウインチはギアオイルの交換を考えないのかドレインが見つからなかったので、ケースのボルト穴から抜いて交換したりと酷使もしましたが随分と手入れもしました。
その内に何が理由であったのか忘れましたが、あの8274はジープから外されて自宅の駐車場の隅に放置されていました。そして最後にはふらっと遊びに来た友人が手に入れたFJ40に付けるのだと買っていってしまいました。もともと鉄鋼原料の仕事をしていた彼の金物に対しての評価は低くて確か2~3万円で、その価格で買われていったのでした。
そして、その友人に会う機会があったら何とまだそのFJを愛用しているばかりでなくフロントにつけたあの8274もたいした整備もされないままにもかかわらず、健在で所定の能力を発揮しているのです。その後販売されたウインチの多くがろくろく使われないでバンパー上に飾られているのに比べて、何と幸せなウインチなのかと思いました。
先日、富士の綺麗に見えるところへ家族と行ったら近くにジープの廃車が何台もあったので、近くによって見た。すると隣に見覚えのあるカマボコ型のバンが見えました。前に回って良く見るとそれはやはりシトロエンのバンでした。そしてそれは何とあの黒岩さんの2CVのバンだったのです。
何のことはない話です。ただ、使い古したウインチや黒岩さんのシトロエンの廃車に再開したというだけの事なのですが、最近になってこの二つの発見をきっかけに、ジープセンターと出会ってからの20年間が本当に懐かしく思い出されています。
☆8274に関して師匠の事を思い出された入間のおじさんの寄稿文全文です。
★三菱ジープ互助会★
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