《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

割込み旅メモ「恭仁京・発掘現場にて」

2009年11月23日 | Weblog
740年聖武天皇は平城京から京都府南部の木津川ほとりの加茂町瓶原(かがみはら)に遷都する。この宮の朱雀門や大極殿は、いま平城京で姿を現した大極殿を取り壊して移築した。しかしわずか4年足らずでこの宮を捨て難波宮へ、そして再び745年には平城京へ戻り遷都を繰り返す。その間滋賀県・紫香楽宮にも遷都を試み大仏建立の詔を発するなど慌しい聖武天皇だった。これらの遷都については色々な説があるが、左大臣・橘諸兄(たちばなのもろえ)、藤原不比等の孫・藤原広嗣の乱、そして東大寺建立に力を注いだ行基らとの関係が複雑に絡み合っているのではないかと思う。彷徨の聖武天皇は精神的にもさまよっていたのだろう。
(今日の歴史=1963年通信衛星による初の日米間テレビ宇宙中継に成功)