主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。詩篇23:1
昨年11月から福岡の病院で闘病中だった重富牧師が2月に退院、
体調を整えて3月末、イースターに合わせて帰札され、札幌教会の
働きの最前線に戻られました。これは先生が月報KaIros第21号に
書かれた手記。復活の信仰、再生の喜びに溢れたメッセージです。
治療は順調に進み、放射線40グレイを照射したところでいったん中断、正月休みとなり、
新年の第1回目のカンファレンスで、放射線と抗癌剤による治療を続行するか、中断して手術
をするかの検討がなされた。結果、治療効果がかなり上がっており、細胞検査でもがん細胞
が採取されないということで、残り30グレイの続行が決定した。すべての治療を終えて退院
が許可されたのが2月9日だった。
退院直前は、これからは着実に元気を取り戻し、3月上旬には、仕事に就けるのではない
かと想像していた。
そんなときである。札幌の方々が、「3月はまだ大雪も降ることだし、十分に体力をつけて帰
るほうがいい」と心配してくださっていると岡田牧師を通して聞いた。それが正しかったことは
すぐに証明された。
さていざ退院。ちょっとした退院祝いに兄弟も集まり、鮨を取って食べた。数個しか食べな
かったが、おいしかった。そしてトイレに立った時である。本州と同じく九州の冬の家も、暖房
した部屋とそうでない部屋との間に格段の温度差がある。特にトイレは寒い。それが体に敏
感に反応し、全身が震えてとまらなくなったのだ。予想以上の体力の低下。そして次の日の
夜中に喘息の発作が出てしまった。薬は手元にない。せき込みが止まらない。「このまま呼吸
困難、そして死か」「チアノーゼ」という言葉が脳裏をよぎった。一気に妄想が膨らみ死の恐怖
に襲われた。「今は死ねない。このままではまずい」。夜中の一時頃のことである。姉夫婦を
起こし、救急車を呼んでもらった。退院にがんセンターを退院したばかりだいうことを伝えたと
ころ、救急車は、私をがんセンターに運んだ。そこで応急処置を受けて落ち着いた。今思え
ば本当に救急車を呼ぶほどのことだったのかどうかはわからない。ただ心理的に、そこまで
追い詰められてしまったのだ。結局、姉夫婦も心配し、しばらくの間、近くの個人病院に入院
することになってしまった。
その病院でのことである。人間、体が弱ると心も弱る。心が弱ると、ネガティブな妄想が限り
なく暗い所から湧きあがってくる。突然再発のへの恐れが心に広がる。その恐れに呼び出さ
れて、声を失った人、嚥下力が極端に落ちた人、手の打ちようがないと宣告された人、病院
で見た様々な群像の悲しみと怨念が脳裏を巡る。自分もそうなるかもしれないと怯える。
また自分のこれからのこと、仕事や進退のことへのネガティブな想念が黒雲のように湧き出
てくる。自分はもう不要なのか。その先に何が待っているのか、病に捕らえられた先細りの惨
めな老後。妻なき孤独の日々。
恐慌状態のなかで次々出てくる妄想は、いたたまれないほどの不安と恐れを伴う。このまま
鬱病になって立ち直れないのかとさえ恐れる。
聖書を読む。繰り返し、繰り返し。「恐れるな」という言葉が何度も目に入る。「しっかりする
のだ。私だ。恐れることはない」「なぜ恐れるのか、信仰の薄い者よ」。治療の副作用のせい
か、夜中に起きるトイレの回数が多い。その度に寝付くまでのひと時妄想が襲う。目を開け
闇の一点を見つめてそれをはらおうとする。時には起き上がり、時には寝たまま手を合わせ
て祈る。心を鎮めてくれるのは、やはり祈り。祈っているうちに寝付いてしまったことも度々あ
った。
このようなときはどうしても自分のことばかりを祈ってしまいがちだ。けれど、いのりのなかで
いちばん平安を与えられる祈りは、感謝の祈りであることも再認識させられた。感謝すべきこ
とをひとつひとつ思い出し、自分のために祈ってくれている兄弟姉妹のことをひとりひとり思い
浮かべながら、感謝の祈りを重ねていく。感謝の思いが深まると恐れも薄れる。
しかし、しばらく平衡状態にあるかと思うと、振り出しに戻ったかのように、また突然均衡が
破れる。そんな状態を何日繰り返しただろうか。2週間近くは続いただろうか。
時間はたっぷりあるので、思いつくままにあらゆることをノートに書きつけた。懺悔、祈願、
分析、迷い、煩悶、感謝などありとあらゆることである。そうしたことを繰り返しているうちに、
思いは常にひとつのところに行き着くようになった。
それは結局「この自分の体は自分のものではなく主のもの」ということだった。「主がわたし
の主として、この朽ちるからだをご支配なさり、朽ちないからだに復活する道筋をつけてくださ
る。自分でそれをどうこうできるものではない。今はただ職務を全させていただくよう祈ろう。
それからのことはその都度道が開かれる」。思いがたどり着くのはいつもそこだった。思いが
そこにたどり着くたびに、気持ちも落ち着く。そのようなことを繰り返した。
もうひとつ思いがけない経験も与えられた。たまたま読んでいた本に「気貫丹頂」という簡単
な気功が紹介されていた。それをやってみた。すると心の奥にあったざわめきがスーッと消え
たのだ。これは驚いた。こういう形でも、主は答えてくださるのかと思った。そういえば聖書で
も神の霊をルーアッハ「息」「風」という。「息」と「気」、宇宙を支配されている神の息を中国人
は「気」として感受していたのだろうか。「呼吸法」、いずれにしても、これはもう少し探求に値
する。
このようにしてわたしにとってのメメント・モリの修練は、退院後に集中的に与えられた。
信仰が問われた。いざとなったら本能的にどれほど死を怖がっているのかもわかった。今ま
で「心細い」などと、本当に思ったことはなかったが、この度それを芯から経験した。病気を抱
えて一人で生きている多くの人たちが、このような心細い思いで生きているのだ。だからこそ
何かにつながっていたい。教会はそのようなつながりをもっと大切にしなければいけないとも
思った。
それと同時に、本能の恐れを突き抜けて、「主と同じ姿に変えられる」「栄光の姿に変えられ
る」と、復活に全存在を賭けていったパウロの言葉も、いよいよ確かに魂を支えてくれた。
聖書の「復活の命」「永遠の命」のイメージが、もう一度、死の病を経験したわが身のこととし
て、しっかりと未来の扉を開いてくれた。もし復活信仰がなかったら、わたしはさらにどんな迷
路の中に入り込んでしまっていただろうかと思う。復活の命、今からのすべてはそこに向けて
あるのだと思う。