珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

ニャンコ先生2

2020-07-22 | 日記
酷いことに、ニャンコ先生に「死ね」等々のメールを送り付けた人達や、挙句、殺人予告までしたバカ者がいる。
少し前にタレントの騒動があって一瞬はシュンとしたものの、人間はすぐ忘れる生き物。
撲滅が好きなら、ウイルスよりそういうのを撲滅させた方がいいんじゃないの?

ちなみに私も「死ね」は世界一の時、送り付けられたことがあるよ。
これ「言った方は忘れても、言われた方はその痛みを忘れない」と言われるけど、私は逆と思っている。
言われた方はケロッとしていても、言った方はその後もやましさを抱え込んで生きていくことになる。
せいぜい生涯、心に刻み込まれた消せない「染み」を背負って生きなはれ( ̄∇ ̄) 

ニャンコ先生はめげそうになりながらも、多くの人から励まされて、その後も心を尽くした発信を続けておられる。
これは私の感覚だけど、自然を見つめている人って心がきれいと思う。
少なくともお金を一番に見つめているよりは。


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解決が嫌い

2020-07-22 | 思うこと
美容院へ行ったら、前回より更に変化があった。
クロス(椅子に座ったら着させられるカバー)が使い捨てになって、透明な薄いポリ袋素材のものに変わっていた。

そう、何でもいいんだよね。
こんなふうにどんどん工夫すればいいんだと思う。
「怖い=自粛」ではなくて、頭があるのなら知恵を使ってアイデアを生んで働けばいいのである。
泣かぬなら「殺してしまえ」でも「待とう」でもなくて、何とかすべしと私は思う。

Sアンチの多くは「文句は言うけど、問題が解決することは好きじゃない」と以前に書いた。
これはイジワルじゃなくて、何故なんだろう?と本当に何度も首をひねったことである。

最初は、アポなし訪問や新聞を断る話で「アレ?」と思った。
「何度言ってもアポなしで来られる」とか「何回断っても新聞が止まらない」という話が頻繁に盛り上がる。
にも拘わらず、それがなかった人の話とか、解決方法が書かれるとなると全然反応が薄い。

「高齢者の新聞配達が危険だ、本部職員か業者がやればいい」と何度も話題になっていた。
が、いざそれが実現したニュースがあってもたいして盛り上がらないし、誰も嬉しそうではなかった。

「役職を断れなかった」「読みたくもない本を買わされた」という愚痴は人気だけど、「こうすればあっさり断れた」はノーリアクションになる。

「S会員は挨拶もしないし、口の利き方もしらないし、思い込みが激しい」と口をそろえて非難するわりに、じゃあそうでない人が来ても、それについてはピタリとコメントがない。(むしろがっかりする?)

「不満があって上に言った」なんて話になると、解決しない方が俄然イキイキする。

こういうことを実際に何度も何度も見て、これって要するに文句が言いたいだけで、
むしろ解決して文句が言えないことは嫌なのでは?と思うしかなかった。

私が「無駄が嫌いな性分」だからかもしれないけど、基本、ただ文句を言うのは好きじゃない。
文句をいうのは、あくまで解決したいからである。
コロナ問題も断固、「解決」が見たいのであって、ボヤキが目的じゃないよ。

「解決なんかいいの。ただ吐き出したいの」という人もいるかもしれないけど(俗説には「女脳」らしい)私は好きじゃない。

ジェンダーについては思うところもあるけど、それはさておき、
アンチの中には本当のアンチに紛れて、文句を言うことのシンパが混在しているんではないだろうか?と思うことがある。
これについては、また書こうかなと思う。
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