か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する 117

2024年07月20日 | 韓国
<前回のつづき> 

韓国はこの時代を、日本統治に抵抗した人々中心に記述している。しかし、彼らはどう見ても日帝時代朝鮮半島の主流グループだということはできない。合邦(日韓併合)以前日本に抵抗した勢力はまだ儒教理念から抜け出せていない。時代の流れに逆らっていた「惰性グループ」だ。一社会の革命期を評価するとき、 われらはこのような集団を反動勢力あるいはアンシャンレジームという。18世紀末フランスが革命を通じて王朝時代を清算したとか、日本が明治維新を推進する過程で深刻な内戦を経験したこととかのようにどの国家でも大きな変化が起きるときにはこのような「惰性グループ」による反動を経験するのである。そうして市民革命はしつこく継続する反動勢力の挑戦をぶち壊す過程で完成されていくのである。



1910年8月23日韓日合邦(日韓併合)締結の事実が国内外に知れ渡ると日本のマスコミは今回の合邦が朝鮮半島に文明という贈り物をもたらし平和を保障するものであるので韓国人たちのため幸せなことだと論評した。アメリカ政府は韓日合邦がよい意図を持っており韓国国民の幸福のために良かったことだという声明を発表した。アメリカのマスコミは一斉に今後韓国人の幸福が増進することだろうとして祝賀の意を伝えた。



ロシア、イギリス、フランスも支持の意向を表明し唯一韓日合邦に非難声明を出したのは滅亡一歩手前だった清国のみであったのだ。実際当時の朝鮮の現実を見たとき日本という新しい支配者を迎えたことは朝鮮人民の生活の質を速やかに改善する可能性のある望ましい選択だった。一方、独立教会の指導者として強力に自主独立運動を推進した李完用が結局韓日合邦をリードするようになったのもこのような現実を認識して愛国の決断をしたのだと解釈しなければならない。この後朝鮮半島の統治権を引き継いだ日本は今の基準で見ると多少無理強いした人権蹂躙の事例がないとは言えないが、当時の時代状況からみると非常に礼儀正しく日本主義に立脚した統治をおこなっている。



日帝時代は世界どの地域でも帝国主義による残虐な植民地弾圧と搾取が横行した時期である。アメリカ大陸では西欧人が入ってくる前、北米地域だけ見てもインディオ二千万人が平和に暮らしていた。中南米地域でもアステカ三千万、インカ二千万、マヤ二千万など多くの原住民がいた。彼らは氷河時代ベーリング海峡を越えシベリアから移住していった黄色人種である。



しかし、西欧人たちが入ってき始めると彼らとともにやってきた風邪(インフルエンザ)、天然痘、麻疹(はしか)など多様なウイルスにより中南米原住民は死んでしまった。北米地域の原住民たちも白人による持続的な大量虐殺で次第にその数を減らしていった。現在ではわずかに50万程度のインディオが生き残っているのみである。英国の残酷なインド統治とアジア、アフリカで行ったヨーロッパの国々の植民地搾取と虐殺、さらには新大陸に奴隷として引っ張られていった多くの黒人たちの運命を思うとき、台湾と朝鮮に対する日本統治はきわめて紳士的であり人間的であった。



実際,日帝時代(日本統治時代)朝鮮では1919年の独立運動と光州学生運動以外にはこれといった反日騒擾がおこったことはなく台湾人も日本の統治に満足しつつよく協力した。3.1運動だけ見ても国内教科書では当時日本軍の鎮圧を誇張している側面がある。全国的なデモが発生しはしたが日本警察はただ万歳運動をしたという理由だけではだれも捕まえたりはしなかった。暴動を主導した人たちに対しても大部分訓戒と軽い罰金刑におさえた。全国的な騒擾過程の渦中で若干の人命被害が発生したことはむしろ当たり前のことだった。朝鮮の警察は万歳事件自体に対しては平和的に対処しデモ隊による破壊と殺人のようなことに対してのみ武力を行使し鎮圧したのである。このようなことを考え合わせると3.1運動に対する韓国側の歴史記述には客観性が欠如しているということができる。

  <つづく> 毎月20日発行                             




最新の画像もっと見る