S2000奮闘記

スポーツカー偏愛録。
S2000のメンテナンスノート。

2011年 S2000ぶらり旅「信州&北陸/富山市 会乃風 総曲輪本店 編」

2011年05月04日 | 周遊紀行 / 東海&北陸地方
2011年 5月 4日(水)
泊まったホテルの近くにあった「会乃風 総曲輪本店」へ夕飯を食べに行きました。
人気店の様で、沢山のお客さんで混雑してました。
 

魚料理が美味しかったです
今晩も白海老の唐揚げを注文。
絶品!美味しい!!



焼き物も


最後のシメの焼きおにぎりも外はカリカリ、中はふっくら。
美味しかったです。ごちそうさまでした



会乃風 総曲輪本店
富山県富山市総曲輪2-4-14
Tel.076-423-1646
食べログ http://r.tabelog.com/toyama/A1601/A160101/16001926/


2011年 ぶらり旅「信州&北陸/総括 編」
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2011年 S2000ぶらり旅「信州&北陸/石川県 気多神社 編」

2011年05月04日 | 周遊紀行 / 東海&北陸地方
2011年 5月 4日(水)
千里浜なぎさドライブウェイ で楽しんだ後は富山市へ行こうとしたら
この旅、2回目の強制連行 リクエストが出たので気多神社へ行く事になりました

どういう場所か分からずに行ってみると
縁結びの神様らしく、恋人同士や若い女の子が沢山来てました




若い草食系男子が「恋愛おみくじ」を引いて
出た結果に本気で悔しがっている姿を目撃してしまい
唖然としてしまったオッサンは
死んでも恋愛おみくじなんか引くものか!と心に強く誓いましたとさ

同行人は「普通の」おみくじを引いて

見事に当てました
この運の強さがコレだと改めて思い、
帰ったら宝くじを買ってもらおうと心に強く誓いました


最後の宿泊地の富山市を目指しました。

2011年 ぶらり旅「信州&北陸/総括 編」


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2011年 S2000ぶらり旅「信州&北陸/石川県 千里浜なぎさドライブウェイ 編」

2011年05月04日 | 周遊紀行 / 東海&北陸地方
2011年 5月 4日(水)
千里浜なぎさドライブウェイに行って来ました。
「車好き」なら一度は訪れるという有名な海岸。
沢山の車で賑わっていました。





海岸線をオープンにして走って気持ちよかった
日本海の風が心地よかったネ

S2000 ODO 126,207km

2011年 ぶらり旅「信州&北陸/総括 編」
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2011年 S2000ぶらり旅「信州&北陸/福井県 丸岡城 編」

2011年05月04日 | 周遊紀行 / 東海&北陸地方
2011年 5月 4日(水)
丸岡城へ行きました。

丸岡城は、福井平野丸岡市街地の東に位置する小高い独立した丘陵に築かれた平山城である。近世に、山麓部分が増築され、周囲に五角形の内堀が廻らされていた。天守が現存する日本国内12箇所の城郭(現存天守)の一つである。城跡に現存する建築は天守のみで、国の重要文化財に指定されている。その他、石垣が現存している。移築現存する建物として、小松市興善寺およびあわら市蓮正寺に、それぞれ城門、丸岡町野中山王の民家に、不明門と伝わる城門がある。ほかに土塀が現存する。五角形の内堀は現在埋め立てられているが、この内堀を復元する計画が浮上している。「霞ヶ城」の名の由来は合戦時に大蛇が現れて霞を吹き、城を隠したという伝説による(Wikipediaより)。
 

天守閣の階段を上って

最上階から駐車場に停めた自分のS2000を見つけました


併設されている歴史民俗資料館へ行くと
徳川御三家と大名を記した帳簿の様なモノ(複製品)が飾られてあって

前田家を先頭に、島津家、伊達家と有力大名が続いて

最後の最後にやっと出て来た故郷の宇都宮

昔の丸岡城の模型。

今は周囲は住宅が沢山。






歴史を堪能できた丸岡城を後にして能登半島を目指しました。

2011年 ぶらり旅「信州&北陸/総括 編」









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2011年 S2000ぶらり旅「信州&北陸/福井県 永平寺 編」

2011年05月04日 | 周遊紀行 / 東海&北陸地方
2011年 5月 4日(水)
永平寺へ行きました。
 
永平寺は、今から約760年前の寛元2年(1244年)、道元禅師によって開創された出家参禅の道場。大佛寺山に拠って、渓声山色豊かな幽邃の境に七堂伽藍を中心とした大小70余棟の殿堂楼閣が建ち並んでいる。今もつねに2百余名の修行僧が、日夜修行に励んでいる。境内は約10万坪(33万平方メートル)の広さをもち、樹齢700年といわれる鬱蒼とした老杉に囲まれた静寂なたたずまいは、出家道場として誠にふさわしい霊域である。永平寺町観光ガイドより。

永平寺通用門。
 

通用門をくぐって吉祥閣(きちじょうがく)という建物の中で
若い修行僧の方に見学の注意点などの教えを受けました。
「廊下は左側通行」
「修行僧にカメラは向けない」
「カメラのフラッシュは禁止」など。
教えを頂いた直後にフラッシュを付けて撮影していたオバサン軍団が居たけど
そんな人達とは距離を置いて、順路に従って進みました。

傘松閣(しょうさんかく)の絵天井。
2階大広間の絵天井が有名。
156畳敷きの広間の天井に川合玉堂、伊東深水など144名の画家によって描かれた花鳥彩色画230枚が並んでいます。
天井を見上げると、圧巻
しばし時が経つのも忘れてボォーッとしてしまいました。
 

 

  

永平寺は山の急斜面にいくつもの建物が建てられ、それを回廊で結んであります。
まるで巨大な迷路の様でした(笑)。
(永平寺の境内の広さは約10万坪(33万平方m)もあるとのこと。)
宏大な敷地なお寺と言えば、以前に行った長野県の善光寺を思い出します。




仏殿。
(パンフレットより)明治35年(1902)の改築で、中国宋時代様式の二重屋根と床は石畳となった大変美しい伽藍(がらん/寺院の建物のこと)。中央の須弥壇(しゅみだん)と呼ばれる壇の上には本尊の釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ/お釈迦様のこと)が祀られ、三体の仏像は向かって左側から過去・現在・未来の三世を現しています。また欄間には禅宋の逸話が図案化された12枚の彫刻がはめられています。


「一天門(いってんもん)」(「承陽門」、「承陽中雀門」とも呼ばれる)。

承陽殿。
(パンフレットより)明治14年(1881)の改築。永平寺の御開山道元禅師の御真廟(ごしんびょう)いわばお墓(お霊屋/たまや)であり、日本曹洞宗の発祥の根源として曹洞宗の聖地とでも言うべき場所です。

鐘楼。

法堂。

山門。

山門内の四天王。

山門に掲げられている吉祥山(きちじょうざん)永平寺の由来である「吉祥の額」。

大庫院(だいくいん)。


擂粉木(すりこぎ棒)。

舎利殿。

寂光苑(じゃっこうえん)。


ゆっくり回って2時間位で見ることが出来ました。
帰りにお土産屋さんで定番の「ごま豆腐」を買ってから
永平寺を後にしました。

2011年 ぶらり旅「信州&北陸/総括 編」









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