遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『一場の夢と消え』  松井今朝子  文藝春秋  

2024-10-01 17:48:54 | 松井今朝子
 この小説の終わり近くに、「春宵一刻値千金」という蘇東坡が詠んだ名句が出てくる。そして「蘇東坡が年老いて、同じく年老いた婦人から、富貴と名声に包まれたあなたの人生も所詮は『一場(イチジョウ)の春夢』に過ぎぬ、と言い放たれた話を昔どこかで読んだ覚えがある」(p408)と続く。本書のタイトルは、ここに由来するようである。

 調べてみると、「春宵一刻値千金」という句は、蘇東坡の漢詩「春夜」の初句である。
   春宵一刻値千金  春宵一刻 値千金
   花有清香月有陰  花に清香有り 月に陰有り
   歌管楼台声細細  歌管楼台 声細細
   鞦韆院落夜沈沈  鞦韆院落 夜沈沈
 
 本書は「オール讀物」(2023年3・4月号~2024年3・4月号)に連載された後、2024年8月に単行本が刊行された。

 このストーリーで、己の人生を「一場の春夢」と思いあたったのは誰か。
 近松門左衛門である。本書は近松門左衛門一代記、伝記風小説。

 本書は、「春永の暮らし」
     「夏安居の日々」
     「出来秋(デキアキ)の善悪(ヨシアシ)」
     「斑雪(ムラユキ)の冬籠もり」 という4編で構成されている。
著者は、短編の4連作で近松一代記を構想したのではないかと想像した。

 読了後に4つのタイトルを再度見て、再認識! 春、夏、秋、冬という語が標題に織り込まれている。近松門左衛門の名を燦然と世に輝かせた男の人生の春夏秋冬と平仄を併せている。それぞれを独立した一編として単独で読むこともできる。その一方で、一人の男の生き様、あり様は、周りの人々、家族との関わりという要素において繋がりつつ、人生のステージを変化させていく。

 本作は、信盛という名前、一人称の視点で記述されている。最初から最後まで、信盛という名前で一貫され、信盛の目線で己と周囲の人々との関係、己のやっていること、時々の出来事・・・が語り継がれる。その中に、信盛と関係を持つ人々の二人称視点から、近松門左衛門の名称が発される。そのメリハリ、対比が明瞭になっている。

<春永の暮らし>
一条恵観禅閤に宮仕えする武士として、近江の近松寺に住み暮らした信盛が、恵観禅閤の没後もしばらく近松寺に留まっていた。正親町公通に求められたことを契機に、近松寺を出て、正親町公通に仕える。近松寺で説教師栄宅と出会ったことが、信盛生涯の友という関係に進展する。栄宅との関わりは本作の一筋の底流となる。
 正親町家に仕える間に、弁の君の侍女清滝と関係が深まり、清滝は後に信盛の生涯の伴侶となることに。名前は多岐という。
 清滝との関係が発覚したことで、信盛は正親町邸を去ることになる。この時、浄瑠璃の宇治嘉太夫の勧進元である竹屋庄兵衛を訪ねてみよと正親町公通から助言される。信盛がかぶき狂言や浄瑠璃の戯作者として歩み始める契機となる。
 浄瑠璃「出世景清」がヒットし、浄瑠璃正本が山本屋から版行される際に、戯作者信盛の雅号も彫られることになる。これが近松門左衛門の名前が世に知られる最初となる。それは、戯作者の名前が正本に載る第一号でもあったという。また、これを契機に、都万太夫が勧進元となるかぶき狂言でも、小屋の看板や街角の辻札に作者名を明記するようになったそうだ。戯作者名が表にでる契機を作ったのが近松門左衛門だったのだ。本作で初めてこのことを知った。
 本書を読むと、浄瑠璃や歌舞伎の沿革史を自然な形で知識として学べるという副産物が伴われてくる。この点も楽しめる側面だ。
 信盛が武士から芝居の世界で生きる戯作者に転身する人生の入口が描かれる。人生の「春」である。知識や経験の蓄積を基礎に、それを生かして開かせるまでの時期が描かれる。
 明確に時期が明記されるのは2か所。寛文13年(1673)の大火と、信盛の父杉森信義が天寿を全うした没年・貞享4年(1687)4月である。

<夏安居の日々>
 元禄元年(1688)から5年の歳月が流れた時点、不惑の年齢時期の信盛を描く。信盛は京において、都万太夫座の座付き作者となっている。芝居の世界で信盛に大きな影響を与える坂田藤十郎について語る。その藤十郎との関わりから、丹六(ニロク)大尽と呼ばれる分限者で興業の金主との出会いが生まれ、また丹六大尽の零落した姿にも接する。この経験が戯作者信盛に大きな影響を及ぼしていく。
 藤十郎のために次々と狂言を書く状況を信盛が語る。様々な作品を掲げながら、元禄12年(1699)正月興行の「傾城仏の原」を書き、また、元禄16年(1703)5月の操り浄瑠璃芝居、竹本座のために「曽根崎心中」を書いた。これらの興行の経緯がクローズアップされていく。信盛はかぶき芝居のきり狂言で心中ものを扱っているのにヒントを得て、浄瑠璃に心中ものを本格的に取り上げた。心中ものの嚆矢となる。作品の成り立ち経緯がわかり興味深い。
 一方で、当時の信盛の家族の様子ー妻の多岐、長男・多門、次男・恵次ーについて、また正親町家の弁の君の消息が織り込まれていく。
 四十代に入り、かぶき狂言と浄瑠璃という二つの領域で、ヒットする作品を書き続ける信盛の姿が、植物が伸び盛る夏の輝きのごとくに描かれる。それを舞台で実現したのが、坂田藤十郎であり、竹本義太夫だった
 
<出来秋(デキアキ)の善悪(ヨシアシ)>
 坂田藤十郎が病に倒れ、都万太夫座の不振となる頃からが描かれる。都座付作者としての銀一貫目の年金があてにできなくなる一方、浄瑠璃「曽根崎心中」の大当たりが、浄瑠璃正本の刊行で、信盛に収入(ミイリ)をもたらすことに。版元山本屋の斡旋で、信盛は高倉御池辺りに移転した。近松門左衛門の京の住居地を本書で初めて知った。
 歌舞伎と浄瑠璃という芝居の世界における離合集散、栄枯盛衰の状況が信盛の目を通して、語られていく。大坂の豪商淀屋が破綻した時期でもある。
 信盛は新生竹本座の竹田出雲のために、座付き作者となり浄瑠璃を書く立場に移る。仕事の拠点を大坂に移し、高津宮近くに住む。いわば単身赴任したのだが、芝居茶屋を営む奈加との関係が深まっていく。いわば、大坂妻のような位置づけに進展する。近松門左衛門が浄瑠璃作者として不動の地位を確立していく時期でもある。
 新生竹本座のために「用明天皇職人鑑」を書いた宝永2年(1709)から、「国性爺合戦」「国性爺後日譚」を書いた時期までの経緯が信盛視点で語られる。
 ここに、信盛にとっての頭痛の種である次男恵次の生き方がサブストーリーとして織り込まれる。近松門左衛門にとっての弱みである。
 
<斑雪(ムラユキ)の冬籠もり>
 信盛が己の晩年を語る。とは言え、戯作者としては現役で筆を執る身。大坂住まいで、弟子をかなり抱えている。大坂の若き町儒者、穂積伊助がしきりに訪れ、信盛と問答することを好む。その様子から始まる。さらに、大坂東町奉行所同心、生田源右衛門が訪れることに触れていく。次男恵次のことが気がかり故に、生田と懇意にしておきたいという気持ちが信盛にはある。一方、浄瑠璃好きの生田は事件を含め、世相を信盛に伝えてくれるよき情報源ともなっていくところがおもしろい。著者は、享保5年(1720)の師走の竹本座の興行「心中天網島」は生田が信盛に告げた情報が発想の源になる形で描く。
 この編では、信盛の次男恵次がどのような生き方をしているのか。それを確かめたい親心が大きく表に出てくるストーリー展開になる。信盛の家族関係がクローズアップされている。そこに、信盛が自分勝手な思い込みをしていたとひそかに反省する側面も織り込まれていく。戯作者の自己分析。そこに信盛の人間像が反映しているといえる。
 享保9年(1724)正月に竹本座で「関八州繋馬」が興行された。近松門左衛門が久々に筆を執った最後の作品のようだ。信盛は御政道風刺の側面を盛り込んだようである。近松の反骨心が託されたという点がおもしろい。
 享保9年3月21日の出火で大坂は「妙知焼け」と称される大火災が発生した。奈加のいろは茶屋も4月半ばには再開の運びとなる。その後に信盛は死期を迎える。
 このストーリーのエンディングは、タイトルに照応していて余韻が残る。

 印象に残る箇所を二つ引用しご紹介しておこう。
*世間の大方は、腹の足しにもならない芝居に現を抜かす連中を哂っている。しかしよほどの芝居好きでも、舞台を見て我を忘れるのはほんの一瞬に過ぎないのだ。その一瞬のために、自分の一生を捧げようとする役者を見て、そんな人間がこの世にいることを信盛はまずふしぎに思い、却って珍重したくなったのかもしれない。  p121
*虚と実の間をつなぐ薄い皮膜のようなもんが芸じゃと思えばよい。その芸こそが実を虚に変え、虚を実に変えて人の心を慰めるのじゃ。舞台の芸も、文芸も然りじゃろうて。  p323 →信盛が穂積伊助に断言したこととして。

 近松門左衛門について断片的な知識はあったが、近松門左衛門の一生という視点で考えたことはなかった。この小説を読み、フィクションという形を通してであるが、近松門左衛門の生涯を通覧することができた。さらに、副産物として、歌舞伎・浄瑠璃のいわば沿革史の一端の知識を得られたこともプラスとなった。

 浄瑠璃や歌舞伎を観劇したいなぁ・・・・・と久々に思う。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
漢詩紹介 春夜  蘇東坡   :「関西吟詩文化協会」
近松寺    :ウィキペディア 
近松門左衛門 :ウィキペディア 
近松門左衛門 :「歌舞伎辞典」
正親町公通  :ウィキペディア
坂田藤十郎(初代)  :「歌舞伎辞典」
坂田藤十郎(初代)  :ウィキペディア
竹田出雲 :「歌舞伎辞典」
竹本義太夫 :「ジャパンノレッジ」
竹本義太夫 :ウィキペディア
竹本政太夫 :ウィキペディア
出世景清  :「文化デジタルライブラリー」
曽根崎心中 :「NHK for School」
大経師昔暦 :ウィキペディア
心中天網島 :ウィキペディア 
国性爺合戦 :ウィキペディア
穂積以貫  :「コトバンク」

 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。

「遊心逍遙記」に掲載した<松井今朝子>作品の読後印象記一覧 最終版
 2022年12月現在 6冊


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『日本史を暴く 戦国の怪物... | トップ | 『はじめてのギリシャ神話解... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

松井今朝子」カテゴリの最新記事