か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する 116

2024年06月20日 | 韓国
それによって朝鮮では1910年代に一時的に農業生産の向上と教育と社会制度改善事業が整うと1930年代から本格的に工業化の時代に入った。戦争末期には日本の核心的な重化学工業施設を大部分朝鮮半島に建設したのである。このように朝鮮の工業化はたとえ日本の敗戦によって中断されたのではあるが日本において朝鮮半島がどのような意味を持つ地位にあるのかをよく示す証拠になっている。


朝鮮を占領した日本は翌年から土地調査事業を通して農業の基盤を整備し所有権を確定したのである。この処置を結果的に国家と支配層など不特定な公共所有権が農民と地主の名義を明確にする結果ももたらした。すなはち、朝鮮の自作農は調査事業によって自分の土地の主人になったし、地主たちはこれ以上国家に税金を納めることなく自分の農地を所有することができるようになった。このことは長い間自分の土地を持てないまま支配層の奴隷としてのみ生きてきた農民たちにとっては新しい時代が始まったかのようなことだった。土地調査事業は事実上甲午改革当時後回しにされていた土地分配処置が遅ればせながら日本によって完成されたという意味だ。



このように日本の支配がはじまったとき文明開化の時代が開かれたのだ。多くの学校が建設され、警察署や裁判所、行政機関が作られて市民たちは法の統治とサービスを一度にうけることになり資本主義的経済システムが動き始め朝鮮は大韓帝国の百姓から日本帝国の市民に身分が変わったのでありこのような変化は朝鮮の民衆にとって歓迎されることとなった。



たとえ植民地統治末期には日本が総力を傾けた戦争を遂行するため朝鮮人たちは多くの苦痛を味わったが、日本の植民地だった期間が朝鮮の実質的な産業革命期だったのであり朝鮮の民衆たちは文明開化という史上初の変化を経験しつつ幸福を享受できたという点は疑いようもない。この時代には朝鮮半島は日本の植民地だったのではなく日本の一部だったのだ。



韓国人たちは大体において朝鮮王朝に対し心情的な帰属感を持っている。歴史を評価するときには朝鮮王朝から一定の距離を保つ必要がある。隠遁の王国であった朝鮮は500年間外部世界とは壁を作っていたのであり偏狭な儒教思想に没頭し存続してきたのである。時代が変わるにつれ自然に新しい勢力に統治者の場を明け渡したとみるべきである。われわれは国を取られたのではなくこれは明らかに発展であり朝鮮民衆の自然な選択であった。明らかに発展であり朝鮮民衆の自然な選択である。


<つづく>  毎月20日発行 今回は文字列に不都合がありご迷惑をおかけしました。


最新の画像もっと見る