眇めオヤジの独り言

初老で始めたブログも、寄る人もないまま、いつしか定年を迎えた。
あいもかわらず、気ままに書き連ねていく。

光秀の謀反に謎はない

2021-02-08 | Weblog
本能寺の変がなぜ起きたかは、謎とされて、多くの見解が出されました。
黒幕がいるとして、その正体を推測したりしています。
将軍義昭説もあって、これを逆手に信長の義昭殺害命令を光秀謀反の根拠としたわけです。

なぜ謎とされると言えば、あの時代とはいえ、単独で主君を殺すことはあまりありません。
クーデターが成功するには、根回しが必要です。
根回しの過程で、将軍とか天皇、貴族との連絡は不可欠です。
それから、黒幕説が出てくるわけです。

光秀は、信長にとって、京都を支配するうえで欠かせない家臣でした。
交渉下手の信長が、単独で将軍家や天皇との関係を保つことはできなかったのです。
この点、「麒麟がくる」の描写は、よくできています。

また、実際に、信長の家臣の中では、一番の地位にあったと言われています。
大河では友達のように扱われていますが、そこまででなくとも信頼されていました。
ただ、信長の家臣では、順位は常に入れ替わります。
高い順位であっても、容易に追放されます。

きっかけは、光秀の左遷と見ていいでしょう。
家臣ナンバー1で、いわゆる京都一帯の「天下」の支配を委ねられていた地位から、
毛利攻めをする秀吉の配下に入るよう命じられた。
秀吉より、地位が下になったのです。

天下の支配は、信長の家督を継いでいる息子の信忠に移ることになります。
光秀の織田家臣団の中での順位は、暴落したのです。
さらに、秀吉が織田家を押しのけて、天下を取ったように、誰もが天下人を目指します。

本能寺の変の原因は、信長の慢心です。
人の心を読めない信長が、光秀に信じられない隙を見せた。
光秀としては、謀反は、感情的というより理性的な選択だったことでしょう。

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