珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

7ヵ月

2024-12-04 | 日記
年末年始は9連休になる人が多いそうで、「そうなんだ~」とカレンダーを見ていたら、ふと気づいた。
仕事中がもっとも、マインドフルネス状態に近くなる私には「辛い仕事を頑張った後の休日が楽しみ」という感覚が無くなってしまったことに。

休日のように楽しみに待ちわびているものは、「今と意識が一体になっている時」にとって代わったからである。
ということは、もしいつでも「まったき意識」になったら、毎日が待ちわびていた連休のように楽しいことになる。
家事をしていても雑用をしていても常に楽しい。アクシデントや退屈でさえ、とことん味わい、面白がる…ドラえもんのポケットにすらないそれに。 

この秘密兵器のすごいところは、条件を選ばないことだ。
学歴も職種も国籍も、誰であろうと何歳であろうと、男だろうと女だろうとトランスジェンダーだろうと、世の中が曇天だろうと晴天だろうと、それらと意識が今と一体かは無関係。
リベラルもグローバリストも真っ青な、何の差別もない平等じゃないの。

これに気づいた2024年は最高の年だった。
年始に救急車に乗った年が、まさかこんな結末で師走を迎えるとは。
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1 コメント

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Unknown ()
2024-12-04 21:32:32
私はアセンションとか、地球が時限上昇してますとか、ハイヤーセルフとか、瞑想などは今でもチンプンカンプンだし、ピンと来ないし、興味もない。

興味があるのは「今この瞬間」と「自分の体内」というものに目を向けてそこに強く意識していくことと、なぜかわからないけど心が徐々に安定して、感覚が冴えて来るということだけ。
その感覚において、これまた何故か「ワタシ」と思っていたものが薄くなっていくことと、何かわからないけど今まで気づかなかった別の意識が、自分の体感で感じられること。
それだけが、今のところの私の中のスピチュアルです。

ネドじゅんさんは「左脳さん」「右脳さん」「本体さん」と呼んでいるけど、その言葉を借りるなら、私が最初にすぐわかったのは左脳さんですね。この方は言語を使うから。
でも私の左脳さんは言葉というより、ドラマの回想シーンみたいに、映像をそのまま持ってくるんですよ。言葉だけじゃなくて必ず映像付き。
いわゆる「今日のごはん何にしようかなあ?」という未来とか、「あーなんであんなこと言っちゃったんだろう?」みたいな言葉だけは私の場合は、ないんですよ。
「あーなんであんなこと言っちゃったんだろう?」の場合は、その時のシーンが再現されてビジュアルまで全部出してくる。
これ私だけかな?誰でもそうなのかな?

あと、耳の後ろ辺りでずっと響いている「シャーーーン」ていう神々しい声?と、たまに(一日、1回か2回くらい)これは頭からなんだけど「クチュクチュ!」という一秒くらいのめっちゃ可愛い声?が聞こえるようになったんですよ。
二つとも耳で聞こえてるのか感じてるのか、何とも難しいんだけど、私にははっきり届くので面白い。
「ねえ、これ何?!」とずっと訊いてるんだけどね、答えない代わりに何度も聞かせてくれるんだよね。
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