か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する 119

2024年09月20日 | 韓国
<前回のつづき>

このように考えると世界を白人と黄色人種地域、黒人地域、イスラム、インド地域など5個の区域に区分することができる。今後50年を眺めてみると白人文明圏と黄色人種文明圏がいろんな分野で競争する反面で、残りの世界は遅れてしまう時代になるだろう。中東とアフリカ、インド地域は宗教と人種、気候など経済発展を阻害する要因を持っており急速な変化と発展を期待することはできない地域だからだ。


日露戦争の風刺画


西ヨーロッパはいち早く文芸復興運動と産業革命を起こし世界を支配したのであるが、その分東アジアの黄色人種は日本人がいたのでヨーロッパの直接的支配をうけなかったのみならず戦後にも迅速な迅速な経済発展に成功することができた。18世紀にイギリスで産業革命が始まって以来産業化は疾病のように都市中心から近隣の地域に拡散する傾向が見られた。このような特徴がヨーロッパでもっとも典型的におこった。中東部ヨーロッパを見ると西ヨーロッパから近い順に工業化が進展したという事実が容易にわかる。北中米地域ではそれなりにアメリカと近いメキシコがほかの中南米国家よりも経済成長がましな方だということ。



アジアにおいてはもちろんのことだが、日本が産業化社会の中核となってその役割を担ってきた。東アジアにおいては日本との距離に比例して工業化レベルと生活水準が低くなっている。アフリカと中東、中マン米、南アジア地域にはこんな中心国家がないため経済発展に成功できずにいるのだ。実際、19世紀に遅ればせながら門戸を開いて産業革命を始めた日本が50年もならないうちに西ヨーロッパ産業文化水準に追いつき列強クラブにそれも列強の上層部に合流することができたというのは人類史上一種の奇跡のようなことだと記録されている。こういう面から見て日本はアジアの発展に莫大な寄与をした後言っても過言ではない。



1980年代韓国と台湾が工業国として浮上してくる前は後進国と先進国の違いはあまりにも大きく格差は縮まるどころか日ごと広がっていった。このため資本主義体制後進国は永遠に先進国について行くほかないという悲観論が広がっていた。これが1970年代以後アフリカとラテンアメリカではやったいわゆる従属理論なのである。この考えが説得力を持って広がり世界の新生独立国家が続々と資本主義をあきらめてソ連式の社会主義の道を選択したのだ。



ならばなぜヨーロッパに属さない日本だけがこれほど迅速に産業革命を成し遂げ先進工業国になれたのか。この問題もまた1970年代と1980年代にわたって従属理論と合わせ体制の学者が頭を悩ます問題だった。今になって考えてみると、これは全世界で日本と西ヨーロッパだけが中世の封建社会を経験した社会であるという事実と無関係ではない。



封建体制というのは一種の原始的な連邦制の形態の社会構造で封建社会の領主たちは狭い地域で君主となり父の使用権を行使し独自の軍隊を維持しながらことによっては王を中心に集まりあるいは王権を取り合ったりした。王から封土を下賜された貴族はその領土の大きさにそって、侯爵、公爵、伯爵、子爵、男爵などの序列を持ち領主になってそれぞれの領主は城を作り荘園を維持した。各荘園には絶対君主国家に比べ王権がとてつもなく弱いのが特徴だ。長い間封建社会を経験した社会だけが初期資本主義社会を順調に発展させることができたのだ。



産業社会において日本のもう一つの優れた点は原理主義の伝統がないということ。王の親が死んだ後3年喪に服すか1ねん喪に服すかで対立が生じ命がけで戦った昔の朝鮮とか、なんてことはないコーランの一説の教えを守ろうと喜んで命を差し出すイスラム教徒たちに見出せるこのようなことを日本に見出すのは困難だ。日本人たちはたやすく力に屈するとか体制に順応するとかいう態度を見せる。このような文化的特性があることは毛店ともなりうるが開化期日本には長所として作用したのであろう。このような文化伝統があったので強制開港御西洋の軍隊と力で対立できないという事実を理解するや否や家柄とか自尊心とかを押さえ速やかに西洋をお手本として日本を改造するという仕事に着手できたのだ。
 
 <つづく>


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