産経新聞の阿比留瑠比氏と言えば、全国紙で最も右側にいる記者である。
【阿比留瑠比の極言御免】「土人」は「差別」なのか
http://www.sankei.com/premium/news/161117/prm1611170007-n1.html
櫻井よしこ氏と同じく、右側の論客として評価される向きが多い彼らだが、実は俺は、彼らがあまり好きではない。
無論、知識としては凄いと思う。勉強になる記事も多いのだが…。
どうにも、ワキの甘さを感じるのである。この記事も、そんな記事の1つだった。
この事件である。
この記事の中、阿比留記者は以下のように「土人」を考えている。
基本的に、土人という発言を問題視せねばならない可能性を臭わせながら、土人=差別とする、「叩いている側」の視野の狭さ…というよりも「決めつけ」を、つまり「レッテル貼り」を叩いているのである。
まあ、上記の土人=差別のレッテル貼りを叩きたい気持ちはわかるし、俺もそこについては同感なんだけど…。
俺は、鶴保担当相の土人発言擁護がヘタクソな言い訳にしか聞こえなかったのだ。確かに「土人」は相手を侮蔑する意図で言った台詞である。例え、土人扱いを受けた反日闘士のじいさんがキチガイレベルのカスであろうとも、やってしまった事は反省すべきだと思う。それを、なかった事にするような「言い訳」は、するべきではないのではなかろうか。
以前、この土人問題については、松井一郎大阪知事が、ほぼ100点の対応をしたと、エントリした事があったが。
【拙】松井一郎をはじめて支持したい
http://blog.goo.ne.jp/jpakiyo/e/a09e468adbdf4215b7cf3b85ff7623ab
▲適切すぎる松井氏の応答。質問をしているキチガイ擁護派の記者の異常さが際立つ
彼は、土人発言の隊員に対し、発言に問題があった事を認めながらも、労いの言葉をかけ、土人扱いされたキチガイジジイに対し批判を行っていた。
これが、正しい対応である。
松井氏の対応は、「俺らが悪かったのは認める。でも、辛かったなぁ。ご苦労さん。相手は酷い奴やったなぁ。」だ。
一方、鶴保氏や阿比留氏の対応はこう。
「俺らが一概に悪かったとはいえない。それより俺らを悪い悪いという奴のやりようはなんだ!」だ。
どっちが正しいと思う?日本の保守というのは、後者の、阿比留氏のような対応が、俺は多いように思うのである。
今回の件に限って言うならば、鶴保氏の言い分は完全に蛇足であろう。なんでそんな事を発言した。そして、土人を差別と決めつける蓮舫らのやり方も薄汚いやり方だ。
俺には今回の鶴保氏や阿比留氏のやり方は、レッテル貼りをした蓮舫のやり方と比較すると、十歩百歩ぐらいに感じるのである。
土人発言擁護して、なんになるというのか。
土人発言は問題あるけど、同情すべき点も多い。悪いのは現地の反日闘士共だ。なんで、こーゆー松井氏のような発言ができないのかね。
自分が悪かったと認めるのは死ぬのと同じ。
俺は、左右問わず、政治家や記者が、そう思っているような気がしてならない。
そして、俺はそういう連中がキライなのである。
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【阿比留瑠比の極言御免】「土人」は「差別」なのか
http://www.sankei.com/premium/news/161117/prm1611170007-n1.html
櫻井よしこ氏と同じく、右側の論客として評価される向きが多い彼らだが、実は俺は、彼らがあまり好きではない。
無論、知識としては凄いと思う。勉強になる記事も多いのだが…。
どうにも、ワキの甘さを感じるのである。この記事も、そんな記事の1つだった。
鶴保庸介沖縄・北方担当相が8日、沖縄県の米軍北部訓練場のヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)移設工事反対派に対し、大阪府警の機動隊員が「土人」と発言したことについて、「差別であるとは断定できない」と述べたことが尾を引いている。
この事件である。
この記事の中、阿比留記者は以下のように「土人」を考えている。
試みに手元の辞書で「土人」の意味を引くと、岩波国語辞典では「(1)土着の住民、土民(2)原始的生活をする、土着の人種」とある。また、広辞苑には「(1)その土地に生れ住む人。土着の人(2)未開の土着人。軽侮の意を含んで使われた(3)土でつくった人形。土人形。泥人形」と記されていた。
どちらも(1)の意味なら何の問題もない。(2)の意味で使ったとすると確かに不適切だが、かといって直ちに「差別」に結びつけるのも無理があると感じる。だとすると、鶴保氏の言葉は本来、問題視されるようなものではないはずである。
どちらも(1)の意味なら何の問題もない。(2)の意味で使ったとすると確かに不適切だが、かといって直ちに「差別」に結びつけるのも無理があると感じる。だとすると、鶴保氏の言葉は本来、問題視されるようなものではないはずである。
基本的に、土人という発言を問題視せねばならない可能性を臭わせながら、土人=差別とする、「叩いている側」の視野の狭さ…というよりも「決めつけ」を、つまり「レッテル貼り」を叩いているのである。
まあ、上記の土人=差別のレッテル貼りを叩きたい気持ちはわかるし、俺もそこについては同感なんだけど…。
俺は、鶴保担当相の土人発言擁護がヘタクソな言い訳にしか聞こえなかったのだ。確かに「土人」は相手を侮蔑する意図で言った台詞である。例え、土人扱いを受けた反日闘士のじいさんがキチガイレベルのカスであろうとも、やってしまった事は反省すべきだと思う。それを、なかった事にするような「言い訳」は、するべきではないのではなかろうか。
以前、この土人問題については、松井一郎大阪知事が、ほぼ100点の対応をしたと、エントリした事があったが。
【拙】松井一郎をはじめて支持したい
http://blog.goo.ne.jp/jpakiyo/e/a09e468adbdf4215b7cf3b85ff7623ab
▲適切すぎる松井氏の応答。質問をしているキチガイ擁護派の記者の異常さが際立つ
彼は、土人発言の隊員に対し、発言に問題があった事を認めながらも、労いの言葉をかけ、土人扱いされたキチガイジジイに対し批判を行っていた。
これが、正しい対応である。
松井氏の対応は、「俺らが悪かったのは認める。でも、辛かったなぁ。ご苦労さん。相手は酷い奴やったなぁ。」だ。
一方、鶴保氏や阿比留氏の対応はこう。
「俺らが一概に悪かったとはいえない。それより俺らを悪い悪いという奴のやりようはなんだ!」だ。
どっちが正しいと思う?日本の保守というのは、後者の、阿比留氏のような対応が、俺は多いように思うのである。
今回の件に限って言うならば、鶴保氏の言い分は完全に蛇足であろう。なんでそんな事を発言した。そして、土人を差別と決めつける蓮舫らのやり方も薄汚いやり方だ。
俺には今回の鶴保氏や阿比留氏のやり方は、レッテル貼りをした蓮舫のやり方と比較すると、十歩百歩ぐらいに感じるのである。
土人発言擁護して、なんになるというのか。
土人発言は問題あるけど、同情すべき点も多い。悪いのは現地の反日闘士共だ。なんで、こーゆー松井氏のような発言ができないのかね。
自分が悪かったと認めるのは死ぬのと同じ。
俺は、左右問わず、政治家や記者が、そう思っているような気がしてならない。
そして、俺はそういう連中がキライなのである。
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