韓国の大学に行ったとき、美容を専攻する学部があったので行ってみた。韓国は一般になんにしろ繊細さに欠ける。日本人が細かすぎるのだとかいうバカがいる。バカよ。そんなことは自分の生活圏が基準だろ。
韓国の三越に行っても包装紙の包み方が全然なってない。7時のテレビニュースが10分ぐらい前後する。信号が消えている時がある。
そこでもっとも繊細さが求められる美容の世界の話だ。はたしてはたして。美容整形と化粧でごまかした人造美人はいかにして作られるか。受付のお嬢ちゃんがきれいだったので頭がくらくらしながら見学させてもらった。
多くのことを学習することができた。今回は化粧筆について書きたいと思う。
実習室に入るとコーヒーショップのように明るく清潔でその空間だけはニューヨークにいるようだった。ならんでいた筆を見た。もちろん日本製だ。日本以外ではどの国もできないと言われている。熊野のおばちゃんの繊細な指。100分の1ミリを指先だけでえり分けていく芸術的な感性。
僕はこの筆でほおをなでられると途端に眠くなる。催眠術にかかったようだ。
案の定韓国製の筆はひどかった。あれは筆ではない。ブラシだ。顔の肌を傷める。それを隠すためにさらに上塗りするの悪循環が見えている。
あなた達は韓国製の筆を使って平気なのか。というと、返事が面白かった。「たしかに5年は遅れてます。」この気違いども。自分の劣等の度合いも自覚してない。バカ。50年しても無理だ。
学ぶ気があるならもっと素直になりなさい。というと、得意のヒステリーが返ってきて化粧筆の起源は韓国だとか言いだすのかなと思っていた。
ところが意外や意外。いま日本に留学させて技術者を養成しています、そんなに興奮しないであと5年待ってください。韓国も熊野に負けない筆を作ります。
このときの韓国人の顔は好きだ。自信と希望に満ちている。それなりの努力ののちに待っている成果について確信しているのだ。
ま、お好きに。そう思っていた。
熊野に行って学ぶことはモノマネをしに行くのではない。モノの仕組みの本質が分からないと技術の習得は不可能だ。
今韓国製の筆は熊野と遜色ないと聞く。やつら言うだけのことはやったな。