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仏教経典の中の王様「法華経全28品」の完全解読に大チャレンジ!

長者窮子 【信解品第四】

2014年11月03日 00時33分10秒 | 生き方
   ★★ きょうの謎!

   その謎1:窮子が偶然にも父の居る所へ辿り着くということはどういう
        因果が生じていたのでしょうか?

   その謎2:窮子が覗き見た父の光景に、窮子自身は幼い頃の父の面影を
        感じることはなかったのでしょうか?
   
   その謎3:窮子は、元の生まれついた家に帰りたいと思う気持ちは、そ
        れまでに全く生じなかったのでしょうか?

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   ■■第6-4号

    展轉して父の舍に遇い到りぬ 【信解品第四】

   ■■今日の一偈一句

    世尊、爾の時に窮子、傭賃展轉して父の舍に遇い到りぬ。門の側に住

    立して遥かに其の父を見れば、師子の牀に踞して寶几足を承け、諸の

    婆羅門・刹利・居士、皆恭敬し圍繞せり。眞珠瓔珞の價直千萬なるを

    以て其の身を莊嚴し、吏民・僮僕手に白拂を執つて左右に侍立せり。

    覆うに寶帳を以てし諸諸の華旛を垂れ、香水を地に灑ぎ衆 の名華を

    散じ、寶物を羅列して出内取與す。是の如き等の種種の嚴飾あつて威

    徳特尊なり。
    
                       (二十八行~三十四行より)
    
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      1. 今 日 の 解 読 ! (苦)
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   世尊、その時に窮子は、日雇い賃金を稼ぎながら住所を転々として父の

   家の前に偶然至ったのでした。門の傍らにたたずみ遠くの奥にその父を

   見れば、師子の床座に安楽に横たわり寶几(ほうき:金銀で飾られた足

   を休める台)に足を預け、諸々の婆羅門僧・刹利(せつり:王侯貴族、

   武士階級)・居士(こじ:資産階級の商工業者)などが、皆恭敬し圍繞

   していました。眞珠瓔珞(しんじゅようらく:真珠の首飾り)で価値千

   萬はあるものでその身を荘厳し、吏民(りみん:役人)・僮僕(どうぼ

   く:召使いの少年)が手に白拂(びゃくほつ:虫払いの法具、ハタキ)

   を持って左右に侍立(じりゅう:付き従って立つ)していました。

    周囲を覆うように宝帳(ほうちょう:垂れ幕を垂らして美しく飾りつ

   けた調度あるいは小部屋の類をさす)を巡らし諸々の華旛(けばん:華

   の旗)を垂れ、香水を床地に流布して衆々の名華を散じ、宝物を陳列し

   ては出し入れされ人に与えられています。これらのようなさまざまな厳

   飾があってその威徳の豪華さは特別に尊重なものでありました。
    
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      2. 今 日 の 説 法 !   (集)
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   窮子は多くの街や村を転々としてその日暮しの賃金を得ながら住む場所
   を変えていましたが、その時、偶然に父の家の前に至り着いたのでした。
   その門の片隅に足が食い止り、たたずんで閑かにその門内を伺いますと、
   門から奥深いかなり遠くにその父の様子が見えました。

   師子座を偲ばす高床の座に身を安らげ金銀で宝飾された足台に両足を休
   ませ、その周りを金持ちの僧侶や貴族武士、商工資産家などが恭敬して
   取り囲んでいました。
   真珠の首飾りで千萬の価値の物を身に付け荘厳し、役人や召使の少年が
   手に法具の白払を持って左右に付き従って立っていました。

   その豪華な邸室の内部は、美しく飾られた複数の小部屋で周囲が巡らさ
   れていて、美しい華を想わす旗の幕が垂らされ、香水が床中に撒かれ、
   いろいろな名花が散じられていて、宝物が陳列されている所から出し入
   れがされては人へ与えている様子がわかりました。

   このような数々のいろいろな厳飾があって、その威徳の豪華さは特別に
   気品の高いものでありました。

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      3. 今 日 の 謎 !   (滅) 
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   まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
   
   その謎1:窮子が偶然にも父の居る所へ辿り着くということはどういう
        因果が生じていたのでしょうか?

   その謎2:窮子が覗き見た父の光景に、窮子自身は幼い頃の父の面影を
        感じることはなかったのでしょうか?
   
   その謎3:窮子は、元の生まれついた家に帰りたいと思う気持ちは、そ
        れまでに全く生じなかったのでしょうか?

   ________________________________

      4. 今 日 の 知 識 !   (道)
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   窮子はなぜ、幼い頃に家出したのでしょう?
   また、その理由を記してないのはどうしてなのでしょう?

   残された父の様子からしますと、全く理由がわからないようであり、何
   か子供にとって悪いことをしたなどの反省めいたことがどうやらないよ
   うですね。
   ですから、これは単に原因不明で謎の失踪事件だったのでしょうか?

   しかしながら、いつの間にか不意に姿を消したことであるなら、誘拐事
   件などの疑いを持ったことでしょう。
   その点は、父は何も騒ぎ立てず、ただ子は家出しただけだということを
   はっきり熟知しているようです。

   特に考えられることは、この父にはどうやら妻が居ないように見受けら
   れることですね。
   ということは、離婚などにより妻が家を出て、家に残された子も父に嫌
   気をさして飛び出して行ったというところでしょうか?

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   つまり、これは母を探して何千里という物語かもしれませんが、そうで
   あれば、窮子はひょっとして旅先で母のその後の経緯を知り、母方のほ
   うにも何かの理由で会いには行けない定めを知ったりしたのかもしれま
   せん。
   そういう誰も信じれない状況に孤独に生き、到底、元の父の家にも帰り
   たくなる気持ちまでは特に起きなかったのかもしれません。

   これはやはり、父方、母方の家柄の違いなどの不和の狭間などに陥らさ
   れた子の複雑な通常の悲劇だったと考えられるのではないでしょうか。
   
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      5. 今 日 の 解 脱 !   (悟)
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   前回も、この親子を離れさせていた原因は世間の風潮や思潮だったのだ
   ろうというお話をしていましたね。
   また今回は、夫婦の離婚とそれによる子の気持ちの不安定による家出と
   いうテーマに他の誰もが親身な関心を示さないという思いやりのない風
   潮のように思えます。

   このような他人の不運は見ず知らずという風潮を起こす、特に大きな原
   因となっているものは最も身近な親戚縁者の繋がりの崩壊からその原点
   が始まっているのではないでしょうか。
   そして、更にその親戚縁者内での不和になる混乱の要素は、新たな他人
   の家から嫁や婿をもらう際に、その新たな他人の家が親戚縁者に加わっ
   ていくこと自体にトラブルが発生しやすいということは、それもまた当
   たり前といえば当たり前のことなのかもしれません。

   しかし、ここまで考えるとやはり誰もがそこまで考えたことはないのが
   日常なのかもしれませんし、当たり前に生じやすいトラブルの事前防止
   の心得というものへの配慮は誰にもわかるけれど、あまり誰もがその常
   識的な心配まではしたくはないのも通常だと思います。

   こんなごく誰もの日常茶飯事に起きる心配事や配慮のことを実は自らに
   も忘れてしまいがちなのではないでしょうか。

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   そしてこのようなことが実際に起きてしまえば、ただ単にわかりきって
   いることで、どうにもならないこととして、安易に忘れ去ろうとする風
   潮が生じてくるのでしょう。
   このあたりが人間関係の真実とは一体何かを問いたくなるところですが、
   こういう素朴な疑問は果たして解決されたことがあるかすら疑問ですね。

   ところで、この比喩話を作った摩訶迦葉等は、こういった日常の人間関
   係の素朴な疑問の原点を掘り出して、これは重要な課題であると考えた
   のでしょうか?
   それとも、こういう疑問な風潮は成り行きでどうしても食い止めれない
   自然なものであって、解決はし切れない、ただ単に起きてしまう交通事
   故のようなものとして平凡な喩えとして計上し添えているのでしょうか?

   これはどちらとも言えるでしょうが、たとえば交通事故なら起こさない
   人がほとんどだとして、起きてしまうのは精々強いて言えば、事前の安
   全配慮が足りていた、足りていなかったという位の取り返しの付かない
   反省に終始するのでしょう。

   つまり、摩訶迦葉等の言いたいことは、すでに起きてしまった後の信念
   のことなのだと思えます。
   つまりたとえば、前世に起きたことはすでに今世には取り返しのない、
   原因はただ原因としてのみ受け止めるのが前提ですね。
   その前提がスタートラインであり、自分に定められたライン、つまり道
   なのです。

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   ところで、窮子はひょっとしたら元の父親の所へ戻れば、それまで程の
   苦労もなく平凡に暮らしていくことができるかもしれないという少しの
   期待すら思いつけない状態でいたと思うのです。
   これが、既に生じている原因に対しそれに則した道のりだけをただひた
   すら忠実に進んだということでしょうね。

   つまり、原因を遡って変えれるなどとは思いもしないことだったのであ
   りましょう。
   家を出たということは将来的に考えてもその家に過し続けることはふさ
   わしくないからだと決意して実際に行動を起こしたことが原因であり、
   その原因は決して撤回できないものと考えていたのでしょう。

   それにしても、窮子はなぜ、偶然にも父の居る家へたどり着いたのでし
   ょう?
   こういうことって現実にもあるかと思いますが、実際に起きることのあ
   り得そうな、とても不思議で神秘的なことですね。
   これを佛法の因縁上どういうことかを説いてみますと、原因には因縁と
   いうそれに則した縁が生じてくるのです。

   ですから窮子はその生じてきた因縁を辿るうちにどういうわけか父の居
   る所へ至り着いたわけです。
   これは本人には思いもよらず、どうしても解決しておかなければならな
   かった因縁が自然に生じていたのでしょう。

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   このようなことは、切っても切れない絆の因縁というものでしょうか?
   窮子は幼くして家を出たいという自身の欲求で行動したのですよね。
   しかし、絆の因縁は窮子の当初描いた家を出たいという理想や欲求とは
   反対に作用し、父の元へ戻らせたのですよね。

   またそれに対しこれは、父にすれば、子に再会したいと願う理想や欲求
   がそのまま正当に適ったのです。
   では、父側には一体どういう因縁が生じていたのでしょう?
   子と別れ離れになったのは家出を起こしたという子のほうが原因ですよ
   ね。
   しかし、それより前を遡れば、父が妻と離婚したということが元の原因
   となって子が家出するという結果を生じたのです。

   ですから、父は妻も子とも離別し、それが実は原因となり他人の取引客
   や思い掛けない大量の財宝を得て大富豪となる因縁を生じたと考えられ
   るのではないでしょうか?
   これは、父は富み、子は貧しくなるという各々の資産量が反対になる因
   縁だったということになるかもしれませんよね。

   しかし、子は自分で何とか暮らしていけるだけの資金は得れていて、ま
   ったく得れなかったわけではないのですから、全く反対の因縁というわ
   けではなく、両者の得れる資産の量の大きな違いにより父側の因縁が遥
   かに勝り、両者共に資金を求める同じ行動の因縁の強弱で、父側の資金
   因縁が子の僅かな資金因縁を強く引っ張った結果で再会できたと考えら
   れるのではないでしょうか?

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   ですから、この再会は両者の因縁と因縁の合作により生じた偶然の因果
   であると考えられますね。
   
   そして、この因果の達成は、子は元より父との再会に関しては望まず、
   日頃考えてもいない無情な気持ちでしたが、父は長い間、子に会えない
   ことを思い煩い、来る日も来る日も悔やみ悩み続けていましたが、いつ
   かそろそろ寿命が近づき、もうこのまま子には会えないのかと無情な気
   持ちになった時、再会に関してお互いの意識が無に一致したことにより
   生じたのです。

   これを考えますと、煩悩が資産作りに適しているのかと思わされますが、
   思い悩む者のところへ人々は資金を持って集まってくるという、どうも
   不思議な因縁があるようです。

   つまり、煩悩に悩まされることも正しく生き抜けば、いつかは解決と達
   成が生じる良い因縁の原動力となるのでしょう。
   ただし、子は直にその日一日の資金を稼げるかどうかの煩悩に悩みなが
   ら、知らずうちに父のところへ向かっているという利益が生じ、父は子
   に会えないことへの煩悩に悩みながら、知らずうちに大資産を得続ける
   という利益が生じていたのです。
   そして、その別々の利益が結び合ったとも考えられるのです。

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      6. 今 日 の 振 り 返 り !
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   今日の日月説法はいかがでしたか?

   この親子は共々に悩みは違えど、与えられた境遇をひたすら着実に生き
   抜いたのです。
   何事も原因と結果とが重なって因果を形成しているわけでしょうが、そ
   の複合した因果が因縁という現象なのでしょうか?

   つまり、過去の原因により生じた結果に対する各々の生きる道が定まっ
   ている中で、各々が取り返せない過去への苦しみを味わいながらにも、
   その歩む道すがら目の前の何かを糧に頑張ろうとしているはずですね。
   実は、その頑張ろうとさせる気を起こさせるヒントを与えてくれている
   のが因縁という不思議な現象なのかもしれません。

   されど、因縁通りに渡っていくということは、現実はまたとても辛いこ
   とでありましょう。
   だから、その因縁を解決したいと考えるのであり、乗り越えたいとも考
   えるのです。
   そしてまた、その辛い因縁を解決したり、乗り越えるための知恵を与え
   てくれるのが煩悩の力なのかもしれません。

   何やら、煩悩やら因縁やらでどっちかどっちなのかわからなくなってき
   たようですが、煩悩も因縁もどちらも消え去ることが到達点であり、滅
   する方法を与えているのが佛の智慧と考え、そしてこの窮子の父が本来
   は佛の立場であるとするなら、その佛の智慧は、窮子の求めている豪華
   な暮しの資産を作り続けることで自身の煩悩を滅し、窮子に与えること
   で自身の資産の因縁を滅することだったのでしょう。
   
   今回も読んでいただき、誠にありがとうございました。
   末永くご愛読いただけますよう、今後とも何とぞよろしくお願いいたし
   ます。
   (成安)

   発行者WebページURL http://jouan167.jimdo.com/
   ________________________________
   (C) 成安 All rights reserve.



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