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翌朝早々、シリルは執事のダヴィドを伴って病院を出、自邸に戻った。門の前にはもう、彼の慈善を目当てに集まっている市民の群れが見える。
ジャガイモはまだあるはずだ。パンを焼くための小麦粉もまだ残っている。シリルは頭の中で素早く計算した。
「ガソリンはまだ残っているな」シリルの声に、後からついてきた執事のダヴィドは素早く答えた。「はい、タナキアを半周できるほどには」
「それだけあればいい。運転手に言え。トレガドに行く。ジャルベールに、たっぷりと文句を言ってやる!!」
何が保養だ!!と叫びながら、シリルは浴室に飛び込み、手早く体を洗った。疲れなどふきとんでいた。昨夜見た病院の風景が目に焼き付いている。何かをせねばならない。とにかく彼は今、大統領を相手に、大芝居を打つつもりだった。頭の中で脚本を練りながら、その芝居のための衣装も考えた。
頭を乾かし、油をつけて整えると、執事に命じて、議員時代のスーツを出して来させた。きつい芝居をするには、かっこうが肝心だと言うことを、シリルは知り抜いている。人間は何よりもまず、見栄えで判断するからだ。
上等な葉巻を入れた、これまた上等な煙草入れと、一目で高級とわかる銀色のライターをポケットに入れ、おそろしくしゃれたスカーフで首を絞めた。鏡に映った自分は、どこの王侯貴族にも引けを取らないほど、立派に見える。これでいい。
頭の中を流れる脚本の中で、二度とこんなことはするなとジャルベールに怒鳴りながら、シリルは帽子をかぶり、ガソリンをたっぷり食った車に乗り込んだ。そして、よし、出せ、と運転手に命じる寸前、執事のダヴィドが慌てて追いかけてくるのが目に入った。
「だんな様、だんな様、お待ちください!!」
何事かと車の窓を開けると、とびこむようにダヴィドが首を突っ込んできた。そして声を潜めながら言った。
「密偵からの連絡です。ジャルベールが、アミスコットの大統領府で、首を吊ったそうです」
「何・・・・・・?!」
シリルは目を丸々と見開いて、ダヴィドを見返した。頭の中で作っていた脚本が、ばっさりと鎌で刈り取られたように、ふきとんだ。
まさか、一国の大統領が、首を吊る? こんなときに?
にわかには信じられなかった。だが密偵の情報を疑うことは難しい。こんなときにそんな嘘が言えるわけがない。いやしかしまさか・・・・・・。たしかめてみなければわからない。さまよう思考とは別に、シリルの体は自動的に動いていた。朝食をとっていなかったことを今さらに思い出し、急に空腹を覚えた。ダヴィドにパンと水をもって来るように命じながら、シリルは脚本を新たに作り直した。とにかく、いかねばならない。
そして車の中で素早くパンをかじりながら、彼は厳然と運転手に言った。
「トレガドはやめだ。アミスコットに向かえ」
「ウィ、ムッシュー」
車は軽いうなりをあげて、滑り出した。
(つづく)