シリルはくちびるを噛んだ。来る前に練っていた脚本はもうとうにふきとんでいた。彼は目を閉じ、自分の中に生じた暗闇に向かって問いかけた。するとその時、あの病院での夜に聞いた不思議なメロディが空耳のようによみがえった。
ああ、これはアコーディオンの音だ。そうだ、彼は言っていた。これはまるで、ガラスのアコーディオンを弾くように難しい、と・・・・・・。ガラス? ガラスのアコーディオンだと? そんなものなら、いっそ・・・・・・。
砕いてしまえばよい!!
シリルは目を開けた。その目に真っ先に入ってきたのは、執務室の壁にかけられた、鷹眼旗だった。
ジャルベールが勝手に変えた、アマトリアの国旗だった。
彼は急速に頭の中に新しい脚本をつくった。その手はポケットの中を探った。小さなライターの冷たい感触が指に触れた。よし、OKだ。一世一代の大芝居を打ってやる。
シリルはライターをポケットから出すと、それに火を点けながら、つかつかと旗に歩み寄った。そして旗の縁を火で焦がすと、その裂け目をつかみ、一気に旗を引き裂いた。一連の動作を止める者は誰もいなかった。
旗は予想以上にもろかった。ネズミの悲鳴のような音をたてて見事に真っ二つに裂けた。それだけでなく、壁から勢いよく落ちて、ばらばらになった。
効果抜群だ。
そしてシリルは叫んだ。
「ジャルベールは政権を放棄した。このままにしておくことはできない。今からこの国の舵は、このわたし、シリル・ノールがとる!!」
一瞬、あたりが水を打ったように静かになった。だれかが前に出ようとするのを、だれかが押さえた。シリルの心臓は、ばくばくと鳴り、耳が熱く上気した。これは賭けだ。この自分が、恐ろしく滑稽な道化になるか、立役者になるかの。どうでる。
断旗の乱か、と誰かが小さく言った。それとほぼ同時に、後ろの方でエミールが拍手をし始めた。それに操られるかのように、拍手の数はどんどん増えていった。どこから集まってきたのか、残っていた職員たちも、執務室の中に入ってきて、拍手をした。
満場の拍手に迎えられ、シリルは手を挙げて、それに応えた。
(つづく)