広島から南に4キロのところに、周囲16キロの小さな島、似島(にのしま)があります。
8月5日の夕刻、広島港から似島に向かうフェリーを貸し切って、第3回似島船上追悼イベントがひらかれました。
乗船者は約200名、小さい子ども連れの家族の姿もありました。
語り部の方のお話を聞き、被爆者の日記、子どもの詩の朗読を聞きながら、似島の慰霊碑に近づいた海上で、参加者みんながひとりひとり白菊を奉げました。
夜の暗い波間に漂う白菊は、犠牲になられた方への思いを伝えてくれるようでした。
船上には、似島学園の子どもたちが手づくりしてくれたメッセージを書きこむ白い灯籠が準備されていました。
ボールペンで読みにくいですが、一生懸命書きました。
似島の桟橋に着くと、似島学園の子どもたちが灯籠を持って私たちを迎えてくれました。
160名の子どもたちのそれぞれの願いが書き込まれている灯籠、
いっしょに海に流します。
ひとつひとつの灯籠は、みんなの願いをのせて、
波にたゆたい、時に寄り添いながら、夜の海を流れていきました。
灯籠流しの間中、司会も担当した被爆2世の歌手山村貴子さんが「折鶴」などを歌ってくれていました。
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午後6時半に広島港を出航、船上でのイベント、似島桟橋での子どもたちと合同の灯籠流しを終えて、午後8時半に帰港しました。
似島は、日清戦争、日露戦争の時、陸軍検疫所がおかれたところで、原爆投下の折には、負傷者が1万人以上も運ばれ、その大多数の方の尊い命が奪われました。
火葬が間に合わず、土葬もされたそうで、このときに埋葬した犠牲者の遺骨は昭和22年に2千体が収容されましたが、昭和46年には推定517体、5年前の平成16年にも推定85体の遺骨が見つかり、平和公園内の広島市戦災死没者供養塔に合祀されています。