北海道から帰り一週間がたちました。
仕事が忙しかったり、風邪をひいたり、そして今日は強い雨。
特に何も話がないので、北海道旅行から一編。
先週金曜日、帯広から苫小牧までの移動と球に立ち寄った、旧富内線振内駅。
鉄道記念館になっています。ここにはちょっと不思議なD51が。
「D51-23」、D51の23号機?。鉄道省~旧国鉄は形式の後に「ー」は入れないけど…

D51の23号機なら、給水温め器を、煙突と砂箱の間に設置し、カバーで一体化させた「ナメクジ」型だけど、
こいつは給水温め器が煙突前オデコに横一本設置された所謂「デコイチ」型です。
調べてみれば、こいつは戦後に旧ソ連のサハリン向けに輸出されたD51同型機のようです。
戦後補償と言われることも多いようですが、経緯は純粋に輸出だったようです。
ここ最近、シベリア鉄道をサハリン経由で北海道の宗谷本線につなげようとロシアから提案があったと報道されましたが、
一番のネックは、シベリア鉄道と宗谷本線の線路の規格が大きく異なること。
レールの軌間はシベリア鉄道1520mm、宗谷本線(国鉄~JR)1067mm。したがって車両のサイズや重量も全く異なります。
さてこのD51、サハリンの鉄道は旧日本統治「樺太」時代に、日本の規格で敷設されたもの。
南樺太の統治権が日本からソ連に移った後で、機関車を増備するに当たり、
規格が全く異なる(小さい)機関車を旧ソ連側で新設計するより、同規格の日本製機関車を導入したほうが有利との思惑だったのかもしれません。
あくまでも推測ですが、そんなもんでしょう。
おまけにもう一説。
いまでもD51を「デゴイチ」と称するのは一般的ですが、本当は「ゴ」はにごらず「デコイチ」だったらしい。
上に書いた通り、D51の形態は初期型と量産型で大きく変化しています。
初期型は、吸水温め器を砂箱と煙突の縦方向に設置し、一体型のカバーで覆ったもの。
このカバーの形がナメクジのようだったので、初期型を「ナメクジ」型と呼んだ。
量産型は、吸水温め器を煙突前方に横方向に設置。機関車のオデコに横一本のっかっているので「デコイチ」型。
元々、ナメクジ型は重量配分が悪く空転しやすく、重量配分を改善するためデコイチ型に改良されたようです。
また、ナメクジ型はカバーで覆われていたりと、メンテナンス性も悪かったように思えます。
同じD51でも機関区内では整備士、機関士ともに両者を区別する必要があり「ナメクジ」「デコイチ」と呼び分けていたのではないでしょうか?
ただその呼び名が広まっていくなかでD51「ディゴイチ」と「デコイチ」が混同され、「ナメクジ」も含めて、D51全体を濁りのある「デゴイチ」
として浸透したのではないかと思います。
あくまでも推論。
仕事が忙しかったり、風邪をひいたり、そして今日は強い雨。
特に何も話がないので、北海道旅行から一編。
先週金曜日、帯広から苫小牧までの移動と球に立ち寄った、旧富内線振内駅。
鉄道記念館になっています。ここにはちょっと不思議なD51が。
「D51-23」、D51の23号機?。鉄道省~旧国鉄は形式の後に「ー」は入れないけど…

D51の23号機なら、給水温め器を、煙突と砂箱の間に設置し、カバーで一体化させた「ナメクジ」型だけど、
こいつは給水温め器が煙突前オデコに横一本設置された所謂「デコイチ」型です。
調べてみれば、こいつは戦後に旧ソ連のサハリン向けに輸出されたD51同型機のようです。
戦後補償と言われることも多いようですが、経緯は純粋に輸出だったようです。
ここ最近、シベリア鉄道をサハリン経由で北海道の宗谷本線につなげようとロシアから提案があったと報道されましたが、
一番のネックは、シベリア鉄道と宗谷本線の線路の規格が大きく異なること。
レールの軌間はシベリア鉄道1520mm、宗谷本線(国鉄~JR)1067mm。したがって車両のサイズや重量も全く異なります。
さてこのD51、サハリンの鉄道は旧日本統治「樺太」時代に、日本の規格で敷設されたもの。
南樺太の統治権が日本からソ連に移った後で、機関車を増備するに当たり、
規格が全く異なる(小さい)機関車を旧ソ連側で新設計するより、同規格の日本製機関車を導入したほうが有利との思惑だったのかもしれません。
あくまでも推測ですが、そんなもんでしょう。
おまけにもう一説。
いまでもD51を「デゴイチ」と称するのは一般的ですが、本当は「ゴ」はにごらず「デコイチ」だったらしい。
上に書いた通り、D51の形態は初期型と量産型で大きく変化しています。
初期型は、吸水温め器を砂箱と煙突の縦方向に設置し、一体型のカバーで覆ったもの。
このカバーの形がナメクジのようだったので、初期型を「ナメクジ」型と呼んだ。
量産型は、吸水温め器を煙突前方に横方向に設置。機関車のオデコに横一本のっかっているので「デコイチ」型。
元々、ナメクジ型は重量配分が悪く空転しやすく、重量配分を改善するためデコイチ型に改良されたようです。
また、ナメクジ型はカバーで覆われていたりと、メンテナンス性も悪かったように思えます。
同じD51でも機関区内では整備士、機関士ともに両者を区別する必要があり「ナメクジ」「デコイチ」と呼び分けていたのではないでしょうか?
ただその呼び名が広まっていくなかでD51「ディゴイチ」と「デコイチ」が混同され、「ナメクジ」も含めて、D51全体を濁りのある「デゴイチ」
として浸透したのではないかと思います。
あくまでも推論。