久しぶりに国立博物館に行ってきました。
駅から博物館に向かう途中にある噴水のある広場が、工事中で囲われていました。
かなり広範囲なので、大回りしなければいけません。
博物館入り口に着くと、思ったほど人がいません。
けっこうゆっくり見られそうです。
特別展は、いつもどおり平成館ですが、ほんとにこの建物どうにかならなかったのですかね?
雑風景でプレハブかと思えるほどの外観です。
他の建物が重厚なので、余計に目立ちます。
チケットを切ってもらって2階に上がります。
さすがに入り口は人だかりです。
1点目で渋滞が起きています。
絵巻物ですね。
とりあえず人だかりはパスしてざっと見ることにします。
三筆といわれた空海の書にも渋滞ができています。
小中学校では書道は苦手でしたのですり抜けます。
ちら見ですが、若いころの書は緻密ですね。
非常に几帳面に書かれています。
晩年になるほど、自由に奔放な筆遣いになったようです。
結構熱心に見ている人が多いので、これもお目当てになっているのでしょう。
曼荼羅まで来て、やっとゆっくり見られるようになりました。
見慣れた曼荼羅ですが、空海が日本に始めて伝来させたのですね。
いつもながら繊細な描写には、驚きます。
黒くまったく見えない曼荼羅は、黒字に銀で書かれたそうで、
TV画面では繊細な画像が映し出されています。
仏具と美術品のコーナーに入りました。
仏具にも精密な彫刻がなされています。
白檀にほった仏像にも感嘆します。
しかし、やはり圧倒されるのは仏像です。
密教系の仏には、不動明王に代表されるように異形が多いのですが、
本当に異形の神のオンパレードです。
仏教は、仏陀の本来の思惑と関係なく、いろいろな民族の神を取り込み、
仏の従神としてきました。
その他国の神が、異形の仏として表現されています。
空海が東寺に創造した仏像の空間は、インドから中国そして日本までに
わたる間に築かれた知の集大成でしょう。
その仏が、空海の思想とは切り離されて、一つの美術品として鑑賞できます。
それが良いか悪いかは別にして、やはりこんな経験は京都や奈良では味わえません。
私は、国東が非常に好きなのですが、元祖密教の世界を見ると、
やはり半島自体が密教空間なのだと、改めて感じさせられました。
駅から博物館に向かう途中にある噴水のある広場が、工事中で囲われていました。
かなり広範囲なので、大回りしなければいけません。
博物館入り口に着くと、思ったほど人がいません。
けっこうゆっくり見られそうです。
特別展は、いつもどおり平成館ですが、ほんとにこの建物どうにかならなかったのですかね?
雑風景でプレハブかと思えるほどの外観です。
他の建物が重厚なので、余計に目立ちます。
チケットを切ってもらって2階に上がります。
さすがに入り口は人だかりです。
1点目で渋滞が起きています。
絵巻物ですね。
とりあえず人だかりはパスしてざっと見ることにします。
三筆といわれた空海の書にも渋滞ができています。
小中学校では書道は苦手でしたのですり抜けます。
ちら見ですが、若いころの書は緻密ですね。
非常に几帳面に書かれています。
晩年になるほど、自由に奔放な筆遣いになったようです。
結構熱心に見ている人が多いので、これもお目当てになっているのでしょう。
曼荼羅まで来て、やっとゆっくり見られるようになりました。
見慣れた曼荼羅ですが、空海が日本に始めて伝来させたのですね。
いつもながら繊細な描写には、驚きます。
黒くまったく見えない曼荼羅は、黒字に銀で書かれたそうで、
TV画面では繊細な画像が映し出されています。
仏具と美術品のコーナーに入りました。
仏具にも精密な彫刻がなされています。
白檀にほった仏像にも感嘆します。
しかし、やはり圧倒されるのは仏像です。
密教系の仏には、不動明王に代表されるように異形が多いのですが、
本当に異形の神のオンパレードです。
仏教は、仏陀の本来の思惑と関係なく、いろいろな民族の神を取り込み、
仏の従神としてきました。
その他国の神が、異形の仏として表現されています。
空海が東寺に創造した仏像の空間は、インドから中国そして日本までに
わたる間に築かれた知の集大成でしょう。
その仏が、空海の思想とは切り離されて、一つの美術品として鑑賞できます。
それが良いか悪いかは別にして、やはりこんな経験は京都や奈良では味わえません。
私は、国東が非常に好きなのですが、元祖密教の世界を見ると、
やはり半島自体が密教空間なのだと、改めて感じさせられました。