眇めオヤジの独り言

初老で始めたブログも、寄る人もないまま、いつしか定年を迎えた。
あいもかわらず、気ままに書き連ねていく。

山口百恵ラストコンサート

2021-01-31 | Weblog
デビューのきっかけになったスタ誕で、阿久悠が、そのスター性を
見抜けなかった発言をしたことを、書いています。
デビュー当時は、まさに発言どおり、主役ではなく、妹役という、
地味なポジションしかないように思えました。

スター性は、桜田淳子のほうが、圧倒的に感じられました。
かわいらしくて安心して見ていられました。
森昌子は、演歌調で、同世代というより、大人向けのアイドルでした。

失礼ですが平板な顔で、歌も決してうまくなかった百恵が、
脱皮して、あんな国民的アイドルにのし上がるとは、まったく
思いもよりませんでした。

それが、青い果実路線で、後で言うロリコンのお兄さんたちの注目を集め、
ホントこんな歌を歌わせていいものかと、あきれたものでした。
百恵自身も、歌詞にはためらいがあったと書いています。
しかし、圧倒的に陽性の桜田淳子に対抗するためには、日陰の花であった
彼女は気持ちを割り切った。

それで終わらず、宇崎、阿木夫妻の作品で、スターにのし上がります。
物語性を持った一連の作品は、歌うというよりもドラマを演じているように
感じられました。
このころになると、風格さえ漂い始め、ニューミュージックの作者の歌で、
違う境地を切り開き、歌唱力も身に付けました。

このころ、百恵は菩薩であるとささやかれました。
確かに、あの東洋的な細い眼、平板の顔が仏像を思わせてました。
非常に化粧で変化する顔で、それも魅力となっていました。

早すぎる引退といいますが、彼女は山口百恵を演じきったのです。
その演技は、20代始めで終わらなければならなかった。
それは、ファンにとっても幸せなことだったと、今では思えます。

彼女が書いた本がありますが、それは芸能界との決別のために書かれたように思えます。
自らの境遇をあからさまに書き、書くことで、逆にゴシップを防いだ。
彼女をスターに押し上げたものは、その容姿ではなく、
稀に見る頭の良さと覚悟だったと言えるでしょう。

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