ご先祖様のことなど(2)

明治期に渡道してきたご先祖様は、来る前から和寒に落ち着いてからも実にたくさんの子どもを育てている。成人した人だけで9人もいた。当時幼くして死ぬことになった子どももいたはずだから10人以上の子どもを妻に産ませていた。 . . . 本文を読む
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ご先祖様のことなど(1)

私の母方は新潟出身。ひいじいさんにあたる人が明治32(1899)年に今は札幌市北区の篠路町に移住した。しかしこの地が水害多発だったとのことで、明治36年(1903)に和寒町に移住した。ここから数えて私は4代目に当たる。 . . . 本文を読む
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年賀状の周辺

昨年秋から今日にかけて、「喪中」ハガキと年賀状で、知り合い、親戚、旧友や教え子などの様子をしることができた。いつもよりも「死亡」を知ることが多かったように思う。また年賀状では、年齢を重ねているが、がんばっている旨知らせてくれるのもあるし、お互い健康に気をつけてがんばろうという「決意表明」のような内容もある。 . . . 本文を読む
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新しい年への期待として(各紙の社説など)

内外ともに「歴史の転機」が言われる2017年がスタートした。この転機をどう評価しこれに日本も世界もそして各個人もどう対処したらいいか、を各新聞の社説でチョックしてみた。 まず各紙の見出し。 . . . 本文を読む
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元旦

数年前まで、お正月には藻岩山で初日の出を迎えたりしたことが何度かあった。またそこでは寒い(5時ころ山頂に行き、7時ころの日の出をカメラを構えてじっと待つことから骨の随まで冷える)のでJRタワービルの最上階の窓から初日の出を迎えたりした。しかし昨年からは外でのお正月は「後退」し、お昼頃神社に参拝することにした。 . . . 本文を読む
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