6月24日、南相馬に着いたのはちょうどお昼頃でした
道の駅「南相馬」で昼食を済ませ、國分さんと私たち4名で被災地へ向かいました
先ず初めに「東日本大震災・原子力災害伝承館」の見学に
見学されている方は少なくて、いきなり12年経ったという事はこういうことなのだろうなぁと感じました
見学を終えていよいよ、今も帰還困難とされている地区への移動でしたが地区に入ると
右を見ても左を見ても「立入禁止」の看板とバリケード、行けると思って進んでも引き返すこともあり・・・
大きめのセダンでの移動でしたが、やはり後部座席に大人3人は窮屈でしたし
あいにくのお天気で雨が降ったり止んだりと、車中での説明が多く、メモも獲れない状態でした
あいにくの雨
道路は通行のみ許可されていて、道路の両脇はほぼ今も帰還困難地区に指定されていますので行き交う車もほとんどありませんでした
当たり前ですが「人っこ一人いない」状態です
そんな道を走っていると目隠しされている所が・・・
なんと大量の除染で出た廃棄物が中間処理されずに山積み状態・・・
國分さんは「こんなところいっぱいだよ。廃棄物の基準が変わったので中間処理しないで道路や町作りの埋め立て用に
つかわれる可能性もありだね」と・・・そうなれば俗に言われている「汚染の拡大」に繫がることは間違いないのです
お天気が回復、国道114号富岡街道の室原川渓谷を通り請戸川大柿橋のところにある放射線モニタリングポストを案内していただきました
お隣の葛尾村との境にあたる標高の高い場所で、結構な車の通行がありました
モニタリングポストの数値はμの所にマーカーが点いているので2.427マイクロシーベルト(μSv)だと思いますが
それが多いか少ないかはサッパリわかりませんので國分さんに通常は?と尋ねると「0.05」とのこと
なんと通常時の48倍の放射線量だという事にびっくり・・・ここにいて大丈夫なのかと心配になりました
そしてモニタリングポストの向かい側の家には「除染済み」の表示がされていました
でも「そもそも、山は除染対象じゃないから家の前除染したって一雨降れば逆もどりだぁ」と國分さんの一言・・・ごもっともです
一日目の最後は南相馬市小高で原発事故の放射能汚染で農業をあきらめた方が経営する横田バラ園を見学しました
横田さんは事故前にお米を5丁歩、大根を2丁歩で作っていた大農家でしたが、放射能汚染で作付け出来る見込みが立たず
埼玉に引っ越したのですが、知人の誘いもあり築100年の自宅前でバラ園を始めたのだそうです
一緒に埼玉に引っ越した家族は、元気だった母親は施設にお世話になるほど体調を崩して亡くなられたそうですし
子供たちは避難先で就職し戻ってはこない様子、バラ園をはじめて、ふるさとに来る機会が増えたことが良かったのか
自分と奥様も体調が避難したころに比べ良くなっているとのことでした。やはり生まれ育ったところは大切なのだと感じました。
バラを植えたのが5年前で、今では県内外から見学に来る人も随分とあるそうです
バラの開花時期は過ぎていましたがそれでもその広さには驚かされました。ちなみに見学入園料はいただいていないそうです
時刻は午後5時となり、一日目の視察はここで終了となりました
道の駅「南相馬」で昼食を済ませ、國分さんと私たち4名で被災地へ向かいました
先ず初めに「東日本大震災・原子力災害伝承館」の見学に
見学されている方は少なくて、いきなり12年経ったという事はこういうことなのだろうなぁと感じました
見学を終えていよいよ、今も帰還困難とされている地区への移動でしたが地区に入ると
右を見ても左を見ても「立入禁止」の看板とバリケード、行けると思って進んでも引き返すこともあり・・・
大きめのセダンでの移動でしたが、やはり後部座席に大人3人は窮屈でしたし
あいにくのお天気で雨が降ったり止んだりと、車中での説明が多く、メモも獲れない状態でした
あいにくの雨
道路は通行のみ許可されていて、道路の両脇はほぼ今も帰還困難地区に指定されていますので行き交う車もほとんどありませんでした
当たり前ですが「人っこ一人いない」状態です
そんな道を走っていると目隠しされている所が・・・
なんと大量の除染で出た廃棄物が中間処理されずに山積み状態・・・
國分さんは「こんなところいっぱいだよ。廃棄物の基準が変わったので中間処理しないで道路や町作りの埋め立て用に
つかわれる可能性もありだね」と・・・そうなれば俗に言われている「汚染の拡大」に繫がることは間違いないのです
お天気が回復、国道114号富岡街道の室原川渓谷を通り請戸川大柿橋のところにある放射線モニタリングポストを案内していただきました
お隣の葛尾村との境にあたる標高の高い場所で、結構な車の通行がありました
モニタリングポストの数値はμの所にマーカーが点いているので2.427マイクロシーベルト(μSv)だと思いますが
それが多いか少ないかはサッパリわかりませんので國分さんに通常は?と尋ねると「0.05」とのこと
なんと通常時の48倍の放射線量だという事にびっくり・・・ここにいて大丈夫なのかと心配になりました
そしてモニタリングポストの向かい側の家には「除染済み」の表示がされていました
でも「そもそも、山は除染対象じゃないから家の前除染したって一雨降れば逆もどりだぁ」と國分さんの一言・・・ごもっともです
一日目の最後は南相馬市小高で原発事故の放射能汚染で農業をあきらめた方が経営する横田バラ園を見学しました
横田さんは事故前にお米を5丁歩、大根を2丁歩で作っていた大農家でしたが、放射能汚染で作付け出来る見込みが立たず
埼玉に引っ越したのですが、知人の誘いもあり築100年の自宅前でバラ園を始めたのだそうです
一緒に埼玉に引っ越した家族は、元気だった母親は施設にお世話になるほど体調を崩して亡くなられたそうですし
子供たちは避難先で就職し戻ってはこない様子、バラ園をはじめて、ふるさとに来る機会が増えたことが良かったのか
自分と奥様も体調が避難したころに比べ良くなっているとのことでした。やはり生まれ育ったところは大切なのだと感じました。
バラを植えたのが5年前で、今では県内外から見学に来る人も随分とあるそうです
バラの開花時期は過ぎていましたがそれでもその広さには驚かされました。ちなみに見学入園料はいただいていないそうです
時刻は午後5時となり、一日目の視察はここで終了となりました