2011年10月12日のブログである高校が数学の競技会で優勝したということを書いた。僕はその問題が解けなくてずーっとひっかかっていた。きのうBSの大学講座を見ていて閃いた。
なんでもコロンブスの卵だ。あとからグダグダぬかすやつはひきょうだ。ちゃんと解いてその高校の高校生たちに送った。もっといい解があったのかもしれないが高等数学を使わずにという条件のもとでは僕の能力の限界だ。
ところでBS放送の大学講座だがレベルの高さに驚いた。テキストで復習するにしても放送時間の5倍は要する。ここら辺では九州大学以外の大学の授業よりはるかにレベルが高い。おかげで半日はああでもないこうでもないと紙に向かって悪戦苦闘することになった。
僕は計算用紙の皺さえ気になってせっかく浮かんだ発想が消えたりする。僕はそれがいやでまっさらでない紙はメモ紙にまわす。ところが、アーベルはパリ科学アカデミーに提出する論文の紙一枚にさえ事欠いてわずか6ページにまとめた。彼が困窮の極みにあったときにはなんと2ページにまとめられた論文もあった。
理系の人は分かるだろうが、一つの数式から次の数式に移るときたいてい2ページぐらいの式の変形が省略されている。解く方としては不親切極まりない解き方だなと思うが苦もなく分かって解くやつもいるのでやはりこちらの頭のせいだろう。
普通の論文でそうなのにそれを6ページにまとめられたらたまらない。かのガロアすらよく理解していない。パリ科学アカデミーに無視されたアーベルは失意に追い打ちをかけた病を患って帰国する。
二次方程式の解の公式はご存じのことだが、三次になるとあまりきれいな形にはならない。四次は複雑すぎて公式といえるかどうか分からなくなる。そして五次はないのだ。五次の解の公式がないということが分かるまで人類は300年かかった。まさにこのことをアーベルが示した。
さらには複素平面上での二重周期関数の面白い動きを示した。(アーベル関数)ちょっとした定数の変化で夢のような広がりを持った図形があらわれる。僕は星雲の衝突によって散らばる恒星たちと重なって見えた。
非実用的な話だという思い込みは捨ててほしい。フラクタル関数は最先端の流行だ。この考え方なしには今のクルマは走らない。サイクロイド曲線がなければエコな走りはできない。インボリュート曲線がなければ楽しいコーナリングは夢だ。すべてアーベルの発見だとは言わないが大きく貢献していることは間違いない。
死を悟ったアーベルは友人に頼みごとをした。僕の恋人はとってもいい人だ。どうか僕が死んで彼女が悲しまないように彼女と一緒になってくれ、と。
アーベル27歳。死の二日後、ベルリン大学からの採用通知が届く。