福島相双地区の視察2日目、午後には帰路につく予定でしたので
原発の近く、双葉・大熊・浪江に向かいました
この日の朝に6月27日に書き込んだことが起こって
その後は、処理水を海に放出するニュースが連日されています・・・今日も報じられています
https://blog.goo.ne.jp/kadzuno/e/e4f8ad572d11993cb862cb3d4cd87c68
車の窓から見えてきた双葉の帰還困難地区は昨日同様無人の家屋と進入禁止のバリケードばかりでした
まだ新しい家もあり、避難せざるを得なかった住民の方への思いを巡らせました
JR常磐線の大野駅に到着、駅名は大野ですが大熊町駅前です
大野駅前にて國分さん村木さんと
駅前の街並みはほぼ更地となり建物はありません。
放射能に汚染されたため家屋は取り壊しに応じた為とのこと
駅から少し離れると持ち主が取り壊しに応じなかった(建てたばかりなどで)家屋がありました
・・今は片付けなどの滞在は出来るものの、いつ戻れるかは未だ不明とのこと
大熊町では役場も学校もそして町そのものを高台の土地に移転する工事を進めていました
駅方面へのシャトルバスが運行されていました
災害公営住宅が立ち並び、近くには役場も学校も建築されてはいましたが、避難先からの帰還住民は少なく
小中併設で新築中の学校はとても立派で、200名くらいは収容可能のように見えるのですが
今のところ児童数が数十名にしかならないとのことです。子どもの健康被害を恐れて避難先から戻ってはこないのだそうです
新築工事中の小中学校
同じようなことは前日の南相馬市小高地区でもあり3校あった小学校を統廃合しては見たもののやはりほぼ旧住民の子供たちは戻ってはいないとのことでした
次に立ち寄ったのが旧双葉町立南小学校です。
ここは原発事故時に授業中や校舎にいた児童教員が避難したあとそのままになっているそうですが、
いつの間にか窓全てがカーテンが引かれ中の様子を見ることが出来なくなっていました。
それでも正面入り口や児童入口だったと思われるところから、
下駄箱の内履きがそのままであったり、掲示板には子供たちの写真、おそらく体育館に通じる廊下の先からは
緊急避難をしたのだなと感じられる様子がのぞき見出来ました
そこから双葉町郡山海水場近くへ移動し、津波防波堤から太平洋を眺めて
最後の視察地である浪江の震災遺構浪江町立請戸小学校へと向かいました
震災発生時、全校93名中、2年生以上82名が学校にいました。校舎の1階までのみ込まれた津波被害でしたが
的確な先生の判断と行動で、約1.5キロ離れた小高い大平山に避難し1名の犠牲者も出ませんでした
あの寒い日に着の身着のままで子どもにとっては辛い行動だったと思いますが皆が支え合ったことで命が守られました
浪江町請戸地区はあまり報道されてはいないのですが、津波被害の後の原発事故による放射能により
捜索をはじめ災害救済措置が取られないまま「立入禁止」とされました
請戸地区の住民の皆さんが町を再現したジオラマ
もしかしたら、津波では一命を取りとめながら、その後に救助が来ないがために亡くなられた方があった可能性が否定できません
原発事故の恐ろしさを改めて感じ、お亡くなりになった方のご冥福をお祈りいたします
2日間という短い時間で、駆け足視察とはなりましたが、現地に行き実際を目にしなければ知りうる事が出来ない多くの事を
見聞き、経験させていただきました
お忙しい中、現地案内をしていただいた國分富夫さんには心より感謝申し上げます。
以上で、福島相双地区視察の報告を終わりとします
長々と最後までお読みいただきありがとうございました
原発の近く、双葉・大熊・浪江に向かいました
この日の朝に6月27日に書き込んだことが起こって
その後は、処理水を海に放出するニュースが連日されています・・・今日も報じられています
https://blog.goo.ne.jp/kadzuno/e/e4f8ad572d11993cb862cb3d4cd87c68
車の窓から見えてきた双葉の帰還困難地区は昨日同様無人の家屋と進入禁止のバリケードばかりでした
まだ新しい家もあり、避難せざるを得なかった住民の方への思いを巡らせました
JR常磐線の大野駅に到着、駅名は大野ですが大熊町駅前です
大野駅前にて國分さん村木さんと
駅前の街並みはほぼ更地となり建物はありません。
放射能に汚染されたため家屋は取り壊しに応じた為とのこと
駅から少し離れると持ち主が取り壊しに応じなかった(建てたばかりなどで)家屋がありました
・・今は片付けなどの滞在は出来るものの、いつ戻れるかは未だ不明とのこと
大熊町では役場も学校もそして町そのものを高台の土地に移転する工事を進めていました
駅方面へのシャトルバスが運行されていました
災害公営住宅が立ち並び、近くには役場も学校も建築されてはいましたが、避難先からの帰還住民は少なく
小中併設で新築中の学校はとても立派で、200名くらいは収容可能のように見えるのですが
今のところ児童数が数十名にしかならないとのことです。子どもの健康被害を恐れて避難先から戻ってはこないのだそうです
新築工事中の小中学校
同じようなことは前日の南相馬市小高地区でもあり3校あった小学校を統廃合しては見たもののやはりほぼ旧住民の子供たちは戻ってはいないとのことでした
次に立ち寄ったのが旧双葉町立南小学校です。
ここは原発事故時に授業中や校舎にいた児童教員が避難したあとそのままになっているそうですが、
いつの間にか窓全てがカーテンが引かれ中の様子を見ることが出来なくなっていました。
それでも正面入り口や児童入口だったと思われるところから、
下駄箱の内履きがそのままであったり、掲示板には子供たちの写真、おそらく体育館に通じる廊下の先からは
緊急避難をしたのだなと感じられる様子がのぞき見出来ました
そこから双葉町郡山海水場近くへ移動し、津波防波堤から太平洋を眺めて
最後の視察地である浪江の震災遺構浪江町立請戸小学校へと向かいました
震災発生時、全校93名中、2年生以上82名が学校にいました。校舎の1階までのみ込まれた津波被害でしたが
的確な先生の判断と行動で、約1.5キロ離れた小高い大平山に避難し1名の犠牲者も出ませんでした
あの寒い日に着の身着のままで子どもにとっては辛い行動だったと思いますが皆が支え合ったことで命が守られました
浪江町請戸地区はあまり報道されてはいないのですが、津波被害の後の原発事故による放射能により
捜索をはじめ災害救済措置が取られないまま「立入禁止」とされました
請戸地区の住民の皆さんが町を再現したジオラマ
もしかしたら、津波では一命を取りとめながら、その後に救助が来ないがために亡くなられた方があった可能性が否定できません
原発事故の恐ろしさを改めて感じ、お亡くなりになった方のご冥福をお祈りいたします
2日間という短い時間で、駆け足視察とはなりましたが、現地に行き実際を目にしなければ知りうる事が出来ない多くの事を
見聞き、経験させていただきました
お忙しい中、現地案内をしていただいた國分富夫さんには心より感謝申し上げます。
以上で、福島相双地区視察の報告を終わりとします
長々と最後までお読みいただきありがとうございました
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます