世の中がここまで「怖い怖い」になっていると、Sにいた頃の「怖い」をどうしても思い出してしまう。
当時もこの「怖い」で、人を注目させるテクニックは抜群だったと思う。
ただ「怖い」といっても、人によってそれは様々だった。
「邪宗の害毒」とか「本尊の不敬」が怖かった人。
本尊だとか謗法だとかより、S活動の「そんなことでは宿命転換できない」とか「お金を出し惜しみすると後悔する」等々の脅めいたことが怖かった人。
教えそのものより、親や周りの圧に逆らうことが怖かった人。
全部が怖かった人もいたと思う。
今思うとこれは一人一人性格や嗜好が違うように、それはそういうものとしか言えなかった。
偏ったものしか聞いてなかったわけじゃなくて、私も一応全部の脅し?は受けたし、知っている。
でもだからと言って「脅された=怖い」ではなかった。
ちなみに私の場合は「本尊不敬」が怖かったと思う。
目線が下になるような安置はいけないとか、本尊に足を向けて寝てはいけないとか、必要があって触る時は息がかからないようにするなどはしっかり守っていた。
コロナ騒動も、同じ日本で、「コロナが怖い」という情報も「怖くない」という情報も、同じだけ自由にフェアに聞いていながら、「怖い」と思う人と「怖くない」という人がいる。
私も別に偏った情報ばかりを見ているわけではなくて、むしろ「コロナがいかに怖いか」もちゃんと聞いているし、理由も理解している。
でも怖くはない。
感情って如何ともしがたいもんである。