このJ3Rは、初年度登録が昭和42年(1967年)で47年が経過しております。詳細は今後順次見て参りますが、コラムシフトに逃げがあるタイプのようです。フロントマスクは以下のようになっています。
《副代表のJ3Rフロントマスク》
車体は、今はこのような色に塗装されていますが、純正色のグレイがかったシルバーが顔をのぞかせています。もともと千葉県にある農業系の大学で使用されていた車両で、その後自動車業者の手を経て、レッカー車両を保有する個人ユーザーがレストア用に車両を購入。しかしながら、その後レストアされることなく1987年の最終車検取得日から1998年までの12年間弱そのままになっていたようです。
《副代表とJ3Rとの出会い》
何かどこかで記載したような記憶があります。でも、今回副代表の口から聞いてみるとこれまで理解していた内容と少し違っていました。なんと、1998年何月か号の4x4マガジンの『売りたしコーナー』にこのJ3Rが掲載されていたそうです。車両を気に入り、レッカーを所有する個人ユーザーに、当時東京都府中市にあった(株)日本ジープセンター(黒岩社長)に運んできて貰ったとのことでした。さすがに長期間使用されていなかったことからか、ブレーキシューとブレーキシリンダーは取り外されていたそうです。その際、手持ちのもう一台のJ3Rから使用可能な部品を移植したそうです。その後、16年で約9万km走行したらしいです。この間、整備や車検は全てご自身で実施。当初千葉では1ナンバー登録で、東京で移転登録した際に、車検を2年ごとに取得できる3ナンバーに変更した由。
皆さんが気になる維持費や消耗部品への対応は、また次回に続きます。
★三菱ジープ互助会★
代表発起人J57改@日野市
当方へのアクセスは、jeep-gojyokai@crux.ocn.ne.jp まで
《副代表のJ3Rフロントマスク》
車体は、今はこのような色に塗装されていますが、純正色のグレイがかったシルバーが顔をのぞかせています。もともと千葉県にある農業系の大学で使用されていた車両で、その後自動車業者の手を経て、レッカー車両を保有する個人ユーザーがレストア用に車両を購入。しかしながら、その後レストアされることなく1987年の最終車検取得日から1998年までの12年間弱そのままになっていたようです。
《副代表とJ3Rとの出会い》
何かどこかで記載したような記憶があります。でも、今回副代表の口から聞いてみるとこれまで理解していた内容と少し違っていました。なんと、1998年何月か号の4x4マガジンの『売りたしコーナー』にこのJ3Rが掲載されていたそうです。車両を気に入り、レッカーを所有する個人ユーザーに、当時東京都府中市にあった(株)日本ジープセンター(黒岩社長)に運んできて貰ったとのことでした。さすがに長期間使用されていなかったことからか、ブレーキシューとブレーキシリンダーは取り外されていたそうです。その際、手持ちのもう一台のJ3Rから使用可能な部品を移植したそうです。その後、16年で約9万km走行したらしいです。この間、整備や車検は全てご自身で実施。当初千葉では1ナンバー登録で、東京で移転登録した際に、車検を2年ごとに取得できる3ナンバーに変更した由。
皆さんが気になる維持費や消耗部品への対応は、また次回に続きます。
★三菱ジープ互助会★
代表発起人J57改@日野市
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