江戸時代後期の摂津名所図会でも観光地として記載されているこの井戸は、細川越中守忠興の屋敷跡にあった井戸。
大正時代には埋め立てられたが、昭和34(1959)年に地元住民により復元された。
「越中」は細川屋敷の主人である細川忠興が
越中守(えっちゅうのかみ)であった事から名付けられたといわれている。
昭和54(1979)年まで「東区越中町」だった。
そして戦前のこの辺り、東区越中町は「我が誕生」の地なのだった。
江戸時代後期の摂津名所図会でも観光地として記載されているこの井戸は、細川越中守忠興の屋敷跡にあった井戸。
大正時代には埋め立てられたが、昭和34(1959)年に地元住民により復元された。
「越中」は細川屋敷の主人である細川忠興が
越中守(えっちゅうのかみ)であった事から名付けられたといわれている。
昭和54(1979)年まで「東区越中町」だった。
そして戦前のこの辺り、東区越中町は「我が誕生」の地なのだった。