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それからのシリルの活躍ぶりは素早かった。
カラヴィア・ルートから来たロメリアからの降伏の通告を、シリルはすぐに受け入れた。ほとんど無条件降伏だった。もうアマトリアには何もなかったのだ。
そして、ラジオを通じ、国民に、戦争に負けたこと、ジャルベールが自殺し、コンドが逃げたことを、簡単にまとめて通告した。予想範囲のことだったのか、国民の驚きは少なかった。いや、疲れ果てていて、驚くことにすら億劫だったのだろう。
シリルはこの最低最悪の国難を乗り越えるために、自分が暫定指導者として処理に当たると、明快に宣言した。
反対する声がなかったわけではなかったが、国は疲弊していた。民主法を立てて選挙をやる気力も体力もなかった。だれかが責任を負ってくれるなら、それでいいと思う者が大方だった。
フランソワ・コンドらしい男の心中死体が見つかったと言う情報が来たのは、シリルが指導者としての任務に忙殺され始めたころだった。
彼はまず、タタロチアに接触し、補給路を開いてくれるよう交渉を始めた。指導者は国のためになんでもやらねばならない。下げられぬ頭も下げねばならない。
負債はありすぎるほどあった。シリルはいちいち頭を下げながら、きっちり話をまとめていった。そのなめらかな手腕に、周りのものも驚き、シリルはだんだんと人々の信頼を集めるようになっていった。
そうこうしているうちに、ロメリアからの占領政府がやってくる日が来た。
(つづく)