眇めオヤジの独り言

初老で始めたブログも、寄る人もないまま、いつしか定年を迎えた。
あいもかわらず、気ままに書き連ねていく。

秋田紀行

2007-03-25 | 紀行、歴史
10日ほど前、秋田に行ってきました。
秋田市内はあまり出歩かなかったのですが、ちょっと書きとめておきましょう。

地方都市でおなじみの城跡は、町の中心、駅からも徒歩数分のところにありました。
山形市と似ていますね。
秋田城といわずに、久保田城と言うそうで、江戸時代の藩名も久保田藩だとか。
山というよりも、平地にある小高い岡という場所で、一方を川で守られています。
江戸時代に入ってからの築城ですから、水城に近いですかね。

もともと天守閣のない城で、本丸も当然なくなり、平地に家屋とモニュメント、そして焼け落ちた神社がありました。
藩主家の神社ですが,放火されて再建されておらず,痛々しかったです。

最後の藩主の立派な銅像が建っていました。
旧家臣が再建したそうです。
この城跡は、昭和50年代末まで、旧藩主家の所有で、ようやく市に寄贈されたそうです。
意外なようですが、こうした城は日本全国にあります。
国宝の犬山城でさえ、つい数年前までは個人所有でした。

日の出ていた昼頃にぶらついたのですが、雪がちらついてきたなと思ったら、30分程度の間に本格的な雪になりました。
30分程度激しく降ったなと思ったら、また日が射して来ました。
日本海側から,雲がかなりの速さで流れてくるようです。
ビックリしたのは、ホテルに帰ってからの天気予報で、今日の天気について一日中晴れて良い天気だったと言っていた事でした。
秋田では,あの程度の雪は降ったことにならないと言う事でしょう。

秋田は,東北の中で微妙な立場の県です。
というのは、幕末の戊辰戦争から函館戦争までの間、新政府軍と対峙していた奥羽越列藩同盟の中で、裏切ったのが久保田藩だったからです。
最終的には同盟は敗北したにせよ、その時期をかなり早めました。
その裏切りのおかげか、旧藩の上級武士は明治時代にもその地位を保てたようです。
その成果が、角館の武家屋敷に残っています。

何故、秋田が裏切ったのか、その理由の一つに、平田篤胤が関係していそうです。
これは別タイトルとしましょう。

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