紀伊国屋書店をぶらっとしていたら、目に入ってきました。
「本の底ヂカラ」がキャッチフレーズの11社が共同企画した文庫では読めない本たち四六判宣言第13弾の本の帯のくまさんです。
その中から選んだ1冊の本「福島からあなたへ」には昨年の9月19日にひらかれた「さようなら原発5万人集会」で福島からのアピールとしておこなわれたスピーチをはじめ、著者の武藤類子さんのやさしいけれど凛とした言葉が綴られていました。
この集会は、大江健三郎さんをはじめ、瀬戸内寂聴さん、澤地久枝さん、坂本龍一さんなど各界9氏の呼びかけでひらかれました。
スピーチに添えられている写真は福島第一原発事故直後から原発付近に入りその後も飯館村などで取材を続けている森住卓さんの撮影です。
子どもたちの歓声が消えた保育園のブランコが遊べないように紐で結ばれている、私たちはこの背後にある生活に思いをはせなければいけないのだと感じました。
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武藤類子さんのスピーチは下記アドレスをクリックしてYouTubeで聞いていただけますが、せめてもの気持ちとして、忘れることのないように、全文を記録しておくことにしました。
9.19さようなら原発 武藤類子さん
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みなさん、こんにちは。
福島から参りました。
今日は、福島県内から、また、避難先から何台ものバスを連ねて、たくさんの仲間といっしょに参りました。
はじめて、集会やデモに参加する人もたくさんいます。
福島で起きた原発事故の悲しみを伝えよう、私たちこそが「原発いらない」の声をあげようと、声をかけあい誘いあって、この集会にやってきました。
はじめに申しあげたいことがあります。
3.11からの大変な毎日を、命を守るためにあらゆることに取り組んできたみなさん一人ひとりを、深く尊敬いたします。
それから、福島県民にあたたかい手を差し伸べ、つながり、さまざまな支援をしてくださった方々にお礼を申し上げます。
ありがとうございます。
そして、この事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった子どもたち、若い人たちに、このような現実をつくってしまった世代として、心から謝りたいと思います。
ほんとうにごめんなさい。
みなさん、福島はとても美しいところです。
東に紺碧の太平洋を望む浜通り。
桃・梨・りんごと、くだものの宝庫、中通。
猪苗代湖と磐梯山のまわりには黄金色の稲穂が垂れる会津平野。
そのむこうを深い山々がふちどっています。
山は青く、水は清らかな私たちのふるさとです。
3・11原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降りそそぎ、私たちはヒバクシャとなりました。
大混乱のなかで、私たちにはさまざまなことが起こりました。
すばやく張りめぐらされた安全キャンペーンと不安のはざまで、引き裂かれていく人と人とのつながり。
地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの人々が悩み悲しんだことでしょう。
毎日、毎日、否応なくせまられる決断。
逃げる、逃げない。
食べる、食べない。
洗濯ものを外に干す、干さない。
子どもにマスクをさせる、させない。
畑を耕す、耕さない。
何かにもの申す、黙る。
さまざまな苦渋の選択がありました。
そして、いま。
半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは、
真実は隠されるのだ。
国は国民を守らないのだ。
事故はいまだに終わらないのだ。
福島県民は核の実験材料にされるのだ。
ばくだいな放射性のゴミは残るのだ。
大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ。
わたしたちは棄てられたのだ。
私たちは疲れとやりきれない悲しみに深いため息をつきます。
でも口をついて出てくる言葉は、「私たちをばかにするな」、「私たちの命を奪うな」です。
福島県民はいま、怒りと悲しみのなかから静かに立ち上がっています。
子どもたちを守ろうと、母親が父親が、おばあちゃんがおじいちゃんが
自分たちの未来を奪われまいと若い世代が
大量の被曝にさらされながら事故処理にたずさわる原爆従事者をたすけようと、労働者たちが
土を汚された絶望のなかから、農民たちが
放射能による新たな差別と分断を生むまいと、障がいをもった人々が、
一人ひとりの市民が、国と東電の責任を問いつづけています。
そして、原発はもういらないと声をあげています。
私たちはいま、静かに怒りを燃やす東北の鬼です。
私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の地にとどまり生きる者も、苦悩と責任と希望をわかちあい、支えあって生きていこうと思っています。
私たちとつながってください。
私たちが起こしているアクションに注目してください。
政府交渉、疎開裁判、避難、保養、除染、測定、原発・放射能についての学び。
そして、どこにでも出かけ、福島を語ります。
今日は遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。
思いつく限りのあらゆることに取り組んでいます。
私たちを助けてください。
どうか福島を忘れないでください。
もうひとつ、お話したいことがあります。
それはわたしたち自身の生き方、暮らし方です。
私たちは、なにげなく差し込むコンセントのむこう側の世界を想像しなければなりません。
便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っていることに思いをはせなければなりません。
原発はそのむこうにあるのです。
人類は、地球に生きるただ一種類の生き物すぎません。
自らの種族の未来を奪う生き物がほかにいるでしょうか。
私はこの地球という美しい星と調和したまっとうな生き物として生きたいです。
ささやかでも、エネルギーを大事に使い、工夫に満ちた、豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。
どうしたら原発と対極にある新しい世界をつくっていけるのか、だれにも明確な答えはわかりません。
できうることは、だれかが決めたことに従うのではなく、一人ひとりが、ほんとうにほんとうに本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。
一人ひとりにその力があることを思い出しましょう。
私たちはだれでも変わる勇気をもっています。
奪われてきた自信を取り戻しましょう。
そして、つながること。
原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、限りなく横に広がり、つながりつづけていくことが、私たちの力です。
たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。
見つめあい、互いのつらさを聞きあいましょう。
怒りと涙を許しあいましょう。
いまつないでいる、その手のぬくもりを日本中に、世界中に広げていきましょう。
私たち一人ひとりの背負っていかなくてはならない荷物が途方もなく重く、道のりがどんなに苛酷であっても、目をそらさずに支えあい、軽やかにほがらかに生きのびていきましょう。