ごじゃっぺ日記(旧、看悶日記)

京都生まれのにわか茨城県民による雑多な日記です。内容に一貫性はありませんが、どうかひとつ長~い目で見てください。

寂しい駅です、伊勢崎線太田駅

2011-07-21 20:39:00 | 日記
今日は太田駅から東武伊勢崎線で都内に向かいました。いつも太田駅に来ると感じるのですが…さびしい限り。

太田市といえば人口22万人。群馬県第3の都市にして県東部の中心地。
戦前は中島飛行機、戦後は富士重工スバルの企業城下町。
一方、伊勢崎線といえば東武鉄道の主要幹線。となれば、太田駅もさぞ賑わっているだろうと思いきや…

駅前、北口はこのような閑散としたエリア。駅が高架化で若干東側に移動したので、
駅移転前からシャッター通りと化した駅前商店街には人影すらなく…
人口22万人の拠点都市の駅前としては、これ以上寂れたところは日本広しといえども早々ないと思います。
ちなみに南口は大風俗街。昼間は閑散としている駅前通り「南一番街」は、夜になれば妖しい光に、怪しい呼び込みが闊歩する。
駅前に本屋の1軒も存在しない。太田市政は教育に熱心とも報道されますが、駅前に知性というものが存在しない。
そこにあるのはドンキホーテと性風俗のみ。こんな町に誰がした!

無秩序な郊外開発。自動車しか交通機関がない住宅地が広がり…バイパス沿いに大規模ショッピングモールが点在。
スバルの工場と風俗街しか中心部にはないという、いわば都市計画の失敗ともいうべき「下流社会」の街の顔です。

そんな訳で、太田駅も人影まばら…
伊勢崎線上りだけは、毎時特急1本+普通2本は確保されているものの、
伊勢崎線下り、小泉線は毎時普通が1本のみ。桐生線は毎時特急/普通が各1本。完全に閑散路線です。
唯一のドル箱、特急りょうもうも都内まで1時間半近くかかり、しかも付いた先は北千住、浅草というまた微妙なエリア。
わざわざ駐車場の少ない旧市街地の太田駅に出るのなら、利根川を渡った熊谷駅に向かいます。
都心まで、新幹線で僅か40分。普通でも1時間少々なんですから…
東武鉄道の不便さも、太田駅の求心力ダウンの一因ではあるでしょうが。

いま、太田市が誇れるものはハンカチ王子こと斎藤祐樹しかないのでしょうか。
太田市全体で見れば決して悪い町ではないのでしょうが、あまりにも街の顔である駅と駅前を粗末にしてませんか?
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6 コメント

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Unknown (ふぉとらん)
2011-07-21 22:33:52
太田市街地の惨状は目を覆わんばかりですが、
ゴーストタウンと化した桐生、伊勢崎市街地よりは
人が居るだけまだマシかなと思ってしまいます。
感覚が麻痺してるんでしょうね…

その代わりといっては何ですが、ディーラーは
異常に充実しています(^^;)
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Unknown (メタボのび太)
2011-07-21 22:50:53
ふぉとらんさん、お晩でした(北海道弁?)。
私の故郷は京都の外れ、車での移動は制約が多く、電車とバスが足でした。
駅を降りれば町に表情があり、どんな町か香りでわかるという…そんな感覚がありました。
地方都市はシャッター通りや都心空洞化といった問題が叫ばれて久しいですね。
私の第2の故郷ともいうべき帯広ですが、私がいた20年前は、昔ながらの汽車の駅があり、駅前には百貨店とスーパー。商店街にも人がいました。
最近訪問すれば、太田同様きれいな駅になったけど、商店街は更地になり駐車場に。商業ビルは軒並み全国資本のビジネスホテルに建て替わり…
そこに住む人の息遣いが感じられない町になってました。
太田の場合はビジネスホテルではなくて性風俗産業だったわけで…どちらがいいのかは判りませんが…

青森や富山などは、人口減少社会到来に備えて、都心回帰、コンパクトシティーを標榜した都市計画に転換しました。
現在の太田式の都市計画がいつまで持続可能なのか関心はあります。
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Unknown (ふぉとらん)
2011-07-22 23:37:43
私の故郷は太田市に吸収合併された所です。
のび太さんの「畑しか無い」写真のような所で
育ちました。要はドイナカです(^^;)

太田市も以前はのび太さんの仰る帯広のような
街でした。
ご存じないかもですが、数年前の南口はホントの
「風俗街」でした。それを取締により一掃した結果、
合法的なキャバクラが蔓延りました。
ドンキも元百貨店の建物を利用しています。
要は風俗とドンキしか利益の出ない都市構造に
なってしまった訳です。

一方北口は区画整理の大失敗によりゴーストタウンに
なりました。

元々歴史の浅い街なので一度悪い方へ傾くと、
立て直しが難しいという面もあると思います。

教育についても某アカデミー以外は普通です。
某アカデミーは格差を助長するだけで、地域の教育
の質的向上には何ら寄与していません。
地元民は醒めた目で「セレブアカデミー」を見て
いますよ。

なんかグチっぽくなってしまって申し訳有りません。
コンパクトシティの取り組みは桐生市が比較的
頑張っています。あの街には歴史という底力が
あります。
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Unknown (メタボのび太)
2011-07-23 09:24:07
南一番街が、風俗街に転落した過程は三浦展氏が「下流社会」について書いた本で詳しく書いてます。
南一番街自体が、新たに開発された町で郊外化の流れの一環で出来た街。
元々、街の歴史が無いのでさらに魅力的な郊外に人が流れれば、誰もいなくなる。
そして、店舗自体に歴史が無いので、店をたたむより手っ取り早くテナントを入れようと…
でも、人の来なくなった町にテナントが入るわけもなく、入ってきたのは風俗店やいわゆる飲食以外がメインの「飲食店」だった。

桐生は、近代産業の遺構を利用した商業開発(観光地化でもいいのかもしれません)や群馬大学の存在が大きいかもしれません。
やはり都市には教育、産業、文化が必要ということですね。
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Unknown (ふぉとらん)
2011-07-23 14:40:20
そんな本があるのですね…知りませんでした。

太田市の歴史の中心にあるのはやはり「呑龍様」
こと大光院だと思います。周辺には小規模ながら
安定的な地域が形成されています。
中央通りには群大生産工学科も出来ましたし
少し足をのばせばこどもの国公園もあります。

北口~中央通り線~大光院~こどもの国公園の
エリアが市街地再生のキーポイントになるのではないかと思います。
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Unknown (メタボのび太)
2011-07-23 20:57:19
合併エリアとの兼ね合いもあるので、難しい都市計画になりますね。
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