か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する 108

2023年10月20日 | 韓国
<前回のつづき>韓国人が韓国人に向けて書いた日本像です。毎月20日発行。


日本から被害を受けたという従軍慰安婦とか徴用被害者たちの主張を聞いてみると、彼らはあたかもそれまでは素晴らしい先進国にいて人間的な生活をしていたのにある日突然日本によって人権を蹂躙されたかのような語調で述べているのだが、当時の現実を無視した不当な主張である。彼らが経験した苦痛と非人間的なあつかいは十分に悲劇であったといえるが当時はすべての人がそれなりに悲劇的な時代を生きていたのであり、そのうえ人の命がハエの命ほどもない戦時であった。そんな時期に前線に引っ張り出されて生き残ることはそれだけでも幸せなことだった。




すなはち、被害というのは相対的な概念であり人権とか戦争被害賠償とか言う言葉は本質的に人権が保障され人間らしい社会に生きている人たちには該当することであるかもしれないが未開の社会に住む住民はふさわしくない概念だといえる。毎年やってくる端境期の飢えによって餓死し伝染病がひとたびくれば多くの人がゴロゴロ死んでしまう時代に戦争に引っ張られるとか何か月か望まない慰安婦生活をしたとか言ってそういった人権侵害を今日の基準で判断して日本を非難するのは不自然なことだろう。



端的な例として21世紀の文明の世である今日に至っても貧しい後進国に住む住民の生活水準はフランスやアメリカの犬にもはるかに及ばないものであり、したがって彼らの人権というものはフランスの犬に保証される犬権にも劣るものだ。フランスでは犬を殴ると動物虐待罪で刑務所に行かなければならないが未開社会の女子供は強者によって殺されても何も訴えることができないことも多い。



大東亜戦争当時日本兵の残虐行為については否定の余地がない。しかし韓国と中国がそんな日本の行為を機会をとらえては戦争犯罪だと非難するのはばかげた話だ。これはそれが犯罪なのかそうではないのかという問題なのではないのだ。クソがついた犬が灰のついた犬を非難できるかという言い古された問題だ。



韓国の場合、アメリカがいくばくかの金をよこすからというので何の関係もないベトナムに軍隊を送り無辜の領民をためらいもなく虐殺したのはわずか30年前のことだ。当時の韓国軍がいかに残虐であったか。ベトナム人はタイハンが来るといえば赤子も泣き止み恐怖に震えたという。また、韓国軍人はおさない子供にアメをやるといって集めておいて面白半分に撃ち殺したという。



このような韓国人の残虐な様子は記録されただけでも数えきれないほどある。ベトナム人は韓国軍によって皆殺しにされた村ごとに記念碑を立てタイハンの残虐行為を忘れまいと碑に刻んでいる。アメリカ軍はベトコンがいそうな村に入り人々を殺す必要があるときには韓国人を利用した。当時5年余りベトナム戦争に参戦していた韓国軍が虐殺したベトナム住民の数は30万名を超えると推定される。



「遠くからタイハン(韓国軍)は私たちを手招きして呼んだ。彼らは手に飴を一握り持っていたため私たちは我先にもらおうと走って行った。しかし私たちが近づくと手に雨を持っていたタイハンは笑いながら銃を持って一番前に走ってきた子供の頭を撃った。そうやって先頭を走ってきた子供たち3,4名が死んだ。私は必死で逃げた。あいつらは果たして人間なのかと震えながら走った。のちに大きくなって必ず韓国から来た悪魔たちに復讐してやると強く誓った。」



「知り合いの後輩が軍隊に行き除隊した。自分の部隊長がよく自慢気に行っていた言葉。ベトナム戦争当時自分の部隊がある村全体をがれきの山にし住民全員を一人残さず殺したというのだ。ひどいことに修道女まで殺したと。」



こういう類の話はベトナムでも韓国ででも誰かをつかまえて聞いてみるとたやすく聞くことのできる話だ。多分軍隊生活の経験のある韓国の男子なら参戦軍人たちからいやというほど聞いた話であり今日では別に驚くほどでもない内容だ。



ほかの国において虐殺したことは一旦置く。韓国動乱(朝鮮戦争)のとき韓国軍と人民軍もまたいかに多く無辜の良民を虐殺したことか。ベトナムに行きしたことはすべて韓国動乱のときの経験があったからできたことだ。当時はパルチザンが多くいて山深い地方では、「昼は韓国、夜は人民共和国」になった。住民にとっては誰に対しても協力するということが唯一の生き残る方法だった。韓国軍は仁川上陸作戦以後人民軍占領地を回復しながらこのような住民たちを皆「アカ」の協力者だとして虐殺していったのだ。虐殺は全国で数えきれないほどのところで行われていたし韓国軍によって殺された人は数十万名におよぶ。



そうみるとじつに韓国人を理解できないことがある。自分たちはそのように自国民数十万を虐殺しておき、ちょっと前にはアメリカ軍が避難民を何名か殺したとホワイトハウスの前でデモをしアメリカ政府の正式謝罪を要求する運動をくりひろげている。いわゆる「ノグンリ米軍虐殺事件」というのだがはたしてそんな「小さな」虐殺事件にそれほど多くの関心を持ってアメリカ政府の謝罪を引き出そうという人たちがいる一方で、韓国人がしでかした虐殺事件にはなぜさほどの関心もないのかわからない。韓国動乱前にもアメリカ軍と韓国軍は済州島で全住民の3分の1以上を虐殺したことがありヨースン反乱事件を鎮圧する過程で多くの全羅道地域の良民を虐殺したこともある。しかし、今日韓国人は自らが起こした虐殺事件に対してはさほど関心を持っていない。


<つづく>



 

ウソはしきりと絶叫する 107

2023年09月20日 | 韓国
<前回のつづき>韓国人が韓国人に向けて書いた日本像です。毎月20日発行。 

[1-9]韓国と中国は日本を非難する資格があるのか p123
 カテゴリー:【新 親日派のための弁明】キムワンソプ 第一部 目覚めるアジア


日本の歴史問題をやり玉にあげるとき韓国人たちが最も多く引用するのがまさに挺身隊、従軍慰安婦問題だ。そのほかに大東亜戦争当時多くの朝鮮人たちが徴用により強制労役をしたとか死んだとか、独立運動をしていたが辛苦の果てに死んだ人たちが多いとか言うことなどを度々話題にする。これらは朝鮮と直接関連のある話でありそのほか日本の戦争犯罪に関し議論するときには南京事件と満州にいた731部隊のマルタ実験のようなことも常連の話題メニューだということができる。



このような行為が褒められたことではないということはわかりきっている。過ちであり起こらなかった方がよかったことだ。ジュネーブ合意に象徴される現代交戦規則には戦争中敵国の兵士に対する殺人は正当なことであると認めているが強姦と良民虐殺、生体実験のような非人間的行為は犯罪行為として時効なく処罰される。



しかし、第2次世界大戦以後のいくつかの戦争を見てみると「非人道的」という区分自体が現実性がない場合が多い。前線後方の区別がない現代戦において人を殺せば殺人なのでありそれが軍人であれ民間人であれ何の違いがあるのかという話である。特にベトナム戦争とか朝鮮戦争のようなイデオロギー戦争ではだれが兵士でありだれが民間人であるのかを区分するのがことさら困難になる。現代戦においては民間人は誰でも潜在的な兵士であり兵士たちはいつでも民間人に戻ったり民間人のふりをすることができるのだ。例えば北朝鮮のように全国民が軍隊組織に組み込まれ最後まで抗戦するように洗脳されている国家の場合、戦争が起こると数百万の民間人を殺傷しなければ決して戦争を終わらせることはできない。



日本は第二次世界大戦当時600万の軍隊を維持していたと知られている。この600万日本軍はソ連と対峙していた関東軍、それとビルマ戦線と太平洋戦線など4個の前線に投入されたのだが、この中には半島出身者も多かった。



1941年日本は米英に宣戦布告をし本格的に東アジアの新秩序作業を始めた。その中で日本はより効果的な戦争遂行のために内鮮一体のキャンペーンを強化した。内鮮一体とは日本列島を意味する内地と朝鮮が一つだという意味である。その結果学校で朝鮮語教育が禁止されハングルで発行されるすべての新聞と出版物が廃刊となるか焼却された。創氏改名と挺身隊動員運動、志願兵運動などが強力に展開された。



このような内鮮一体同化政策はより効果的な戦争動員のために始まったものではあるが植民地住民を本国住民と同等に扱うことを始めたという点からは朝鮮人を鼓舞する政策であり、多くの朝鮮人はこの政策に感動し自発的に日本の戦争に協力し始めたのである。すなはち、当時の大多数の朝鮮人たちは自分が日本国民であるという自負心を強めたのでありしたがっていやいやながらも皇国臣民としての義務を果たすため軍に志願し産業前線に動員されたのだ。



1930年代以後日本は軍事独裁体制にあり非常時の意思決定システムをとった。これは韓国の朴正煕、全斗煥、盧泰愚とつづく軍事政権と似たような時期であったし、その野蛮性から見れば韓国の軍事独裁体制時代よりははるかにましなものであったと思える。とにかく、1930年代と1940年代の日本(朝鮮、台湾を含む)では軍国主義に反対する内部の反体制運動もあるにはあったが、大体において戦争遂行のため大日本帝国のすべての国民が押さえつけられ苦痛をともに味わった時代だったといえるのだ。


<つづく>




ウソはしきりと絶叫する 106

2023年08月21日 | 韓国
<前回のつづき>韓国人が韓国人に向けて書いた日本像です。毎月20日発行。


したがって日本の大東亜戦争は当時の国際情勢において十分に名目のたつ、それなりの正義の戦争であったしこれはアメリカが北アメリカ大陸でインディアンとスペイン、イギリス、フランス、メキシコ、カナダなどと継続的に戦争をすることで北米大陸を征服、連邦制の共栄圏をなそうとすることと違いはない行為だといえよう。分かりやすく言うと、日本が意図したのは北アメリカ大陸の連邦と同じ大東アジア連邦だったのだ。しかもこれは今も東アジアが求めるべき望ましい未来像だ。



日本-朝鮮関係と英国‐インドの関係で立証されるように、アジアを侵略した欧州人たちは植民地の自生的産業すら発展を阻止し既に存在した産業さえ存続できないように妨害工作をくわえたのだ。しかし、日本は台湾と朝鮮において未開な社会構造を解体し速やかに産業革命の基礎の地ならしをし急ぎ足の成長を行うための政策をとった。アジアとアフリカを侵略した欧州人はこの地域を資源を収奪し工業製品を売る市場として利用するという目的を持っていた。そういった理由で植民地住民の生活水準が向上し賃金が上がりその結果資源採取費用が上がる状況はにぞましくなかった。欧州人は植民地の経済が発展し産業革命が起こり工業化する姿は決して望んでいなかったのだ。



このような理由でインドの指導者ガンジーはインド人たちにイギリスから輸入した服を燃やして自ら糸車を回し服を作ろうというキャンペーンを展開した。ガンジーはそうすることによってこそがイギリスのためのインドという永遠の搾取構造から抜け出す道であることが分かっていた。こういう点を考え合わせると日本が意図した大東亜共栄圏は実に望ましいアジア自立の道であったといえよう。



我々は過去を振り返るとき、アジアは日本の侵略前にはたいして人が住むような土地ではなかったという点を忘れてはならない。しかも侵略ということは、中国がチベットを侵略したとかドイツがフランスを侵略したとか自律的で明白な国家体系が展開されて初めて用いられる用語だ。しかしながら、1900年代前半アジアにはタイと日本以外には「国家」といえるほどの地域は一つもなかった状況を知る必要がある。「清」が崩壊すると中国と朝鮮半島は事実上列強に分割占領された状態であったし残りの地域はごっそりヨーロッパの国家の植民地状態であった。したがって、大東亜戦争は日本と西欧帝国主義の戦争だったのであり、また当時日本が解放した東南アジア地域が次々に独立政府を樹立したことからも分かるようにアジア解放の戦争だったという意味もあるのである。



中国政府は今になっても日中戦争によって1200万人が死んだと非難している。しかし彼らが主張する1200万人の大部分は国民党と共産党の内戦によって死んだのであり、当時日本軍が蒋介石軍とか毛沢東軍隊に比してより残忍であったと判断するほどの証拠はない。当時中国の人口は4億であり平均寿命は25年程度だった。これは戦争がなくとも中国の人口中毎年1600万人が死亡するということであり日中戦争がはじまった7年の間を合算すると戦争がなかったとしても1億人以上が死亡したはずである。ただ、このなかで1300万人が日中戦争で死んだということなど何の意味もない。ただの数字遊びだ。かえって毛沢東ではなく日本軍によって大陸が統一されていたなら今日中国人の生活はずっとはるかによかったはずだ。




過去の戦争において、日本は十分に正当な戦争をしたのでありドイツは不当であった。日本は自ら生き残る道を求めどうしようもなく戦争をしたのでありドイツはほかの民族を抹殺して支配者になろうとして戦争をした。すなはち、日本は名分のある戦争をしたのであるがドイツは名目のたたない戦争をしたのだ。しかも最も重要なことは、ドイツは民間人3000万人を虐殺したが日本は大量虐殺をしていないということ。中国がチュ徴している南京大虐殺や731部隊の残虐行為などに対してはまず科学的な調査を通じて真相が明らかにならなければならない。ポイントは、日本に関して中国とか韓国側が主張する資料に対しての信ぴょう性がないということだ。これらの事象は都合のいいように取り繕って歴史を歪曲しているからだ。


<つづく>

ウソはしきりと絶叫する 105

2023年07月20日 | 韓国
<前回のつづき>韓国人が韓国人に向けて書いた日本像です。毎月20日発行。


再び本論に戻って、日本とドイツの立場がいかに違うものであったのかということを見てみよう。ナチスドイツが起こした戦争は今となって振り返ると名分も貧弱でアーリア人の世界を作らねばならぬという人種優越思想を土台にイスラエル人とスラブ族に対する残忍な人種抹殺劇を試みた事実は広く認められているのでドイツが犯した過ちについては異なる見解の余地はない。ナチスドイツは純粋に人種の浄化のために戦争中ユダヤ人600万人とロシアのスラブ人2000万人を虐殺した。



しかし日本の場合大東亜戦争というのは日清日露の戦争、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争など50年間続いていた戦争の延長線上にあったということに過ぎず、どういうきっかけで「戦争を始めた」ということは言い難い側面がある。1941年、欧州戦線でドイツが速やかに進軍するとそれを見てドイツと同盟を結んだのであり、アメリカに依存していた石油とくず鉄の輸入が止まったのでこれ以上持ちこたえられない状況にいたりどうしようもなくなりアメリカと戦争を始めたのである。結局、ドイツと同盟を結んだこととアメリカを攻撃したこととは日本の判断ミスであったのだが、だとし犯罪行為行為であったといえるほどのことではない。



1941年当時、日本は原油輸入量の90%、くず鉄輸入の60%をアメリカに依存していた。なのでアメリカの協力なしにはこれ以上戦争を遂行することが不可能な状況だったのだ。アメリカは当時欧州戦線に対してはイギリスがほどなくヒットラーに占領されるという判断の下、ほぼ2年間対岸の火事として傍観していたが、日本がドイツと同盟を結ぶと日本に対し原油とくず鉄など戦略物資の輸出を禁じた。しかも、日本に対し中国本土のすべての地域から兵力を引き満州まで後退しろと要求していたのだ。当時中国は蒋介石の国民党と毛沢東の共産党、そして日本など3っつの勢力が領土の取り合いをくりひろげていたのだが、アメリカは蒋介石の国民党を推していた。



すなはち、日本は1941年当時アメリカおよびイギリスと戦争をする道を捨て満州と中国北部地域あたりを占領するにとどめアメリカと平和協定を結ぶ道も残されていた。戦争を望んでいなかったアメリカ側としてもそうなることを期待していたし、日米協商も順調に進んでいるかに見えた。しかし、結局軍国主義日本は無謀な戦線拡大路線を選択することにより自滅の道に進む。これもまた痛ましい判断ミスだったのみであり、深刻な犯罪行為だとは言えないことだ。



1941年12月日本は米国と英国に対し宣戦布告をする。ハワイとフィリッピン、インドシナを同時に攻撃しつつこの戦争に東アジア新秩序という名分をつけた。新秩序というのは西洋侵略者たちが生み出した古い秩序を解体し日本の軍事力により東アジアに新しい秩序を構築しようというものだ。当時の日本は東アジアの黄色人種同士大東亜共栄圏を作り幸福になろうというスローガンを唱えた。これは今日考えても非常に説得力があり正しく堂々とした大義名分がある。日本は非欧州国家としては唯一市民革命に成功し帝国主義列強に加わることができたのだが、日本が進出可能な東アジア地域はすでに西ヨーロッパ国家の植民地に転落していた状況であったからこの地域を解放するということは当時の日本帝国にとって極めて重要なことであった。



軍事的な面から見ると日本が東アジアを占領した理由は石油をはじめこの地域の豊富な地下資源を確保しようということ、さらにインド-ビルマルートを通して成り立っている蒋介石軍に対し彼らの軍事物資補給を遮断しようとすることの二つがある。しかし、東アジアを白人たちの圧政から解放しようという意図もまたなくはなかっただろう。東アジア黄色人種の立場から見ると有色人種をほとんど人間扱いしない白人たちによる搾取を受けることより同じ黄色人種国家である日本と手を組む方がましだったとも思える。少なくとも白人の植民地にあって有色人種が受けなければならなかった貧困と汚辱を知っている限りは。日本は東アジア地域に解放軍として進出し、今日たとえ議論が残るとしても東アジアの多くの地域から当時の日本の努力が相当部分評価されているということもまた否定できない。


<つづく> 

「上」に対して思うこと

2023年07月10日 | 社会・経済
仕事を始めたころ、自分の立ち位置は一番「下」。したがって、目に見えているルールや約束、しきたり、人間関係等とにかくあらゆるものが自分より上に存在。

この末端という自分。当初は、人に後れを取るまいととにかく頑張る。何も一番になろうとは思はない。そんな大それたことは思わない。とにかく自分がまともな仕事をしないことには始まらない。それができない場合、人間失格という烙印を押される気がしていた。立派な仕事中毒一年生だ。

仲間の足を引っ張らない。親兄弟に恥をかかせない。学校の後輩たちは僕を切り込み隊長だと思っている。・・・

僕は強迫観念のるつぼの中であえいでいたようだ。

何よりも自分自身に対して思うことがあった。ここまで努力してやっとつかんだ栄光を手放すようなことはできないぞ、と。


しかし、それも3年。昔の人ははうまいことを言った。針の筵ではなかったが、まあ、いわば石の上。そのうえで3年が過ぎたころ。だんだん組織の本当の姿が見えてくる。

どんな人が、いわゆる偉くなるかが見えてくる。つまり、まさかという人が「上」になっていく。

これ。不条理でないかい。と気がつく。

一方で、人格識見ともに優れ、企画力やすばやい状況把握、清濁併せ呑む広い度量、そしてやさしさを持ち合わせた人はあいかわらず僕と机を並べている。

5年もすると組織の上層に対する失望は殺意に変わっていく。



さらには、仲間内から昇進するものが出始めると昇進パーティ会場のトイレでは聞えよがしのひがみ声の大合唱だ。

「あのごますり野郎」「裏切もの」「東大閥でもないくせに」「なんのコネか」しまいには「恥を知れ」

勢いあまって、昇進することが犯罪かのようにまくしたてる。負け犬の傷のなめあいよ。

だが、これがこの輪の中にいるとなかなかわからない。


今思うと恥ずかしい。自分はこの人こそと思う人が冷や飯を食っているのを見て義憤に駆られていると思っていた。そう思って自分を納得させていたに過ぎなかったのに。

それに気がつく頃はたいていもう遅いのよね。



結論

日本というシステムの中では人格者は昇進しない。まれに昇進したら、その人は部下を絶対責めない。自分がかぶる。

日本という人を幸せにしないシステムは、バカの順に偉くなることで支えられている。この偉くなったバカは、きまって部下の無能を嘆く。

ウソはしきりと絶叫する 104

2023年06月20日 | 韓国
<前回のつづき>韓国人が韓国人に向けて書いた日本像です。毎月20日発行。


アメリカは別名飛び石作戦を通してミッドウェイ、ガダルカナル、硫黄島、フィリピン、サイパン、沖縄などを次々に占領したのち日本本土をB29気がすむように爆撃していたころ。欧州戦線の戦いを終えたソ連も主力軍を極東に回し日本に宣戦布告をし満州と朝鮮半島に進撃をし始めていたので、事実上だれが見てもすでに決着がついた戦争であったし日本の降伏は時間の問題である状況だったのだ。日本の軍部も体面があるので最後まで抗戦しろと言ってはいたが内心では降伏の条件と時期を計っていたのだ。



したがってアメリカが当時無理に日本本土に対する占領戦を意図する必要もなかったのだが、すでに戦いの形勢が決着してきた状態では本土上陸戦を始めたとしても死傷者はさほど多くはなかっただろう。すなはち、数百万を助けるために数十万を殺すほかなかったというアメリカの主張はあまり説得力がないはなしであるし、実際は北から圧力をかけてくるソ連よりも先に朝鮮半島と日本列島を占領するために慌てて原子爆弾を投下したのではないかと思える。アメリカはいち早く日本を降伏させなかったら満州と朝鮮半島はむろん日本の半分をソ連に与えることが起こりうるという判断に立っていた。そこで、ただ土地をわがものにするためだけに日本人50万名を虐殺した可能性が大きいといえる。



しかも降伏をさせるつもりだけだったなら日本軍に通報したのち無人島に原子爆弾を投下しデモンストレイションとして見せつけたのち、降伏しなければ次は東京だぞというように出ても効果は全く同じだったろうに、何をわざわざ大都市に投下したのかという点も問題だ。文字通りうっぷん晴らしとか新兵器のテストのため民間人を虐殺したという結論意外には説明がつかない行為だ。当時日本の大都市に原子爆弾が投下されたという事実が知れ渡るとアメリカ政府に率先して核兵器製造を建議したアインシュタインは日本の湯川秀樹博士と会い涙を流し謝罪したという。湯川博士は日本初のノーベル物理学賞受賞者としてアインシュタインとは極めて親しい仲だった。アインシュタインの行動はアメリカ政府が何という過ちをしたのかをそのまま示すものである。彼はこのような行動を通じアメリカの反人類犯罪行為を認めたのものだ。



この問題に対し日本政府はアメリカ政府に対し公式に抗議し民間人虐殺に対し謝罪をさせなければならなかったのに、いまだその気配もない。これはアメリカが戦勝国であり日本が敗戦国だったので娘凝ったことだ。この点に関しては韓国政府の態度にも問題がある。広島と長崎は当時朝鮮人が多く住んでいた地域であり朝鮮人の人命被害は5万名を超えた。この被害賠償はアメリカから受けとらなければならないのになぜ日本に対し賠償しろというのか理解できない。韓国政府もアメリカの朝鮮人虐殺に対し公式に問題を提起しアメリカの裁判所とか国際裁判所に損害賠償訴訟を提起する必要がある。この問題に対しては韓国と日本が共同歩調をとるのが望ましいが、日韓関係が悪化している現在では考えにくいことになった。


<次回へつづく>





悲しい冷蔵庫

2023年05月31日 | 日常
しばらく家を空けることになった。その前に冷蔵庫を空にしておく必要がある。一生懸命料理を工夫して野菜室、チルド室、卵棚などを空にした。

帰国して思いっきり買い物。思いっきり買うとストレス発散になる。買ったものの重さで車の加速が悪くなるほどだった。一方、出て行ったものも大きい。僕はレシートからバカにされたようだ。…「おいお前、この金額ショックだろ」。


家に帰り冷蔵庫に詰める。

空になっていた冷蔵庫は購入して以来の大掃除。そこにどさっと入れた。マックスバリューか、ダイレックスか、はたまたALZOか。安いものを求めて車を駆ける。


わずか1か月、日本を離れていた。その間にあらゆるものがすさまじく値上がりしている。物価の優等生も例外なく。LだのSだの言うが、よく見ないとわからないので迷うことなくS。120円で買ってたものが300円だもの。


フランス革命はパンの値上がりに端を発している。たかが卵と思うなかれ。


しかし本質は消費者の収入の低さにある。30年間とどめ置かれた賃金は今やアジアで9位の低さである。マレーシアと並んだ。

かたや企業の内部留保は100兆円を超えた。今ごろ給料に回そうかと恩着せがましく言う。遅い。賃金水準の優先順位を最後にした安部政治の「つけ」が来ている。


冷蔵庫の卵棚には卵を立てるための穴が開いている。この穴の大きさは最小の卵を想定したものではないか。

買い物の卵を入れるとスッポリ穴をくぐりぬけた。



貧困も度を超すと笑えてくる。

ウソはしきりと絶叫する 103

2023年05月20日 | 韓国
<前回のつづき> 韓国人が韓国人に対し日本をどう見るべきかについて書いた文です。


私は、韓国人が日本に対してもっと尊敬し尊重する態度を示す必要があると思う。隣国に対する最小限の尊敬の心を持とうというのは、彼らを崇拝して事大主義になるとか卑屈になることを言うのではない。互いに尊敬する心がないなら人間関係もうまく行かないものであるしいわんや国家関係がうまく行くはずがない。


ある意味で日本人はちょっとかわいそうであるといえる。あるときうまく行っていた経済が10年前ぐらいからいつのまにか崩壊し始めいまのところとどまるところを知らない長期不況が続いている。「失われた10年」と言われるこの期間、日本の不動産価格半分以下に下落したし株式価格は絶頂期の4分の1にとどまっている。外国人投資家たちも日本を離れる状況だ。いまだ貿易収支の値は黒字基調が続いているが、日本経済を支えてきた造船、自動車、電子産業も工場が海外に移転し採算性が以前のようではなく次第に規模が小さくなっている。


したがって日本は韓国、台湾のような周辺国と緊密な経済協力を通じ成長のエンジンを回復させる位置に来ている。また輸出に依存した経済発展戦略を推進してきた韓国台湾も日々ブロック化を目指し追いかけてくる世界経済の趨勢下では、確固として規模が大きい内需市場の必要性が切迫してきている状況だ。このように旧日本帝国をなしていた3ヶ国が互いを必要としている状況は今後望ましい日韓関係をなしていくにあたり絶好の機会を提供している。


私は韓国と日本が一日も早く過去の歴史の亡霊と絶縁し本物の友情を分かち合うことを望む。北米と欧州はすでに大陸を包括する巨大なブロックを作り団結しているのに東南アジアは紛争が絶えることはなく互いにけなし合いいがみ合っている。小さな無人島一個二個をめぐっての意見衝突が領土紛争に発展し武力示威すら持ち出す軍事的緊張状態が続いているのも、考えてみると隣国同士に互いを尊敬し理解しようという心がないからだ。このような意味から日本の立場をもう少し彼らの視点から理解する必要がある。



[1-8] 罪といえば負けたことだけだ P113
   カテゴリー 「新 親日派のための弁明」キムワンソプ 
                       第一部 目覚めるアジア


韓国人は言う。なぜドイツは徹底的に過去を清算し謝罪しているのに日本はしないのか。ドイツではいまだに機会があるごとに隣国に対し総理が頭を下げ謝罪をし教科書でもナチの罪悪性を徹底して教えている。なぜ日本はそうしないのか。なぜ日本はドイツを手本とせず意地を張っているのか。もどかしい限りだ。・・・そうは言うもののこの問題でもどかしいのはむしろ日本のほうだ。ドイツと日本は第二次大戦当時何年間かは同盟関係にあったし敗戦国である。この点以外には共通点は一つもないのに日本がドイツと全く同一の行動をとるべきだという理由はない。そのうえ日本としてはさほど明らかな過ちはないから別に謝る理由も感じてはいないのだ。


むしろ大都市である広島長崎を新型大量殺傷武器である原子爆弾の性能試験場として使い数十万人の民間人を虐殺したアメリカが謝罪してこそ当たり前である。アメリカは戦争の土壇場で開発した原子爆弾を日本人を対象に実験をしつつ、例えば200キロトンウラン爆弾で何人を殺せるのか、被害半径はどの程度であるのかを綿密に見届けた。数日後長崎には新型プルトニウム爆弾を投下し同じような実験をする。


アメリカの弁明として。原子爆弾を都市に落とさなかったら米軍日本軍あわせて数百万人が死んでいただろうからしかたなかったのだという。そういう言い方もできるであろうがそういう言い方では済まないこともある。当時は欧州戦線でドイツは亡びヒットラーも自殺しあちこちで戦争犯罪裁判所が設けられていた時期だった。

<つづく> 毎月20日発行

ウソはしきりと絶叫する 102

2023年04月20日 | 韓国
<前回のつづき>

[1-7]我等は彼らをチョッパリ(日本人の蔑称)という    P109
  category  【新 親日派のための弁明〕キムワンソプ アジアの夜明け】


韓国人たちは、日本のことをとても簡単に決めつけてしまう。言葉の端々に、チョッパリ、ウェノム(倭奴)と言いつつ一つ下の国の扱いをする傾向がある。しかし、このように言う人たちも国際社会の視点から見ると日本に比べ韓国は小さい存在だという事実をよく知っているだろう。経済規模の面から韓国は日本の10分の一に過ぎずおそらく政治、経済、文化、学問芸術などほかの面からの影響力もこの程度の水準だろう。にもかかわらず、韓国人たちは平素から習慣のように日本を低めた物言いをする。多分傷ついた自尊心があるからだろう。以前、われらの祖先は日本が文化を伝えてくれた時期もあるという。それなのに最近は日本の植民地となって侮辱を受け搾取をされた心の傷を受けたと思う人がいる。



我々はこの間日本をあまりにも理解しようとしなかったようだ。彼らの歴史、一時期アジアと太平洋の広大な地域に進出し西洋の侵略者を追い出し大帝国を建設した栄光の時代、そして敗戦後50年以上を周辺国から後ろ指をさされながら戦犯国家として過ごさなければならなかった恥辱の日々…こんなことを外国人として、あるいは被害者としてではなく、日本人の立場から理解しようとする努力はなされてきていない。我々も以前は日本を我が国と呼び日本史を国日本語を国語国語としていたことがある。だがなぜこんなにも早く日本を遠ざけてしまったのか。多分韓国人たちは日本を批判して彼らの弱点を見つけることのみに上達しそれ以外の日本を理解しようとする努力をあらかじめ放棄してしまっていたのかもしれない。



しかし、日本人たちは自分たちの戦争に負けただけなのであり、犯罪を犯したのではないという考えを持っているようだ。韓国は長い間、日本に対し反省しろ、謝罪しろ、それも心から湧き上がる謝罪をしろと要求してきた。しかし、そうするたびに日本政治指導者たちの口から出る表現は、いやいや「過去のことは遺憾だ」とか「間違いだった」、あるいは「被害を与えたことについて謝る」という程度だった。彼らは太平洋戦争と朝鮮半島支配に対してさほど大きな過ちではなかったという共通認識を持っているのだ。



去る2001年6月、アメリカの時事週刊誌タイムはウェブサイトを通して「日本は過去にくりひろげた戦争に対して謝罪が必要か?」という内容のアンケート調査をしたことがある。全世界のアンケートに答えた人たちの中で60%以上の人がそれは必要ないという項目を選んだ。これは日本による大東亜戦争が欧州ファシズムが起こした戦争とは性格が異なるという認識が国際社会にひろがっているということを示している。このアンケートに対し韓国人たちは大々的に動員されてYESをクリックする運動を展開したのだがこれは韓国人の視点が国際的な感覚といかほどかけ離れているのかということを端的に示す結果となった。



アジア太平洋地域での第2次大戦はその性格と展開の様式においてヨーロッパの戦争とは全く異なる様相だったのである。したがって両者は異なるものとして理解する必要がある。今日アメリカが前面に出て日本を国連の常任理事国にするため努力をしている。また一方では日本の再武装を説いている。すでに日本が国際社会では戦犯国家の扱いを受けていないという証拠だ。最近アメリカは日本の軍備増強をリードして中国の覇権主義をけん制しようと努めている。日本の再武装を憂慮して恐れる国は事実上韓国と北朝鮮だけだ。



冷静に考えればこの地域である日ある国が突然ならず者国家に豹変し周辺国を侵略しだす国がいるとしたら中国だけであるにもかかわらず、韓国人は日本が再び再武装をしたのち朝鮮半島を侵略するのではないかと恐れている。しかし、日本は朝鮮半島と戦争を始めるほどの理由も意図もない。むしろ、朝鮮半島とかロシア、中国など周辺国によって日本列島が攻撃されはしないかと気をもんでいる状態だ。戦後日本はアメリカの安全保障の傘に無賃乗車して順調に経済力をつけてきた。冷戦が終結した今日に至っては、アメリカは大金を投じて日本に安全保障の傘を提供している自らの行動に対し原点に立ち返りその損益を再検討し始めたようだ。おそらく早い時期に日本は憲法を修正し自衛隊を正規軍隊に変え本格的な武装をしなければならないだろう。


<つづく> 


ウソはしきりと絶叫する 101

2023年03月20日 | 韓国
<前回のつづき>


しかし、19世紀後半になるとプエルトリコでも独立運動がたかまりついに1897年スペインから自治権をかちとるに至った。しかしこのころ、フィリッピンとプエルトリコなど植民地の支配権をめぐってアメリカとスペイン間に戦争が始まった。そうしてこの戦争でアメリカが勝利することによりプエルトリコとフィリッピンはアメリカの領土となった。1898年8月島を占領した米軍は軍政を敷いた。


以後アメリカは総督を派遣しプエルトリコを統治したが1952年からは国防、外交、通貨政策を除いたすべての統治権を島の住民たちに渡した。こののちこの島はグアム、サイパンなどと似通ったアメリカ連邦の自治領として残った。1967年になるとアメリカ連邦議会では住民が望めばプエルトリコを国家(state)に昇格させ連邦の51番目の州にもなれるという選択権を与えた。


これによって1967年7月住民投票が実施されたが、連邦編入は否決されプエルトリコは従来のようにアメリカの自治領として残った。議会は両院制で、4年ごとに行われる直接選挙により構成される。住民たちはアメリカの市民権を持っているが本土に移住しなければ大統領選挙権がない。プエルトリコとグアム、サイパンなどアメリカの自治領では連邦会議に代表を派遣することができるが彼らは評決権がなくオブザーバーの地位を持つにすぎない。


現在では政権党を中心にプエルトリコをアメリカ連邦に編入させなければならないという運動があるが住民たちの意見はちょうど半々に分かれている。また、この機会に完全にアメリカから独立しなければならないという民族解放軍の組織もなかなかの勢力を持っていて反米闘争を繰り広げている。


プエルトリコの産業は伝統的にサトウキビの栽培農業だけであったが、1950年代から化学工業、食料品と家具製造業などを発展させ工業国に変身するのに成功した。現在プエルトリコの一人当たり国民所得は韓国と似通っている。1万ドル水準でラテンアメリカでは最も豊かな国家であるが米国本土の3万ドルに比べるととても低い。


プエルトリコは100年前スペインの植民地からアメリカの植民委に所属が変わった。これは長い間新野であったのが日清戦争によって自主独立して後、近代化のために日本と合併したわが国(韓国)と似ている道を歩んだといえる。その結果大部分の地域が貧困から抜け出せないでいるラテンアメリカの中でプエルトリコは唯一先進国に発展した点でも韓国と似ている。しかし、スペイン統治の伝統が今だ残っているせいでアメリカ連邦に所属することを拒否していてそれが今日ハワイに比べ生活水準がはるかに落ちる結果を生んでいると考える。


このような考えを推し進めたとき、東アジアで過去日本の一部だった台湾と韓国だけが唯一先進工業国に発展することができた理由が簡単にわかる。日本の統治がなかったら韓国と台湾はほかの東南アジアの国のように貧困から抜け出せずにいただろう。また、プエルトリコとハワイの違いを見るとき、万一終戦後日本と分離しなかったら今日わが民族の生活ははるかに潤沢であったろう点も容易に想像できる。このような厳然たる現実があるにもかかわらず政治的なスローガンでは何といっても「独立」というほうが訴える力があるものだ。しかし、独立が住民の生活の質を向上させることができないならばそれは特定政治勢力の利益に奉仕する過ぎない。今日プエルトリコで独立を推進する民族解放軍が猛威を振るっているのを見るにつけ、果たして弱小国家には「独立」すると絶対的な価値になりうるのかということをもう一度考えてみる。

くじけずに頑張ってください  2

2023年03月14日 | ニュース
何の変哲もないボルト。このボルトの中心に穴をあけセンサーを埋め込む。

このセンサー付きボルトを本体にねじ込む。こうして直接覗けない燃焼室の状態をセンサーを通じ電気信号にして取り出す。

このセンサーをありとあらゆるところに取り付け、そのセンサー情報をコンピューターに送り演算をさせる。さらに演算結果を制御情報としてバルブやアクチュエーターに送り制御する。

実はこれはロケットに限った話ではない。じつは、お家の自動車もセンサーの塊だ。一台のクルマには数百個のセンサーが入っている。これがロケットともなると数千個になる。

このセンサーボルトをきちんと締めないと大変なことになる。当たり前。




ここでやっと、JAXA(宇宙航空研究開発機構 JAXA(ジャクサ) )の話。


失敗とは結果として金をどぶに捨てることだ。しかし、どんなに計算を尽くしても最後にはやってみないとわからない部分が残る。だから失敗することは成功に近づくためには必要なことだ。

失敗を責めてはいけない。またJAXAも非難を恐れて、失敗ではない中止だとか言い逃れをしても見苦しい。


H3. この失敗を見てJAXAの体質に相変わらずの問題ありと感じた。日本のロケット技術は何週も遅れて走るランナーだ。アメリカは毎週打ち上げている。北朝鮮は移動式でH3よりはるかに推力がおおきい。中国は人間を乗せて成功している。

H2Bは97%の成功率だと自慢するのは少し変だ。100回のうち3回爆発するロケットに乗れるかい?


JAXAはロケットの部品の多くを零細企業に依存している。このこと自体は問題ないのだ。ただJAXAと下請けの間に上下関係があり上が下を蔑視していることが問題だ。



ほんの一例。

普通のねじを締めるとき。ボルトの頭をレンチでつかんで右回りに締め付ける。最後はボルトの頭が土台に押さえつけられ締めつけ完了。これが普通。



ところがセンサーねじは違う。めねじのピッチと、ボルトのおねじのピッチはごくわずか違う。ボルトを締めるとき、最初は回ってめねじに食い込んでいくがピッチが少し異なるのでだんだんネジは固くなる。やがてボルトはこれ以上回すとなめる(壊れる)というところで食いこまなくなる。

ここがポイント。センサーボルトはおねじ全体で本体のめねじに圧着しているのだ。だから燃焼ガスが漏れることはない。もしこれが普通のめねじとおねじのようにピッチが同一の場合、締め付けとはボルトの頭と本体のわずかの面積で締め付けている状態である。このとき高圧になるとボルトを外そうという力がかかり燃焼室のガスが漏れやすい。

そこで考え出されたのがあえてめねじとおねじのピッチをずらすという考え方。内部がいかに高圧になろうとねじを緩めようという力は働かない。



ある零細企業のおやじがJAXAから発注を受けたセンサーボルトに疑問を呈した。本体側のめねじのピッチはどうなっているのか、と。

つまり、同一のピッチでは燃焼ガスが必ず漏れると。JAXAの末端職員は、貧乏零細会社が仕事を与えてやったのに何をケチつけるのかとは言わなかったが、慇懃無礼に言われたとおりの仕事をしてくださいといった。

そしてロケットは燃料漏れを起こし爆発した。

くじけずに頑張ってください  1

2023年03月07日 | ニュース
前回のH3失敗のとき、おっと、失敗ではなく中止。その中止のとき、見学していた小学生が言った言葉。

「くじけずに頑張ってください」


さすがに今回は失敗と言っていいようだ。

物は言いようでどうにもなる。軍隊の場合、威信を振り回すことも仕事の一つだろう。古くは帝国の陸海軍。

満州で戦争を仕掛けた。すでに日清戦争より多くの死者を出しておきながら、「戦争ではないのだ。事変だ」と、言い張った。さらには上海事変もしかり。

15万人の死者を出したビルマの大敗北では、事変ですらなくインパール作戦と言った。


時を現在に戻して、

先日佐賀県の目達原駐屯地でヘリコプターが墜落した。2名の隊員の方が殉職。100メートルの高度でペラが取れ垂直に自然落下すればそれは墜落ではないかい。跡形もなく民家が焼失したんだけど。

自衛隊は墜落を認めていない。では何かと聞かれ、「あれは目的地外着陸でした」と。

退却を転進、略奪を現地調達、兵を見殺しにしたことを現地残留戦闘。とどのつまりが敗戦を終戦。


こんな屁理屈で現実を見ようとしない。この傾向はJAXA にもある。

二段ロケットに点火しないなんてことは初歩の初歩のミス 。アメリカのロケットはこういう基本の部分は5重の回路が組まれている。



幹部は天下り。派閥の上下意識、学歴の絶対的壁、下請けをバカにして意見を聞かない。役員用には小型ジェットがあてがわれる。ひと飛び300万円。そして技術者には安上がりに作れだと。

今回の失敗で消えたのはロケット本体で50億程度だ。
ところがJAXA自体は2500億のカネを毎年食っている。皇室予算と同額。


真面目な研究がなされていないから失敗したとは言わない。しかし、ちょっとした職員の表情とかにその会社の状態は現れるもんだろ。なんか暗い。なんか気ぜわしい。なんか不必要に上から目線だ。

ゆとりがないから失敗するとはいわない。日の丸と財閥が組んだら安泰御殿だともいわない。

だがハングリーでないやつは絶対成功しない。幹部はロケットのこと何も知らずとも夢みたいな報酬をもらう。実質高専出身者が作っているようなもんだが、評価は上がさらっていく。下請けをけなしてうっ憤を晴らす。肝心な時の人事異動。意味のない上からの精神訓話。冗長な会議。・・・成功には程遠い。


北朝鮮の制御技術を見ろ。失敗したら銃殺だぞ。


三菱も必死になればこんな飛行機ができたじゃないか。


外国語

2023年02月22日 | 韓国
凄いね、〇〇語ができるんですね。

と問いかけられた時。さて、この「〇〇」にドイツ語が入った場合。はい、と答えると大抵、「すごいですね」と続く。

ドイツではバカでもドイツ語を話しているといっても納得しない。「難しいんでしょう?」とかちょっと尊敬したようなまなざし。



で、「〇〇」に韓国語が入った場合、100%続く言葉は、「どうして韓国語を?」。



これは無意識の差別感だろうか、先入観だろうか。

両者の反応には、とにかくどんなに否定しても絶対何らかの違いがある。


皆さん違いますか?

最初にドイツ語がどうのこうのと出てきたので、「なんだこいつ」と思ったでしょ。「なんか自慢ばかりしやがって」とか。「ほう、どの程度やるのかい?」と純粋に興味を持つ人は少ない。


韓国語の場合、純粋に興味を持ったりする人も増えた。韓流ドラマが字幕なしでとかうらやましいとか思ってくださる人も。

しかし、在日韓国人かとか、何をわざわざ反日国の言葉をとか思う人もいる。とくに年配の方。ま、最近はめんどくさいから、在日ということにしている。


いずれにせよ、話すのは簡単なのだ。最近は「なんちゃって語学留学」が増えてバカ話をべらべら、さも自慢げにするやつが増えた。どの言語でもバカがしゃべるのは嫌だ。

問題は、「読解力」だ。AIも会話程度はできても翻訳能力は全然低い。あと20年、人間の翻訳者は失業しない。

言いたかったのはここから。


その「読解力」。

その人の母国語の国語力以上に外国語能力が増すことはありえない。だから、バカはバカなりの外国語しか話さない。さらに小説や時事問題など広く教養を積んでないといけない。どんな翻訳の依頼があるかもしれない。

つまり、日本語の新聞を読めもしないで東亜日報やNeues Deutschland は絶対読めない。オールラウンドな能力が求められる。

そういう僕はいまだに誤訳が多くてクレームが多い。だが、つねにあらゆることに気を配っていることは脳が活性化している気がして気持ちいい。


一度免許をとると死ぬまでその恩恵にあずかる医師免許とは違うのだ。努力のし甲斐があるお薦めの職業だ。

ウソはしきりと絶叫する 100

2023年02月20日 | 韓国
<前回のつづき> (毎月20日発行)

一世紀前ハワイと朝鮮に住んでいた住民の生活水準に違いはなかったとは言えないが、大同小異であった。ところが、今日比較するならば韓国はハワイに比べて約30年、北朝鮮は60年以上の格差があると思える。今日ハワイではアメリカから分離しようという独立運動はなく、過去においてアメリカとの合邦を拒否したルッリ女王を恋しがる人もいない。そのわけは今日ハワイの市民が守旧派の陰謀を阻止し革命を通してアメリカとの合併を推進した勢力の路線が正しかったと判断したためである。そうして革命と合併運動が成功したので今日豊かで繁栄するハワイが存在できたのだ。


今日韓国では過去日本との合併をとおして近代化を成し遂げ民族の前途を開拓しようとした先覚者たちを親日派だと罵倒しつつかえって閔妃とか高宗をはじめとする反動守旧派を愛国者であると慕っている。こういうことがまともな考えなのか真剣に検討する必要がある。我々が歴史を冷静な目で反省することができることによってのみ歴史は教訓を示し我々の前途を明るく照らす灯台になるのだ。今回はハワイと似てはいるが今だに反米独立運動がくり広げられているプエルトリコの場合を見てみよう。


プエルトリコはカリブ海に浮かぶ比較的大きな島で面積は韓国の10分の1程度で400万の住民が住んでいるアメリカの自治領である。ほかの中南米地方と同様にここでもスペイン語を使っていて宗教はカトリックが圧倒的に優勢である。ここの住民の約80%がスペイン系は奇人で残りは奴隷として連れてこられた黒人とインディアン原住民で構成されている。


プエルトリコに人が住むようになったのは9世紀ごろ原住民であるアラワクインディアンが南米から移住してきてからだ。そののち平和だったこの島に1493年11月コロンブスが上陸しここをスペイン女王の領土だと宣言して島の名前を「サン-フアン」と命名した。1508年からプエルトリコ港が廃初されこの島の代表的な年になった。だが、いつの間にか島の名前はプエルトリコ、港の名前はサンファンに代わってしまったという。1511年にはアラワクインディアンたちはスペインの支配から脱するために反乱を起こしたが失敗した。


その後この島で金鉱が発見されるとスペイン人は金鉱を開発するためにアメリカから黒人奴隷を輸入し始めた。しかし金鉱はほどなく採掘されてしまった。こののちスペインの支配者たちは暖かい気候を利用してこの島でサトウキビ栽培を始めた。19世紀初めになると中南米地域では独立の熱風が吹きスペインの植民地は一つ二つと独立し始めた。状況がこうなるとスペインに忠誠を尽くす一鉢はみんな中南米を離れプエルトリコに逃れてきた。プエルトリコは長い間中南米で唯一の軍事基地となった。


<つづく>

宮田織物

2023年02月10日 | ブランド
生前、おやじの口癖。
「一流を持て、二流で妥協するな。二流しか持てないなら持つな。二流を持てば二流どまりの人間になる。」

太平洋戦争で死線をさまよい高度経済成長で死に物狂いに働いた人だ。

競争、競争。生きるか死ぬか、勝つか負けるかの世界で、もがいて生きもがいて死んだ。


ただ、自分の人生観を周囲に押し付けてもらっては困る。僕はずっと思っていた。
「俺は二流でも三流でもいいよ。指図するな。」と。


ところが、環境のせいか遺伝のせいか。ぼくは、無意識に妥協を嫌う性格に育った。しかも僕は吝嗇である。

要するにケチであるから、一枚の半纏も30年着た。



福岡県南部に羽犬塚(はいぬづか、発音はハインツカ)という町がある。小さいころおやじのバイクに乗せられてこの町を通った。
「あそこの宮田織物ちゃあよか工場ぞ。(宮田織物は優れた工場だ)」と言っていた。



今回ついに限界が来て買い替えたのが宮田織物の半纏(はんてん)。福岡では丹前(たんぜん)という。

最初に買うときは決心が要った。貧血を起こしそうに高かったから。だが、昨日買い替えるときは迷わず買った。30年間綿がよれることなく、縫製が痛むこともなかった。が、さすがに生地がうすくなった。

冬が楽しみな綿入れ丹前。

一流だ。


宮田織物が全国ブランドになってとても気分がよい。10年着ないと本当の違いは分からない。ちゃんと見分ける目を持った人がいるということ。さすが日本。

一流品はメーカーだけでは存在できない。ちゃんと買う人がいて成り立つ。

十倍の価格だが、百倍素敵だ。メーカーの良心と信念、顧客の満足と信頼。両者はガッチリ手を組んでいる。中華が付け入るスキは全くない。