雷とからっ風 義理人情! 上州かあちゃんの毎日

赤城おろしの冷たいからっ風にも、日本一暑い夏の日にもめげず
頑張る上州かあちゃんの日記です

日光街道 2回 千住〜草加

2023-05-14 13:46:40 | 日光街道

5月10日 水曜日 晴れ

日光街道 2回 千住から草加まで歩きました
 
 




9:50 千住大橋駅スタート
 
駅前に、「こうやまき」の木が植えてありました
この「こうやまき」で最初の千住大橋を作ったそうです
 

千住大橋
徳川家康が隅田川にかけた最初の橋
前回この橋を渡って歩き終えました
ここからが今回の日光街道歩きです

 
10:10 矢立初めの地
松尾芭蕉が奥の細道の旅に出発した場所

 
やっちゃば通り
ここで、朝市が開かれ
野菜、穀物、川魚など商われていました
ここから神田や京橋の市場へ運ばれたそうです
やっちゃばとは、せりのときの掛け声が由来


源長寺
千住宿のために尽力した
地元の明主の菩提樹


10:40 問屋場、貫目改所跡
幕府が規定する荷物の重量を超えていないのか、検査するところ
日光街道では、ここと宇都宮に貫目改所がありました

 
森鴎外旧宅跡
森鷗外のお父さんが東京府の軍医を
委託されここに住んでいました
鴎外も4年間軍医として
ここに住んでいたそうです

 
10;50 金蔵寺
境内には
大飢饉で餓死した人々の供養塔
千住宿で遊女として働いていた女性たちの
供養塔が立っていました
 
貧しい田舎から出てきた女性たちは
ここで働き
無縁仏として葬られたようです
 
供養してもらえるだけ
よいのかもね
 
現代に生まれてよかったです
私の実家も裕福ではなかったので
江戸時代なら
群馬の片田舎から売られて
働いていたかもしれません


勝専寺
千住宿の名前の由来になった
千手観音が祀られています
 


宿場町通りに入ると、すぐに
 
11:10 本陣跡がありました
今はビルの壁に案内版と
石標があるのみでした
 
千住本陣を務めた秋葉氏は、
千住・草加・越谷・粕壁・杉戸の五宿
本陣総代も
務めていたそうです
 


千住宿
本陣 1軒
脇本陣 1軒
旅籠 57軒
 
日光街道、最初の宿
宿場に加え、やっちゃばもある流通の街でもありました
 
昔の様子が垣間見える
人通りの多い商店街です

 
千住ほんちょう公園
この日の添乗員さん
ちょっと年配の方で可愛らしい
 
お客さんと馴染んでしまい
一瞬
お客さんが点呼しているのかと
思ってしまった笑笑
 
汗をかきながら
一生懸命添乗してくれました
 
添乗員さんによっては
ちょっとむかつく添乗員さんもいるのですが
この日の添乗員さんは
なんだか可愛い



11:30 横山家
紙問屋として、栄えた旧家
江戸時代、末期の典型的な商家の作り

 
横山家の向には
絵馬屋さん
こちらもおもむきのある建物です



名倉医院
 
骨接ぎと言えば名倉医院と言うほど
江戸時代から名倉接骨医は関東近辺では有名だったそうです
 
今でも整形外科医院を開業していました
200年の伝統のある長屋門が江戸時代の雰囲気を残していました
 


11:55 千住新橋を渡ります
 
 
橋を渡ると
スカイツリーが見えましたよぉ〜
 


石不動尊堂
お参りすると
耳の病が治るそうです

 
12:30
東武線梅島駅近くで昼ごはん
中華美味しかった
12回の宇津宮宿歩きの時の
超〜しょぼぉ~~い
スクランブルエッグだけの
中華に比べたら満足です
 
 
国土安寧寺
2代将軍秀忠・3代将軍家光など
徳川将軍が鷹狩の休憩所で訪れている
 
このお寺、門の前からのみの見学です
門の中に入れません
 
クラツーのお客様お断りだそうです
 
時々ありますね
クラツーお客様お断りの
寺やトイレ使用が・・・
今まで歩いてきた方々が
何かやらかしたのですね
 
 


15:30 毛長川を渡って



埼玉県草加市に入りました

 
13:40 瀬崎淺間神社
村の総鎮守
草加市指定史跡

 
富士塚がありました



16:00 
火炙り地蔵
この辺に刑場があり、供養のため地蔵を
祀ったと言われている
 
伝説によると
奉公に出ていた娘が
病身の母に会いたいと願い出たが
叶わず
 
奉公先が焼けてしまえばと
主人の家に火をつけ捉えられたそうです
 
その後、娘は、火あぶりの刑に処さらたそうですが
娘を哀れに思った村人たちが地蔵尊を
立てたと言われているそうです
 
今でも、放火の罪は重いですね

 
16:30
草加駅ゴール
お土産に草加せんべいを買いました
来月、草加宿を歩きますので
草加せんべいはまた買えると思います



 
 次回第3回日光街道歩きは来月です
その前に、来週18日に日光街道15回を歩きます
 
 
 
 
 
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日光街道 14回 宇都宮〜徳次郎 宇都宮宿

2023-04-15 18:25:46 | 日光街道

毎週街道歩いてます

記憶があるうちに書いておかないと

書けかくなってしまうのよねぇ~~

1年前の中山道街道の宿場4か所くらいかけていません

下書きに保存はしてあるのですが

書ける気がしない泣

せっかく街道を歩き写真を撮ってくるので

ブログの形で残しておきたいと思っています

4月13日 晴れ 日光街道14回

宇都宮から徳次郎(とくじら)まで歩いてきました

これまで、現地集合でしたがこの回から

バス移動です

上野に集合しバスで前回歩き終わりの宇都宮まで行き

宇都宮から歩きます

私は、わざわざ上野まで出てこなくても

宇都宮の方が近いのですが

街道歩きでたくさんの方とお知り合いになったので

バス移動も楽しいかと上野まで出てゆきました

8時集合だったのですが、1時間も早くついてしまい

上野公園で時間をつぶしました

桜はすっかり葉桜になり、早朝の静かな公園でした

8:00 上野をバスで出発

 
10:00 およそ2時間で宇都宮に着きました
 
宇都宮宿
本陣 2軒
脇本陣 1軒
旅籠 42軒
 
10:40 宝勝寺
 
宇都宮景綱が池底から救い出した阿弥陀如来を
安置している寺
 


11:00 延命寺
 
延命地蔵堂が市内最古の木造建築
歴代の天皇陵を調査し本にまとめた
蒲生君平がここの住職から学問を学んでいたということ
 


境内には立派なトチの木
栃木県の県名の由来は
このとちの木がたくさんあったから
という説もあるそうです



桂林寺
蒲生君平の菩提樹
 


12:10 宝の木
栃木医療センター内にある宝の木
って・・・なに???
 
昔はここに集落があり
老木が1本あったそうですが
住民は木の名前がわからなかったため
宝の木と呼んでいたそうです
 
 
 
学名はコノテカシワだそうです
花のつぼみが付いてました

 
講師の先生から花の画像を見せてもらいました
こんな花が咲くみたいです



12:30 高尾神社
水神を祀る社殿
 
 
境内にある安産地蔵
お地蔵様の後ろにある石柱は
昔、大男がいて自分の背丈を後世に
残そうと石柱を立てたそうです
今では子供の成長を願う参拝者があるそうです
私もお孫ちゃまが
大きく育つように手を合わせてきました
 
 
ここまでで午前の歩きを終えて
バスに乗って、宇都宮駅近くで昼食です
 
中華でしたが
まぁ~~まぁ~~
 
この日のお昼ご飯は貧弱すぎて
お話にならない・・・
 
画像・・・
撮っておけばよかった
 
お子様お茶碗に
スープとごはん
ザーサイ極々少量
茄子の煮びたしみたいなもの
小さすぎてよくよく見ないと茄子だか
なんだかわからない
 
メインは卵焼き
タケノコとかカニもどきは少し入っていたようですが
小さな皿にほんの少し・・・
 
この旅の目的は歩くことで
グルメの旅ではないので
私もたいがいの昼食には文句いいませんわ
 
でも、この日の昼ごはんは、ひどすぎた
こんな昼ご飯じゃ
力が出ない・・・
 
腹が減って力が出ませんがねぇ~~
日光街道は他の街道の参加者に比べると
参加者の年齢が高いように
見えますが
それにしても、この食事では少なすぎる
 
毎回旅の感想を書くアンケート用紙をいただくんですわ
毎回、「楽しい旅でした」と書いて
提出しますが
 
今回はこの馬鹿にした昼食のクレームを
がっつりと書いておきました
 
ツアー代取っておきながら
もう少しましなごはん出せ・・・つうの
 
14:30 上戸祭の一里塚 江戸から28番目
 
東西両方の塚が残っていました
東側は石碑のみ
西側はひのきが植えられてました
 
 
日光街道は全長140キロ
日本橋から17回に分けて歩きます
 
1回から順序よく歩きたいところですが
自分の事情・家族の事情・予約の事情で
なかなか順序よく歩けずに17回の最終回で完歩できない人も
いるんです
 
そんな方は、自分の歩けなかったコースを
穴埋めして完歩を目指すわけです
今回、14回で完歩を迎えた方がいました
講師の先生から完歩賞をいただいてました
 
東海道・中山道に比べると
短い街道ですが
それでも完歩はうれしいことです
おめでとうです
 
私の完歩は今年11月の予定です
がんばんべぇ~
 
 


14:50 光明寺
 
最近のお寺はハイテクで
この寺の山門をくぐったら
お経が流れてきましたわ
センサーで人を感知すると
お経が流れるようになっているようです
 
 


この寺は将軍の日光社参りの際の休憩所になって
いました
 
この寺の境内に静桜が咲いていました
 
 
静御前の杖から
桜の木になったと伝えられる桜です
花弁が兜に見えると説明を受けましたが
私にはわからん




15:50 並木道
 
桜並木が出てきましたよ
なんだかぐ~~と
日光街道らしくなってきました
あと1週間、早かったら
満開の桜の木の中を歩けたかも・・・残念
 
 
時々杉の並木になります
 


歩道は並木の外側なので
並木の下を歩くわけにはゆきません
それでも、国道沿いを歩くよりは
十分雰囲気のある中を歩けました



15:50 高谷林の一里塚 江戸から29番目
街道よりだいぶ高い所
東側は、一部修復
 


西側の塚は、自然のまま
ヒノキ一本が植えられています
 


 
16:10 ここでゴール
この日は26196歩でした
 


黄砂が飛び、周囲の山がかすむ中
歩くにはちょうど良い気温で
気持ち良く歩くことができました
 
11月完歩を目指し
穴埋めしなくてはならないコースも
まだまだありますが
楽しみながら歩きます
 
 
 
 
 
 
 
 
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日光街道 6回 杉戸~幸手

2023-04-10 12:49:48 | 日光街道
日光街道 6回 杉戸宿から幸手宿まで歩きました
4月9日 日曜日 晴れ風強
 
10:00 東武動物公園駅スタート
 
 
10:05 古川橋
この川は、大落古利根川
8月には畳一畳程の灯籠が250基も
川面に浮かぶ祭があるとの事


10:30 伊那稲荷神社
 
かつては、宿場の真ん中にあったそうです
当時、花柳界の人達から深く信仰されていたそうで、鰐口には、
20名の女世話人の名前が、
当時のまま、刻書されていました
 
当時の女性は、どんなお願い事をこの神社で
していたんでしょうね
当時も家族の健康とか
イケメンと出会えますようにとか
手を合わせていたんかねぇ
神明神社
 
杉戸宿新町の鎮守
石作りの常夜灯が2基ありましたが
土台のみしか残っていません
 


問屋場跡
 
明治天皇休憩の碑
街道を歩いていると
明治天皇の御休憩の碑を
たくさん見かけます
 
ここの碑もたいそう立派ですが
講師の話によると
ここでお休みになったのは
たったの5分と事!



杉戸宿本陣跡の門
門しか残っていません
 


この交差点辺りが杉戸宿の中心
 
杉戸宿
 
本陣 1軒
脇本陣 2軒
旅籠 46軒
 
杉戸宿は、付近の家々を集めて宿駅として発足した
利根川の渡しがあったことから、杉津・杉渡の名を
杉の門に書いていた
この杉の門を杉戸といったそうで
宿場の名前の由来のようです
 
 
愛宕神社
 
杉戸宿の鎮守
大火の経験ある杉戸では、
火伏せの神として、信仰されています



境内の大銀杏
災害などで、良好な状態ではありませんが
地域の人々の力で、
徐々に力を戻して来ているようです。
確かに根本の方は、とても太いです。
 
樹齢300年くらいとの事
地元の方々のお世話で
復活しつつある様子がよく
わかります


渡辺金物店跡
 
高札場跡に建つ民家
不定期ですが、地域交流会が
行われ、その時なら、店内の見学が
できるそうです
長く残してほしいです
 


10:50 富士浅間神社の富士塚
 
昔は、簡単に富士山とか行けなかったからね
身近にある塚を富士山に見立てて
お参りしたようです
 
昔は、どの塚からも富士山が
見えたようですが、
今は、全く見えません
 
塚の麓には
芭蕉の一句が刻まれていました



厳島神社・金毘羅宮・稲荷神社
 
江戸時代この辺りは、古利根川の舟運の
荷揚げ場で、茶屋や料理屋で
活気があったそうで
河畔に寺社が集まり見守っていたそうです



角穀跡
 
宿場の特徴のひとつでもある町端の
「枡形」その角にあるのが
文字通りの角穀
角にある米問屋だったそうです
 


昔を思わせる貴重な建物です

 
宝性院
戸籍の把握・寺子屋教育・旅籠の代わりなど
重要な役割を多数担って来ました




境内の馬頭観音は
日光街道で1番大きな物です
 


渡辺勘左衛門邸
 
杉戸の旧家、豪農
杉戸の為に色々尽力した方
 
お金待ちだったので、
たくさん寄付してくれたみたい
 
 
11:40 昼ごはん

 
釜めし
蕎麦がつきました
蕎麦は温かいのと冷たいのから選べました



心学の道碑

 
江戸時代の心学者の出身地区だそうです



12:40 恭倹舎
 
心学者大島有隣が、故郷のここで
村人達に教えた所
 
心学
神道、仏教、儒教の教えを日常生活に
合わせて説いた物だって
今で言う倫理学
 


大島有隣さんの生家
 
地元有名人だね
ここのご主人が門の外にいらして
門だけだけれど、
維持するのが
大変だって言ってました。
見学するのは、とても勉強になるけど
守っている人は大変よねぇ〜



神宮寺
 
奥州征伐の途中で頼朝が鷹を逃してしまったのだけれど
この寺で、祈願したら戻って来たんだって
無事に鷹が戻った事から
鷹尾山誓願院神宮寺って、命名したと
伝わるそうです。

 
14:10 神明神社
 
幸手宿の入り口
境内には「たにし不動」といわれ、
目の病にご利益があるとされる不動尊が
ありました



古民家カフェ
 
醤油醸造業を営んでいた
岸本家を改造した古民家カフェ
寄ってみたいけど
ツアーでは、そう言う訳には、
行かないのねぇ〜

 
幸手宿にはいり
この日のゴールの幸手駅も見えて来ました

 
14:20 一色稲荷神社



15時、幸手駅ゴールの予定でしたが
14:40にはゴールすることができました
 
この日は歩行距離が少なかったですね
 

街道歩きを終えると
忘れないうちにブログを書こうと思いますが
最近、週1回のペースで街道を歩いているので
なかなか、ブログが追いつきません
 
こんな本を参考にしてます
ってか
ほとんどコピペです
 
歩く前にきちんと予習してから
歩けばもっと、有意義な街道歩きになると
思うのですが
毎回、帰ってきてから
本を読み
ここも、あそこも画像を撮るの忘れた・・・と
後悔してます

 
今回は、講師の先生から
こんな冊子をいただきました
先生も観光協会みたいなところで
人数分いただいてきているのだと思います
地元の方が作った冊子はとても
わかりやすいし丁寧で参考になります

 
今回歩いた所
立ち寄ったところがよくわかります



講師の先生もいろんな方がいて
こういった資料を準備してくださる方も
いるし・・・
 
5日の日光街道、第1回 
日本橋から千住まで歩いた時の先生は
ちょっと疑問に思ったことがあったので質問したら
「興味があったらネットで調べてみてください」って
言われた
 
まぁ~~ね
私の疑問なんぞ
どうでもいい内容なんでしょうが
それでも・・・
自分で調べろってね~~
 
なんのための講師なんじゃい・・・
自分で調べながら歩くんだったら
ツアーなんぞ使いませんわ
 
講師の先生だって街道の隅から隅まで
知っているわけでは
ないでしょうが
いちお、案内するなら調べておけ・・・
 
突っ込みの厳しいおばさんです
疑問は先生の言う通り
ネットで調べて解決しました
 
 
 
 
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日光街道 10回 間々田〜小山

2023-04-08 21:25:00 | 日光街道
日光街道 10回目 間々田から小山まで
歩きました

3月19日晴れ

間々田駅スタート

 

街道を離れて
10:40 乙女河岸跡に向かいました
乙女河岸は、
思川舟運の拠点でした。
日光東照宮を作る時も資材の運送に
使われていたそうです
 



1600年6月
家康は上杉を打つために
小山にいたらしんですが
三成の挙兵を知り
 
北の上杉を打つべきか
西の三成を打つべきか
軍議が行われて、石田三成を討つために
西上する事に決めたそうです
 
家康は陸路を進んだようですが
兵糧米、武器、武具などは、
舟でここから
運ばれたと考えられているそうです
大河ドラマで
描かれるかどうか楽しみです
 


ここから、
舟で運ばれた資材が
水揚げされたそうです
 


11:10 乙女不動原瓦窯跡
奈良時代に瓦を生産していた
下野市の薬師寺は
ここの瓦を使っているそうです



11:15 泉龍寺
 
中禅寺湖に出現した尊像をここまで
背負い安置したと伝わる




11:40 逢いの榎
 ここが、日本橋と東照宮の中間点
日光街道ちょうど真ん中です。

昭和40年に台風で倒れるまで
300年以上
日本のえのきが絡み合うように立っていて
恋愛成就のご利益があると信じられていたそうで
現在のえのきは、2代目とのこと




11:45 龍昌寺
 
家康の遺骸を日光に移す際
本堂脇に
棺を安置する建物を新築したそうですが
今は石碑が建つのみ



12:10 お昼ご飯はうどんでした
 
暖かい汁につけて食べるうどんでしたが
皆さん珍しがっていました
私は、子供のころからこんな風に
温かい具入りの汁にうどんを入れて食べていましたが
もしかしたら、北関東の食べ方なのかな・・・と
思いました
 
 
国道沿いを歩きます



13:00 間々田本陣跡



13:20 間々田八幡宮
 
創建1300年の古社
源頼朝とか
多くの武将が、祈願に訪れているそう
 


この神社
ジャガマイタっていう
珍しい蛇祭りがあるそうで
田植えを前に神仏に程良風雨をお願い
疫病追い払う行事として、5月5日に祭りが行われているそう
 


 
 
この神社、映画テルマエ・ロマエのロケに
使われたようです
テルマエ・ロマエ面白いよね
 


芭蕉の句碑もありました



14:10 酒蔵見学
 
試飲はなかった
街道歩きのお客さん
試飲だけでお買い物しないので
試飲させてくれないらしい笑笑
 
中山道歩いた時、時々酒蔵に寄りましたが
私は、試飲したら
必ず買ったわよ・・・
買う意思があっての試飲よね・・・
 


この日
この後、小山の一里
須賀神社
愛宕神社、
小山評定の地などの
見学があったのですが
この後いわきで花子と待ち合わせをしていたので、ここで
街道歩きを離団して小山駅に向かいました
小山評定の碑
みたかったけど、残念でした
 
離団してから
小山から水戸まで2時間
水戸からいわきまで1時間
列車の旅をしました
 
大人の休日俱楽部会員になったので
乗車券割引になって
割引料金で行くことができました
 
 
 
 
 
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日光街道 1回 日本橋〜千住大橋まで

2023-04-07 09:59:38 | 日光街道

街道ビシビシ歩いてます

3月には
日光街道2回
甲州街道2回
歩いてますが、ブログが追いつかない
すぐに書かないと
忘れてしまいます
 
一昨日は 日光街道 第1回
 
日光街道、ずいぶん先は歩いてますが
1回から3回まで
予約が取れず歩けていませんでした
 
おとといは第1回
日本橋スタート
 
東海道・中山道・甲州街道に続き
4回目の日本橋スタートです

4 月5日 晴れ。
9:40 東京駅
 
 
10:06 北町奉行所跡
今の都庁と警察署を合わせたような仕事
をしていた所と説明されました



今は、ビルの谷間に説明板が埋もれてました



東海道・中山道・甲州街道・に続き
10:45 4回目の日本橋
五街道の起点です



十思公園(じっしこうえん)
江戸時代、伝馬町牢屋敷跡
多い時で、1000人位の在牢者が
いたそうです



吉田松陰が投獄され、処刑されたのもここだそうです
松陰先生、終焉の地の碑がありました
 


12:20 郡代屋敷跡
 
江戸時代、初期から
関東東海地方の行政をつかさどっていた
郡代屋敷跡
郡代屋敷とは?
江戸直轄地の年貢の徴収や、領民の紛争処理を行った。役職。

 
神田川には、たくさんの屋形船が・・・
屋形船って
1度も乗ったことないけど
一度、乗ってみたいなぁ~~




12:25 浅草見附跡碑
見つけは、見張りのことで要所に置かれていたそうです



街道からスカイツリーが見えてきました



13:00 浅草駒形堂
 
推古天皇の時代って、
どんだけ昔じゃぁ
ここの浜で、漁師の兄弟が
網にかかった小さな本尊を持ち帰り、
浅草寺のご本尊に祀ったそうです

 
本堂横にある碑
 
浅草寺ご本尊の見つかった浜にて
魚や鳥を、殺生をしてはいけないと言う碑がありました

 
浅草寺が見えて来ました

 
浅草寺山門横で
13:20 昼ごはん
昼時間だいぶ過ぎてて
すごくお腹空いてた。
 
ランチタイムは、歩き友と
楽しいおしゃべり
 
この日は、顔見知りの方は
1人もいませんでしたが
お話をしているうちに
それぞれの街道友の話をしていると
あの方も、この方も
知っていると
街道歩き友が繋がり話が盛り上がり
楽しい時間でした

 
お腹もいっぱいになったので
浅草寺参拝です

 
凄い!凄い!人です
 
参道右の団子屋
左のせんべい屋が
気になりますが、列から
離れず歩くのに必死でしたわ
外国の方がいっぱい・いっぱい
 
コロナ完全克服していませんが
人々が復活してます。



14:15 浅草寺
都内最古の寺院
 
 
子供の頃
東京に連れて行くよと言われ
父が、連れて行ってくれたところが
いつも
浅草寺でした
 
私にとって、東京イコール浅草寺だったのですが
原宿や新宿、池袋などもっと華やかで
もっと楽しい東京を知ったのは
大人になってからでした笑笑



スカイツリー
まだ上まで登ったことありません



15:00 待乳山聖天(まつちやましょうてん)
 
関東三大聖天の一つ
今は、たくさんのビルに囲まれていますが
江戸時代は、高台にあり
眺望の良い名所だったそうです
 
 
本堂の彫り物が、大根です。
お供えも大根!
大根は、健康・夫婦和合を意味するそうです

 
境内には、おさがり、大根があり
前日備えられた大根を
ご自由お待ちくださいとありましたが
これ背負って
残りの街道を歩くのは辛いので
いただいて来ませんでした

 
境内から、見えるスカイツリーもきれいでした



ここは、昔は用水路であったそうです



15:50 小塚原処刑場跡
 
明治の処刑が廃止にされるまで
はりつけなどの刑が執行されていたそうです
 
明治6年に廃止されるまで
20万人が処刑されたそうです。
 
この辺り南千住は、すごく安い宿
があるので私、泊まったことある
 
このあたり処刑場だったんだぁ~
20万人も処刑されてたところだったのね~~
 
今更ながらゾクっとしましたが
 
霊感とかないので
普通に眠れましたが
知らないって良いことなのか悪い事なのか・・・
 

15:50 回向院
 
 


小塚原処刑場の死者や、牢死者を供養して来た
杉田玄白が刑死者の腑分に立ち会い
解体新書を訳したそうです




16:15素戔雄神社(すさおのじんじゃ)
795年創建と言われる古社



境内に松尾芭蕉の句碑がありました



16:30 千住大橋
 
徳川家康が隅田川にかけた最初の橋
現在の橋は
関東大震災の後に架けられたもの
 
奥の細道に旅立つ芭蕉は、
舟でここまで来て、
弟子たちに見送られ
ここから旅立ったそうです、
 
 

                    画像借りました
 
この橋より、千住宿
日光道中最大の宿場となったそうです。
 
東海道、品川宿
中山道、板橋宿
甲州街道、内藤新宿宿と
共に江戸四宿として栄えたそうです
 
16:45 千住大橋駅ゴール
予定より15分遅れでゴールでした
 
お土産は、
浅草で雷おこしと人形焼を買いました。
 


実はこの雷おこし!空です!
おこしとか、あまり好きでないけど
一つ食べたら
止まらなくなって
一気食いしてしまった・・・
久しぶりに食べたので美味しかったぁ~~
 
 


浅草定番土産の人形焼きも
美味しかったです

日光街道!
月2回のペースで歩いてます。
今年中に完歩出来るかも!

ガンバンベェ〜
 
 
 
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