2011年 5月 4日(水)
永平寺へ行きました。
永平寺は、今から約760年前の寛元2年(1244年)、道元禅師によって開創された出家参禅の道場。大佛寺山に拠って、渓声山色豊かな幽邃の境に七堂伽藍を中心とした大小70余棟の殿堂楼閣が建ち並んでいる。今もつねに2百余名の修行僧が、日夜修行に励んでいる。境内は約10万坪(33万平方メートル)の広さをもち、樹齢700年といわれる鬱蒼とした老杉に囲まれた静寂なたたずまいは、出家道場として誠にふさわしい霊域である。
永平寺町観光ガイドより。
永平寺通用門。
通用門をくぐって吉祥閣(きちじょうがく)という建物の中で
若い修行僧の方に見学の注意点などの教えを受けました。
「廊下は左側通行」
「修行僧にカメラは向けない」
「カメラのフラッシュは禁止」など。
教えを頂いた直後にフラッシュを付けて撮影していたオバサン軍団が居たけど
そんな人達とは距離を置いて、順路に従って進みました。
傘松閣(しょうさんかく)の絵天井。
2階大広間の絵天井が有名。
156畳敷きの広間の天井に川合玉堂、伊東深水など144名の画家によって描かれた花鳥彩色画230枚が並んでいます。
天井を見上げると、圧巻
しばし時が経つのも忘れてボォーッとしてしまいました。
永平寺は山の急斜面にいくつもの建物が建てられ、それを回廊で結んであります。
まるで巨大な迷路の様でした(笑)。
(永平寺の境内の広さは約10万坪(33万平方m)もあるとのこと。)
宏大な敷地なお寺と言えば、以前に行った長野県の
善光寺を思い出します。
仏殿。
(パンフレットより)明治35年(1902)の改築で、中国宋時代様式の二重屋根と床は石畳となった大変美しい伽藍(がらん/寺院の建物のこと)。中央の須弥壇(しゅみだん)と呼ばれる壇の上には本尊の釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ/お釈迦様のこと)が祀られ、三体の仏像は向かって左側から過去・現在・未来の三世を現しています。また欄間には禅宋の逸話が図案化された12枚の彫刻がはめられています。
「一天門(いってんもん)」(「承陽門」、「承陽中雀門」とも呼ばれる)。
承陽殿。
(パンフレットより)明治14年(1881)の改築。永平寺の御開山道元禅師の御真廟(ごしんびょう)いわばお墓(お霊屋/たまや)であり、日本曹洞宗の発祥の根源として曹洞宗の聖地とでも言うべき場所です。
鐘楼。
法堂。
山門。
山門内の四天王。
山門に掲げられている吉祥山(きちじょうざん)永平寺の由来である「吉祥の額」。
大庫院(だいくいん)。
擂粉木(すりこぎ棒)。
舎利殿。
寂光苑(じゃっこうえん)。
ゆっくり回って2時間位で見ることが出来ました。
帰りにお土産屋さんで定番の「ごま豆腐」を買ってから
永平寺を後にしました。
2011年 ぶらり旅「信州&北陸/総括 編」